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トピックス

2016年8月24日(水) : 警察による新聞記者の拘束、排除に強く抗議する
seimei 沖縄県の米軍北部訓練場(東村高江など)に建設中のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)の工事現場近くで、取材中の地元紙記者2人が警察の機動隊によって強制排除され、一時的に身柄を拘束された。新聞労連は「国家権力による報道の自由への重大な侵害で、絶対に許されない」として、警察当局に強く抗議する。

 沖縄タイムスと琉球新報によると、排除・拘束があったのは8月20日午前。機動隊が建設に抗議する市民を強制排除する様子を取材していた両社の記者が、機動隊員に腕をつかまれたり背中を押されたりして撮影を邪魔され、警察車両の間に閉じ込められたりして自由な取材活動の機会を奪われた。
沖縄県警は「反対派と区別しづらかった。報道を規制する意図は全くない」と説明しているというが、記者は腕章や社員証を提示して社名や身分を名乗り続けたと説明しており、現場の状況から考えて記者だとの認識が持てなかったとは考えづらい。

 防衛省によるヘリパッド建設は、地元住民らが根強い反対運動を続ける中、7月の参院選直後に全国から集められた数百人の機動隊員による強制力を用いて再開された。多くのけが人や逮捕者まで出る緊迫した状況が続いており、現場で何が起きているのかを目撃し伝えることは、地元紙はもとより沖縄で取材活動を続けている全ての報道機関にとって大切な使命だと考える。実力行使で報道を妨害する行為は、絶対に認めるわけにはいかない。

 言うまでもないことだが、言論、表現の自由は憲法の下で保障されている国民の権利である。新聞労連は沖縄県のマスコミの仲間とともに、報道の自由を侵害する行為とは断固として闘うことを宣言する。

以上

2016年8月24日
日本新聞労働組合連合
中央執行委員長 小林基秀

2016年6月10日(金) : 声明アップしました
新聞労連は北信越地連、北日本新聞労組と共に、富山市議会自民会派会長による取材妨害と暴力に抗議する声明を出しました。

富山市議会自民会派会長による取材妨害と暴力に抗議する

平成28年6月10日
日本新聞労働組合連合   委員長 新崎 盛吾
新聞労連北信越地方連合会 委員長 平澤 隆志
北日本新聞労働組合    委員長 下村 彰 

 富山市議会の議員報酬引き上げについての条例改正案を巡り、6月9日、市議会自民会派の会長が取材中の北日本新聞社記者を押して倒し、メモを力ずくで奪うなどして、取材活動を妨害する事態が起きた。この事態に対し、私たちは断固抗議する。
 議員報酬を10万円引き上げるという今回の条例改正案については、納税者である市民にとって非常に関心の高い問題だ。賛否も大きく割れている中、市民の理解を深めるための情報提供は、記者にとって重要な使命だと考える。その記者のメモを奪うという行為は、報道の自由の侵害にほかならない。社会の公器であり、市民に情報を伝えるべき報道機関の責務として、記者は取材・報道に尽力している。一方、市議会議員は選挙で選ばれた市民の代表であり、取材に答え、自らの考えを市民に説明すべき公人である。
 当該市議の行為は、自らに不利な情報が出ることを恐れ、暴力と恫喝で正当な取材活動を妨害したと受け止めざるを得ず、国民の知る権利、報道の自由を侵す重大な問題だと考える。
 私たちは暴力による取材妨害を絶対に許さない。市民の負託を受けた市議会議員として、報道機関の取材活動を尊重するよう求める。    

以 上

2016年4月19日(火) : 社外言論活動の規制強化に反対する声明をアップしました
社外言論活動の規制強化に反対する

2016年4月19日
新聞労連中央執行委員長
新崎 盛吾

 私たちは、新聞業界で働く労働者の立場から、記者個人の社外言論活動への規制強化に反対する。
 最近、外部媒体への執筆や講演などの社外言論活動を抑制する規定を新設したり、規制を強めたりする新聞・通信社が増え始めている。自社の記者らが社外に発表した記事などによるトラブルを防止し、社内のコンプライアンス強化を図る狙いがあるとみられる。しかし、言論、出版、表現の自由は、憲法21条で保障された最も重要な基本的人権の一つであり、この自由によって立つ新聞社であれば、なおさら個人の言論活動を尊重すべきだ。
 新聞労連の組合員の大半は、組織ジャーナリズムの中で取材活動に取り組み、自社の媒体で取材成果を示すことで、国民の知る権利に応えようとしている。ただ、すべての社員が自社の論調と同じ考えを持つことはあり得ないし、社と社員の間で記事掲載の可否をめぐる判断が常に一致するとも限らない。紙面の編集権は会社側にあるとしても、個々の社員が持つ表現の自由が狭められることは、あってはならない。
 私たちは、国民の知る権利や健全な民主主義を守るため、日々の取材活動に従事している。この目的さえ揺らがなければ、外部に記事を執筆するなどの社外活動は、多様な言論を守る上でも推奨されるべきだろう。明らかな事実誤認があったり、回復不能な人権侵害につながったりする記事でなければ、自らの姿勢を取材先などに明らかにした上で、あえて会社名を明記しなかったり、匿名で発表したりすることも認められるべきだと考える。
新聞労連は、言論の自由を守り真実の報道を続けようとする新聞人を守るため、1997年に「新聞人の良心宣言」を発表した。個人の多様な価値観を尊重し、自らの良心に反する取材・報道の指示があった場合は、拒否する権利をも認めている
 組織に所属し、会社の名前を使って取材活動をする以上、会社への迷惑行為があれば就業規則などに基づき処分を受けることもあるだろう。しかし、コンプライアンス強化を求めるあまり、むやみに社外活動を規制したり、事前検閲と誤解される対応を取ったりしてはならない。国民の知る権利に奉仕し、権力を監視するという報道機関の役割をあらためて確認するとともに、社員を萎縮させないよう、あらためて各社の慎重な対応を強く求める。

2016年4月15日(金) : 2016年3月22日付け「安田純平さんの即時解放を求める声明」の英語版をUP
We demand the immediate release of Jumpei Yasuda

March 22, 2016

Japan Federation of Newspaper Workers’ Unions
President Seigo Arasaki

A video footage of a man believed to be Japanese journalist Junpei Yasuda, who has remained unaccounted for since he entered Syria in June last year, was released online. As workers of the media, we were relieved to see him safe, and strongly demand that his captors release him as early as possible.

We could never tolerate the despicable act of demanding money in return for human life under all and any circumstances. It is a serious challenge to freedom of expression and the press ,which is recognized in the international community as a universal value, to target journalists whose mission is to report the truth to the world.

Japan has taken a clear position to place priority on ensuring Mr. Yasuda's safety as it is, without a doubt, the government’s responsibility to protect the Japanese nationals. We should not easily accept his captors' demands. However, we ask that the government makes its utmost effort in gathering and analyzing intelligence while considering Mr. Yasuda’s life as a top priority.

Meanwhile, we express our concern that criticism is mounting over Mr. Yasuda's journalistic activities.

Mr. Yasuda previously worked as a reporter for The Shinano Mainichi Shimbun daily and was a fellow member of the Japan Federation of Newspaper Workers’ Unions. He became freelance in 2003 because he felt his reporting and other activities were restrained. He explained that journalists must see what is happening in the battlefields with their own eyes and report it. When he was temporarily confined by a militant group in Iraq in 2004, he fully utilized his communication skills to win his release at an early date. He subsequently reported on the Iraqi War, which sacrificed the general public.

He proactively reported wars. "Reportage: Migrant workers at battlefields," which he authored based on his experience of working at an Iraqi forces base as a chef, conveyed the atmosphere of battlefields and the vanity of wars.

Mr. Yasuda's actions to respond to people's right to know in return for his own safety should not be unilaterally criticized.

We reconfirm that it is our position and the principle of journalism to oppose any violence and war and strongly hope that the case will be resolved peacefully to bring Mr. Yasuda back to us.

2016年4月1日(金) : 声明:情報隠しに抗議し秘密保護法廃止を求める
情報隠しに抗議し秘密保護法廃止を求める
2016年4月1日
日本新聞労働組合連合
中央執行委員長 新崎 盛吾

 特定秘密保護法に基づき政府の秘密指定状況を審査する衆参両院の情報監視審査会が初の報告書を両院議長に提出した。秘密指定が適正かどうかにつき、担当者が詳細な説明を拒むなど、政府から審査会に十分な情報提供がなされなかったことが判明、審査会は結局、指定適否の判断を見送らざるを得なかった。新聞労連は、このような情報隠しにより、国民の知る権利をないがしろにする政府の対応に強く抗議するとともに、秘密保護法の廃止をあらためて求める。
 秘密保護法は衆参両議院で強行採決が行われた結果、13年12月に成立した。国の情報は主権者である国民に知らされるべきであり、一部の政治家や官僚が独占してはならない。にもかかわらずこの法律は政府が恣意的に情報を秘密指定でき、永久に非公開にすることも可能にしている。新聞労連は新聞業界唯一の産業別労働組合として、法案段階から一貫して反対を表明してきた。
 衆参審査会では、2014年12月10日から同31日に、防衛省など10の行政機関が指定した特定秘密382件の指定状況を審査した。報告書によると、指定管理簿の項目に文書の総数や、文書のタイトル等の一覧さえも示されていないものがあったというが、審査会の開示要請に対して、政府側は「今後の情報収集活動に支障を及ぼすというおそれがあり、公表を前提とした国会報告に記載することは不適当と考えている」などと回答している。守秘義務を負い懲罰の対象となる審査会の委員に対してもこのような対応であれば、国民の知る権利を軽視していると言わざるを得ない。
 安倍晋三政権は今年夏の参院選に向け、安全保障関連法などの既成事実を積み上げた上で、憲法改正の目標を明確に掲げた。日本の平和憲法が最大の危機を迎える中、自民党による報道への介入傾向が強まり、表現や言論の自由を阻害する空気が広がりつつある。政権に都合の悪い報道に圧力を加え、番組への政治介入を狙う意図をあらわにしているともいえる。
 先の戦争で国は国民に戦況さえも知らせず、戦争への道をまい進した。秘密保護法や安保法によって、そのような悲劇が繰り返されることがあっては絶対にならない。今回の情報監視審査会の報告で、この法律の危険性があらためて明らかになった。新聞労連は国民の知る権利に奉仕する立場から、秘密保護法の一日も早い廃止を求め続ける。

                              以 上

2016年3月29日(火) : MIC声明:あらためて「戦争法」廃止を求める
MIC声明:あらためて「戦争法」廃止を求める

2016年3月29日
日本マスコミ文化情報労組会議
議長 新崎 盛吾

歴代政権がこれまで憲法違反としてきた集団的自衛権の行使を認め、自衛隊の活動範囲を大幅に拡大する安全保障関連法(戦争法)が施行された。これまで専守防衛に徹してきた戦後日本の安全保障政策は、大きな転換点を迎えたといえよう。私たちは、この法律が憲法9条の下にある平和国家としての信頼を根底から覆し、米国に追随した海外での軍事行動に道を開く恐れがあるとして、あらためて廃止を求める。
戦争法は昨年9月、多くの憲法学者や法律家らが違憲と指摘し、多くの市民が反対運動を繰り広げる中で強行採決され、成立した。国会審議の過程では、立憲主義に反するとの批判が相次ぎ、違憲論議は未だに決着がついていない。
何よりも問題なのは、自衛隊の活動が大きく変質していく可能性をはらんでいることだ。自衛隊の武器使用基準は緩和され、海外で他国軍への弾薬提供などの後方支援に加わったり、PKOで国連や非政府組織の職員が襲われた際に「駆け付け警護」を行ったりすることも可能になる。自衛隊の任務は格段に危うさを増し、隊員の命が危険にさらされることになる。
しかも安倍晋三政権は、この危険な任務を自衛隊に指示する時期を参院選後に先送りしようとしている。選挙に不利に働くテーマを先送りして争点を隠そうとする姿勢は、今に始まったことではないが、国民への説明責任という政権の最低限の義務すら果たしていないと言わざるを得ない。
日本にとって、戦争法の整備で本当に安全保障の抑止力が向上したのか、もう一度考えてみる必要がある。日米同盟は強化されたかもしれないが、米国の軍事行動に巻き込まれる必然性も明らかに高まった。これまで一人も殺さず、殺されることのなかった自衛隊が変わっていく危険性は、防衛大学校卒業生の任官辞退者が昨年の2倍近くに急増したことにも、如実に表れているといえよう。
安倍政権は今年夏の参院選に向け、憲法改正の目標を明確に掲げた。特定秘密保護法や戦争法などの既成事実を積み上げた上で、「憲法が時代に合わなくなった」というすり替えの論理を展開している。憲法9条の精神をないがしろにして改正に突き進む暴走は、止めなければならない。
日本の平和憲法は今、最大の危機を迎えている。私たちメディア業界で働く労働者は多くの市民と連帯し、戦争への協力を余儀なくされた過去の反省に立って、一日も早い戦争法の廃止を求め続ける。                      
以 上

2016年3月22日(火) : 【声明】安田純平さんの即時解放を求める
安田純平さんの即時解放を求める声明  昨年6月のシリア入国後に消息不明となっていたジャーナリスト、安田純平さんとみられる映像が、インターネット上で公開された。私たちは、同じ報道の現場で働く仲間の無事な姿にとりあえず安堵するとともに、犯行グループに一刻も早い解放を強く求める。
 人命と引き替えに金銭を要求する卑劣な行為は、いかなる理由があろうとも認めることができない。とりわけ、真実を伝える目的を持ったジャーナリストを標的にすることは、国際社会で普遍的な価値が認められている言論や表現の自由への挑戦だ。
 日本政府が安田さんの安全確保を第一に取り組む姿勢を表明しているのは、邦人保護の観点から当然のことだろう。犯行グループの要求を安易に受け入れる必要はないが、情報収集や情勢分析に全力を挙げて、人命最優先の考え方に基づき、最大限の努力を求めたい。
一方で私たちは、安田さんの取材活動への批判が強まっていることに、大きな懸念を抱いている。
 安田さんはもともと信濃毎日新聞の記者で、新聞労連の仲間だった。取材や行動に制約があるとして2003年、組織ジャーナリズムからフリーの立場に身を投じたが、その理由について「戦場で何が起きているのかを自分の目で見て伝えることが、ジャーナリストの役割だ」と話していた。04年にイラクで武装勢力に一時拘束された時も、持ち前のコミュニケーション能力で早期解放への道筋を付け、民衆が苦しむイラク戦争の実態を明らかにした。
 その後も戦争取材に積極的に取り組み、イラク軍の基地で料理人として働いた経験を基にまとめた「ルポ 戦場出稼ぎ労働者」は、戦場の空気感や戦争のむなしさを見事に伝えている。自らの危険と引き替えに国民の知る権利に応えようとした安田さんの行動は、決して一方的に非難すべきものではない。
 私たちはジャーナリズムの原点として、あらゆる暴力と戦争に反対する立場を確認するとともに、平和的な手段で解決が図られることを強く望む。 以上
2016年3月22日
新聞労連中央執行委員長
新崎 盛吾



2016年1月15日(金) : 第20回新聞労連大賞、第10回疋田桂一郎賞決まる!
選考中の様子 選考中の様子
< 選 考 結 果 >

大賞  1件 
優秀賞 2件 
特別賞 1件 
疋田賞 2件 


大 賞 1件(3作品)

・毎日新聞東京本社 社会部 日下部聡、樋岡徹也記者による
「憲法解釈変更の経緯 公文書に残さず」など内閣法制局をめぐる一連の報道
・毎日新聞東京本社 社会部 青島顕(けん)記者による
会計検査院が秘密保護法を「憲法上問題」と指摘
・毎日新聞東京本社 社会部 川上晃弘、山田奈緒、 松山支局 傳田(でんだ)賢史記者による
連載企画「日米安保の現場〜軍用地料の『意図』」
                
以上が3作品セットで大賞を受賞しました。


優秀賞 2件 

@
北海道新聞編集局「戦後70年 北海道と戦争」企画取材班による
北海道と戦争

A
高知新聞取材班による
秋(とき)のしずく 〜敗戦70年といま〜


疋田桂一郎賞 2件

@
朝日新聞社 編集委員 高木(たかき)智子記者による
「隔離の記憶」などハンセン病をめぐる一連の報道

A
沖縄タイムス社 編集局 篠原知恵記者による
「辺野古バブル」に揺れる島〜奄美大島の採石現場から〜


特別賞 1件

・沖縄タイムス社「報道圧力」問題取材班
・琉球新報社 編集局による
「報道圧力」問題をめぐる一連の報道と対応


<選考評>

大賞 

毎日新聞 
「憲法解釈変更の経緯 公文書に残さず」など3作品

 安全保障法制、秘密保護法、沖縄の米軍新基地建設という自公政権が強行した政策を緻密に検証し、ストレートニュースに仕上げて問題点を明確に切り出した。いずれの記事も、問題意識を持って情報公開請求を駆使し、集めた材料を丹念に分析した上で、関係者取材による裏付けを取っている。権力監視というメディアの役割が問われる中、読者の信頼に調査報道でしっかり応えた労作といえるだろう。

優秀賞 

北海道新聞 「北海道と戦争」
高知新聞 「秋(とき)のしずく〜敗戦70年といま」

 戦後70年をテーマにした連載企画の応募が目立つ中、2社の記事の完成度が高かった。いずれも地元関係者への取材を足がかりにして、市民目線から見た戦争の記憶を1年以上の長期連載で丁寧に伝えた。北海道は、米軍関連資料を発掘するなど膨大な事実を積み上げ、論点も整理されて読みやすかった。高知は戦争被害だけでなく、731部隊など加害の歴史をしっかり取り上げており、読み応えがあった。

疋田桂一郎賞 
朝日新聞・高木智子記者
「『隔離の記憶』などハンセン病をめぐる一連の報道」
ハンセン病による隔離政策という負の歴史を長年にわたって追い続け、本にまとめた取り組みを評価したい。人権を守る報道を表彰する疋田賞にふさわしい。

疋田桂一郎賞 
沖縄タイムス・篠原知恵記者
「『辺野古バブル』に揺れる島〜奄美大島の採石現場から〜」
新基地建設の問題を、沖縄県外から提起した視点が目新しい。入社3年目の記者が、住民の複雑な心情を綿密に取材した様子がうかがえる。今後の活躍に期待したい。

特別賞 沖縄タイムス、琉球新報 
「報道圧力」問題をめぐる一連の報道と対応
 自民党若手議員の勉強会で「つぶさなければならない」と名指しされた沖縄の地元2紙は、編集局長の合同声明を迅速に出すなど的確に反応し、暴言・妄言にも歴史的な事実を連日報道して反撃した。メディアとして当たり前の対応ではあるが、さまざまな報道への圧力が強まる中、言論でしっかり闘った姿勢に敬意を表したい。


総評
 20回の節目ということもあったのか、近年では最も多い22作品が競う激戦だった。戦後70年をテーマにした大作が目立つ中、新聞の原点とも言える特ダネを大賞に選んだ。戦争関連では、「焦土に咲いた花 戦争と沖縄芸能」(琉球新報)、「ヒロシマの10代がまく種」(中国新聞)の企画が目新しかった。「『あした』探して」(茨城新聞)の洗練された文章や、女性記者ならではの視点を生かした「震災と女性」(徳島新聞)を評価する声も上がった。


< 授 賞 式 >

 全ての授賞式は、新聞労連第127回臨時大会終了後に行われます。つきましては受賞結果の報道ならびに授賞式の取材・報道をお願いいたします。

日時:1月22日(金)
場所:台東区民会館9F ホール

授賞式は新聞労連臨時大会終了後直ちに行います。目安は12:30頃です。(多少の時間のずれが生じるかもしれません)

<会場住所>
〒111-0033 東京都台東区花川戸2丁目6−5
電話:03-3843-5391


<交通>
東武線、地下鉄銀座線「浅草駅」徒歩5分
都営地下鉄「浅草駅」徒歩8分


<地図>
http://ketto.com/map/taitou.htm


<補足>

 新聞労連ジャーナリズム大賞は、当初新聞労連ジャーナリスト大賞として、1996年に制定されましたが、2012年に名称変更しました。全国紙、地方紙を問わず優れた記事を評価し、取材者を激励するために制定した顕彰制度です。今年の応募作品は13組合から22(昨年は15)作品でした。

 「疋田桂一郎賞」は、2006年に新設されました。「人権を守り、報道への信頼増進に寄与する報道」に対して授与されます。新聞労連ジャーナリスト大賞の選考委員だった故・疋田桂一郎氏のご遺族から、「遺志を生かして」として提供された基金に依っています。



2015年9月17日(木) : 新聞労連声明「憲法違反の「戦争法案」強行採決に抗議」を発表
憲法違反の「戦争法案」強行採決に抗議

 自民、公明両党などが17日、参院特別委員会で安全保障関連法案(戦争法案)の強行採決に踏み切ったことに、新聞労連は「民意を無視した政権の横暴だ」として、強く抗議する。戦後70年、日本は憲法9条の精神に基づいて「平和国家」の道を歩み、自衛隊が戦争に巻き込まれることはなかった。今回の戦争法案は、米国の意向に従って自衛隊の海外活動を飛躍的に拡大させることを可能にし、平和国家として積み上げてきた国際社会における日本の信頼を根底から覆してしまう恐れがある。
 安倍晋三政権は「国民に丁寧に説明したい」として、今国会の会期を大幅に延長して戦争法案の審議を続けた。7月に衆院で強行採決に踏み切った際も「十分な理解が得られているとはいえない」と認めて、説明責任を尽くすことを約束したはずだった。その結果はどうだったのか。
 大半の憲法学者だけでなく、内閣法制局長官や最高裁判事の経験者までもが「憲法違反」との見解を明確に示し、与党側は答弁不能に陥って審議中断に追い込まれることもたびたび起きた。政権の支持率は、審議時間の積み重ねと反比例するかのように落ち込み、世論調査でも今国会での採決に反対する意見が過半数を占めるようになった。法案への理解は深まるどころか、国民の不信感が日に日に強まっていったのは間違いない。
 国会前では一般市民が連日集まって、廃案を求める声を上げ続けた。8月30日には、約12万人という空前の規模の人々が国会周辺を埋め尽くした。組織的な動員ではなく、女性や若者らが、自らの意思で昼夜を問わず集まり「9条を壊すな」「戦争反対」などと声を上げていた。過去の学生運動のように過激な行動に走ることなく、反対の意思を示し続けるさまは、民主主義を体現しているとして、海外で驚きとともに高く評価された。
 今回の強行採決は、数の論理を背景にした多数決主義であり、異論を一切認めない暴走と言っても過言ではない。国会審議で十分な説明を尽くせず、国民の理解が深まらなかった責任を取って、法案を出し直すべきではなかったのか。米国議会で法案成立の公約を掲げ、結論ありきで国会審議を押し通した姿勢は、民主主義のあるべき姿から程遠い。
 新聞労連は、先の戦争に加担した反省を基に「戦争のためにペンをとらない、カメラを持たない、輪転機を回さない」と誓い、平和と民主主義を守る活動に取り組んできた。今後も戦争につながる一切の動きに対峙し、国民に権力監視を付託された立場から、政権の横暴には断固として反対の姿勢を貫く覚悟だ。

2015年9月17日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 新崎盛吾

以上

2015年7月15日(水) : MIC声明「世論無視の強行採決に強く抗議する」
強行採決に強く抗議する声明 MIC声明「世論無視の強行採決に強く抗議する」

 自民、公明両党が15日の衆院特別委員会で、自衛隊の海外活動拡大を可能にする安全保障関連法案(戦争法案)の強行採決に踏み切ったことに、日本マスコミ文化情報労組会議は「平和を願う国民の声を無視した暴挙だ」として、強く抗議する。

 法案は、衆院憲法審査会に自民党推薦で出席した学者や内閣法制局長官経験者までが「憲法違反」と指摘し、さまざまな立場から「廃案にすべきだ」「慎重な審議が必要」などと、与党側の拙速な対応を疑問視する声が上がっている。審議が進むにつれて法案の曖昧さが浮き彫りになり、閣僚の間で見解や答弁が食い違うケースもたびたび見られた。憲法学者に「違憲」と指摘されれば「合憲という学者もいっぱいいる」と答え、「合憲とする学者の名前をいっぱい挙げて」と言われて3人しか挙げられなかったのに「数の問題ではない」と言い訳するありさまは、まるで下手な漫才か茶番劇を見ているかのようだった。

 新聞やテレビ各社の世論調査では、法案への「反対」が「賛成」を圧倒的に上回り、安倍晋三内閣の支持率も審議時間と反比例するかのように落ち込み、ついには不支持率が支持率を上回るまでになった。審議時間を重ねてアリバイ作りをしただけで数の論理を押し通した強行採決は、「十分な説明が尽くされていない」との国民の疑問にまったく耳を傾けず、「戦争ができる国づくり」に盲進する愚行だ。安倍首相が米議会で表明した対米公約を果たすためならば、沖縄・辺野古への新基地建設と同様、対米従属の政治姿勢をあらわにしたともいえるだろう。

 さらに看過できないのは、自民党若手議員の勉強会(文化芸術懇話会)に講師として出席した作家の百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と主張し、参加した議員から「マスコミを懲らしめるべきだ」などと、報道の自由を軽視した発言が相次いだことだ。民主主義の根幹の一つである報道の自由、言論・表現の自由を全く理解せず、上から目線で世論操作を図ろうとする議員の資質は問題にせざるを得ない。

 私たちメディアに関わる者は、権力による言論封殺につながる動きを許さず、平和と民主主義を守るために、今後も憲法違反の「戦争法案」に反対の声を上げ、廃案を目指して運動を続けていく。

以上

日本マスコミ文化情報労組会議:新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労

2015年6月26日(金) : 百田尚樹氏と自民党国会議員の発言に抗議する声明を発表
百田尚樹氏と自民党国会議員の発言に抗議 百田尚樹氏と自民党国会議員の発言に抗議

 憲法改正を推進する自民党若手議員が集まった25日の勉強会で、作家の百田尚樹氏が沖縄の地元紙を「つぶさないといけない」と発言したことに、新聞労連は「新聞メディアへの弾圧であり、報道の自由への侵害だ」として強く抗議する。

 報道によると、沖縄県の地元紙が政府に批判的だとの意見に対し、百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」と主張した。個人の発言は自由であり、新聞への批判や異なる主張について我々は真摯に受け止める。しかし百田氏は今年2月までNHKの経営委員を務めるなど、メディアに関わってきた人物であり、約40人の国会議員が集まる場で講師として発言している以上、看過するわけにはいかない。「島が中国に取られれば目を覚ます」という発言も、米軍基地集中の負担に苦しむ沖縄県民の思いを逆なでする危険な発想だ。

 安全保障関連法案(戦争法案)を批判する報道に関し、出席した議員から「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」との発言もあったとされる。報道の自由を侵害しているという自覚がないとすれば、憲法軽視も甚だしく、立憲主義国家の国会議員としての識見が問われかねない。

 沖縄タイムスと琉球新報は、太平洋戦争で住民の4人に1人が命を落とした激しい地上戦を経験し、今も米軍基地が集中する沖縄の地元紙として、文字通り市民に寄り添った報道を続けている。昨年の知事選や衆院選で明確に示された「辺野古への新基地建設反対」「集団的自衛権の容認反対」という民意を反映し、市民目線の論調を守り続けている。新聞労連は、沖縄の加盟単組の仲間が地元に密着して取材、報道を続ける姿勢に敬意を表し、ともに連帯して不当な批判と闘っていくことを約束する。

2015年6月26日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 新崎盛吾


2015年6月24日(水) : 「戦争法案」の即時廃案を求める
「戦争法案」の即時廃止を求める 「戦争法案」の即時廃案を求める

 自衛隊の海外活動拡大を可能にする安全保障関連法案(戦争法案)を審議している国会の会期が、与党側の一方的な事情で9月27日まで延長された。「国民に丁寧に説明した」というアリバイをつくり、大多数の「反対」の声を踏みにじるための方策であれば、絶対に認める訳にはいかない。

法案には、さまざまな立場から「憲法違反」との指摘が相次ぎ、「今国会で成立の必要はない」「慎重に対応すべきだ」などと、拙速な審議を疑問視する声が挙がっている。新聞やテレビ各社の世論調査でも「反対」が多数を占め、安倍政権が「国際情勢の変化」を理由に成立を急ぐのと反比例するかのように、内閣支持率も下降している。新聞各紙の中でも、地域住民の意見を特に重視する地方紙で、法案の問題点を指摘したり政府の姿勢を厳しく批判したりする論調が目立つのは、全国に不信感が広がっている表れだろう。国民の意思は明らかに示されており、戦争法案は即時廃案にすべきだ。

 法案の法的根拠となる昨年7月の集団的自衛権の閣議決定による容認も、多くの憲法学者や内閣法制局の長官経験者らが「違憲」だと指摘した。6月4日の衆院憲法審査会では、自民党が推薦した憲法学者までが同様の見方を示したが、与党幹部は「憲法の番人は最高裁であって憲法学者ではない」と発言。圧倒的な数の論理を背景に、さまざまな意見に耳を傾ける政治家の基本的な姿勢すら忘れ去ってしまったかのようだ。
これまでの国会審議でも、安倍首相をはじめとする閣僚の不誠実な答弁が目立った。閣僚同士の見解にも食い違いがみられ、国民の理解は全く進んでいない。歴代の自民党政権でさえも長年認めなかった集団的自衛権を、閣議決定だけでひっくり返した昨年7月の暴挙から始まり、戦争法案の成立に向かって突き進む安倍政権の国会運営を許してはならない。

 昨年12月に施行された特定秘密保護法も、この戦争法案と同一線上にある。自衛隊の海外派遣や武力行使を判断するために必要な情報が、「防衛」「外交」などの分野で特定秘密に指定され、国民に知らされない危険性が増している。「戦争は秘密から始まる」のだ。
 新聞労連は、先の戦争に新聞が協力を余儀なくされた反省を基に「戦争のためにペンをとらない、カメラを持たない、輪転機を回さない」と誓い、平和と民主主義を守る活動に取り組んできた。その平和と民主主義が脅かされる今こそ、全国の新聞産業の仲間に「平和のためにペンをとろう、カメラを持とう、輪転機を回そう、そして平和をうたう新聞を届けよう」と呼び掛け、戦争につながる動きには断固として対峙していく。

2015年6月24日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 新崎盛吾

2015年3月3日(火) : MICが2月25日、米軍による市民の不当拘束・反対運動の弾圧に抗議する声明を発表
米軍による市民の不当拘束・反対運動の弾圧に抗議する声明

2015年2月25日
日本マスコミ文化情報労組会議
議長 新崎 盛吾(新聞労連委員長)

MIC声明
米軍による市民の不当拘束・反対運動の弾圧に抗議する声明

 沖縄県名護市の辺野古新基地建設への抗議行動を続けている沖縄平和運動センターの山城博治議長ら2人が22日、在沖米海兵隊に拘束されたことに対し、平和と民主主義を守る立場から強く抗議する。

 山城議長は、1月に政府が強行再開した海底ボーリング調査の準備作業に抗議するため、米軍キャンプ・シュワブゲート前で連日続く反対運動の中心的な存在だ。2010年の参院選沖縄選挙区で次点になり、13年の参院選でも社民党の比例代表候補として出馬するなど、沖縄県政で中心的な立場を担っている。

 沖縄県マスコミ労働組合協議会(滝本匠議長)の説明によると、拘束の経緯から山城議長を狙い撃ちして反対運動の弾圧を図った可能性が高い。沖縄県警は、拘束の4時間後に刑事特別法違反容疑で2人を逮捕、送検し、35時間後に釈放した。米軍の不当拘束を追認した県警の姿勢も非難されてしかるべきだ。

 そもそも混乱の背景にあるのは、昨年1月の名護市長選、11月の沖縄県知事選、12月の衆院選沖縄選挙区で、基地建設反対を掲げた候補が圧倒的な勝利を収めたにもかかわらず、沖縄の民意を一顧だにせずに作業再開を強行した安倍政権の姿勢だ。「丁寧に説明する」「沖縄に寄り添う」と空虚な答弁を繰り返しながら、新知事との面会を拒否し一方的に基地建設を推し進め、抗議行動を力ずくで押さえ込もうとする態度は民主主義の否定であり、絶対に認めることはできない。

 アジア太平洋戦争で最大規模の地上戦を経験し多大な犠牲者を出した沖縄で、米軍は銃剣とブルドーザーを使って強制的に住民を排除し、基地の拡張を続けた。1972年の日本復帰後も在日米軍基地の7割以上が集中し、沖縄県民は米軍絡みの事件で基本的人権を侵され続けてきた。一般市民が当たり前のように声を上げる沖縄の反対運動の高揚が、日本政府による長年の抑圧の結果だということを、国はまだ理解することができないのだろうか。

 現場では沖縄県警の警察官や海上保安庁の職員が、抗議行動を取材する記者やカメラマンを強制的に排除するなど、取材妨害も相次いだ。昨年11月には、地元紙記者を県警機動隊が取り囲んで威嚇し、報道腕章を奪ったり眼鏡を破損したりする事件も起きた。

 平和と民主主義、そして表現・報道の自由を旗印に掲げる日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)は、今回の不当拘束、反対運動の弾圧に強く抗議する。そして、沖縄のマスコミの仲間と共闘して文字通り民意に寄り添い、一方的な基地建設に断固反対を貫く。

以 上

2015年2月2日(月) : We condemn brutal slaying of Kenji Goto日本人人質の殺害を糾弾する
(English)
http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/150203.htm

声明・「日本人人質の殺害を糾弾する」

2015年2月1日
日本新聞労働組合連合 (新聞労連)
委員長 新崎 盛吾

 「イスラム国」を名乗るグループが、フリージャーナリストの後藤健二さんを殺害したとする映像声明を公開したことに強い憤りを表明し、人間の命を軽視する姿勢を厳しく糾弾する。後藤さんら日本人2人の殺害が事実であるならば、ご家族に心から哀悼の意を示し、お悔やみを申し上げたい。

 後藤さんは紛争地で子供や女性に寄り添いながら取材を続け、著書や映像を通じて平和への願いを発信してきたという。私たちは同じ報道の現場で働く立場から、後藤さんの思いを引き継ぎ、世界の平和と民主主義の実現を目指して努力することをあらためて誓う。
ジャーナリストら民間人を人質に取って身勝手な要求を繰り返し、残虐な手段で殺害する犯行グループの卑劣な手口には、激しい怒りを禁じ得ない。今後も日本人を標的にすると宣言しているが、どのような主義主張があろうともテロや暴力は絶対に認められず、国際社会の連携強化で封じ込めを図るよう望みたい。

 一方で日本が、イスラム国と軍事力で対峙する欧米諸国と同列に見なされたという現実も受け止めなければならない。憲法9条を掲げ、世界で唯一の被爆国として一目置かれていた「平和国家」のイメージは、イラクへの自衛隊派遣や日米同盟強化の流れの中で、確実に塗り替えられつつある。テロに対する怒りが、人道支援を逸脱した自衛隊の海外派遣や軍事力強化の口実に利用されないよう、日本政府の対応を注視したい。

以 上

2015年1月30日(金) : 1月21日に出した「日本人人質の即時解放を求める」MIC声明を日・英版でアップ
MIC Statement
We demand the immediate release of Japanese hostages

January 21, 2015
MIC (Workers of Mass media, Information and Culture)
Chairman Seigo Arasaki

Islamic State, an extremist organization that has been expanding its influence in Syria and Iraq, released video footage of Japanese freelance journalist Kenji Goto and another Japanese hostage on Jan. 20, threatening to kill them within 72 hours unless the Japanese government pays $200 million in ransom.
We condemn the cowardly act of demanding a ransom in exchange for people's lives. We also consider targeting journalists as being a serious violation against the freedom of expression and speech whose utmost value is respected by the international society. We, workers of the mass media, information and culture industries, strongly demand that the militant organization immediately release the two hostages.
At the same time, we need to carefully assess the crisis involving Japanese nationals. People of Arab nations were said to be pro-Japanese. However, we feel that their perception has been changing ever since Japan dispatched its Self-Defense Forces to Iraq in 2004. We must take note of the fact that the video of the hostages was released during Prime Minister Shinzo Abe's visit to the Middle East earlier in January and his announcement of $200 million in aid to support the states battling IS.
If the Abe administration were to push ahead with Japan's remilitarization and proactive deployment of SDF overseas in the name of protecting its nationals abroad, Japanese nationals would face a higher risk. Although Japan should not unconditionally grant IS's demand, we urge our leaders to make utmost efforts and consider the lives of the hostages as a priority.
It is our understanding that Islamic teachings respect life and peace. We, too, as journalists share this principle: We stand against any form of violence and war. We wish to overcome this crisis however possible.


MIC声明
日本人人質の即時解放を求める

2015年1月21日
日本マスコミ文化情報労組会議
議長 新崎 盛吾

 シリアやイラクで勢力を拡大する「イスラム国」を名乗るグループが20日、フリージャーナリストの後藤健二さんら2人とみられる日本人を人質に取り、72時間以内に身代金2億ドルを支払わなければ殺害すると警告する映像をインターネット上に公表した。

 人命と引き替えに金銭を要求する卑劣な行為は、いかなる理由があろうとも絶対に認めることができない。ジャーナリストを標的にすることは、国際社会で最大限の価値を認められている言論や表現の自由への著しい侵害でもある。私たちはマスコミ・文化・情報の現場で働く立場から、犯行グループに対して、2人の命を奪うことなく一刻も早く解放することを強く求める。

 一方で今回、日本人が狙われたという事態は、重く受け止めなければならない。一昔前まで、アラブの人々は一般的に親日意識が強いとされていたが、イラクに自衛隊が派遣された2004年ごろから、日本人への視線が変容してきたように感じる。イスラム国対策として約2億ドルの支援を表明した安倍晋三首相の中東歴訪のタイミングに合わせ、映像が公表されたことからも、人質事件が日本政府の態度と無関係とは言えないだろう。

 安倍政権が海外の邦人保護を名目に、さらなる軍事力強化や自衛隊の積極的な海外進出を図るのであれば、日本国民の生命への危険性はさらに高まる。犯行グループの要求を無条件に受け入れる必要はないが、政府には人命最優先の考え方に基づいて、最大限の努力を求めたい。

 イスラム教の教えは本来、命や平和を尊ぶ考え方だと理解している。私たちはジャーナリズムの原点として、あらゆる暴力と戦争に反対する立場を確認するとともに、平和的な手段で解決が図られることを望んでいる。

以 上

2015年1月13日(火) : 第19回新聞労連ジャーナリズム大賞、第9回疋田桂一郎賞決まる
選考委員会の様子  今回の対象作品は昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、
鎌田慧(ルポライター)、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日発行人)、
青木理(元共同通信記者、フリーランスジャーナリスト)の選考委員4氏による審査で選定されました。

< 選 考 結 果 >

大 賞 1件(2社)

基地移設問題と県知事選などをめぐる一連の報道 
・琉球新報社編集局(辺野古問題取材班)による「普天間・辺野古 問題」を中心にこの国の民主主義を問う一連の報道キャンペーン
・沖縄タイムス社社会部阿部岳(たかし)記者、政治部吉田央(な か)記者による連載「新聞と権力」
・沖縄タイムス社社会部知事選取材班による沖縄県知事選をめぐる
 一連の社会面企画
・沖縄タイムス社「普天間」取材班による連載「日米同盟と沖縄  普天間返還の行方」
以上4作品がセットで大賞を受賞しました。

優秀賞 2件(3社) 

1 北海道新聞特定秘密保護法取材班による特定秘密保護法成立後  の一連の報道

2 子どもの貧困をめぐる一連の報道
・宮崎日日新聞社「だれも知らない」取材班による石井十次没後  100年企画「だれも知らない〜みやざき子どもの貧困」
・下野新聞社編集局子どもの希望取材班による 希望って何ですか 〜貧困の中の子ども〜
以上1作品と2作品セットで優秀賞を受賞しました。

特別賞 1件(1社)

朝日新聞社木村英昭記者、宮崎知己(ともみ)記者による原発吉田調書をめぐる特報

疋田桂一郎賞 1件(1社)

新潟日報社五泉支局長 鈴木啓弘(あきひろ)記者による証言 村松の少年通信兵


第19回新聞労連ジャーナリズム大賞
第9回疋田桂一カ賞 選考評

【大賞】
「基地移設問題と県知事選などをめぐる一連の報道」
(琉球新報、沖縄タイムス)
 戦後70年を前に、県知事選、衆院選という大きな節目を報じた沖縄2紙の一連の記事には、
取材の蓄積に裏打ちされた奥深さや一貫したぶれない姿勢が感じられた。
地元の視点にこだわった検証記事には特に迫力があった。「普天間・辺野古問題」
を一括して応募した琉球新報と、企画ごとに3作品を応募した沖縄タイムスの記事に
甲乙はつけがたく、双方の作品を合わせて評価したい。

【優秀賞】
「特定秘密保護法成立後の一連の報道」(北海道新聞)
 2013年12月の成立後も引き続き、ジャーナリズムを脅かす法の問題点をさまざまな
角度から粘り強く洗い出した姿勢を評価したい。子供向けのQ&Aで仕組みを解説したり、
幅広い分野の人々から意見を集めたり、取材やアプローチの工夫が目立った。取材者の強
い問題意識も感じられた。

【優秀賞】
「子どもの貧困をめぐる一連の報道」(宮崎日日新聞、下野新聞)
子どもの貧困という社会問題を、地元紙が「足下」のテーマとして取り組んだ力作だった。
関東と九州から期せずして同じ企画の応募があったことに、問題の深刻さを再認識させられた。
それぞれの地方の閉塞感を浮き彫りにした企画内容で、双方を評価するべきだと考えた。

【疋田桂一カ賞】
「村松の少年通信兵」(新潟日報)
 戦争末期に設立された地元の教育機関をフォローし、高齢化が進む「少年兵」の証言を
丹念に集めた力作。地方紙の支局勤務の記者が、一つのテーマを持って地道に全国で
取材を展開しており、記者の努力に加えて取材を後押しした新聞社の度量や周囲の協力にも
賛辞を送りたい。

【特別賞】 
原発吉田調書をめぐる特報(朝日新聞) 
 作品として応募はなかったが、非公開とされていた調書を公に出すきっかけになったという点で、
昨年1番のスクープと言っても過言ではない。特定秘密保護法が施行され、情報にアクセスしにく
くなる時代に、隠蔽された情報を入手して報じた功績は素直に評価すべきだ。朝日新聞社は記事を
取り消したが、選考委員は「虚報やねつ造と同列に論じるのはおかしい」との見解で一致した。

【総評】
 原発問題を扱った「全電源喪失の記録 証言福島第1原発」(共同通信)と
「再考原子力 新潟からの告発」(新潟日報)は、取材が綿密で読ませる力作だった。
「揺れるやすらぎの家〜検証グループホーム火災」(長崎新聞)も、事件をしっかり
フォローした姿勢は評価できる。戦争をテーマにした作品が目立ったが、戦後70年の
今年の報道にも注目したい。中央紙やブロック紙の応募が少なかった点は残念だった。

以上

2014年12月10日(水) : 秘密保護法施行に際し声明を発表
12.6秘密法施行許すな大集会後にデモする新聞労連の仲間 声明:特定秘密保護法施行に強く抗議し、あらためて廃止を求める

2014年12月10日
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 新崎盛吾

 突然の衆議院解散による選挙戦のどさくさに紛れ、特定秘密保護法が12月10日に施行された。多くの反対の声を数の論理で抑え込んだ昨年12月の強行可決から1年。全国各地で続いた反対運動にもかかわらず、小手先の手直しだけで施行に踏み切った政府の姿勢に強く抗議する。

 新聞労連は、取材や報道の自由を侵害し国民の知る権利を脅かす「悪法」だとして、一貫して反対の声を上げ続けてきた。官庁の恣意的な判断で情報が隠蔽され、その「秘密」にアクセスしようとする者や漏らした者を罰する法律は、たとえ「報道への配慮」が明記されていたとしても、憲法で保障された表現の自由を束縛することは明白だ。国際的な労働組織からも「行政の情報統制は独裁国家への道だ」との懸念が示された。私たちは、権力の情報隠しを容認し取材活動を萎縮させる悪法の廃止を、今後も訴え続けていく。

 これまでも、政府の機密情報を入手した新聞記者が逮捕されたり、取材目的の行動が違法行為に当たるとして記者が書類送検されたりしたケースは少なくない。1972年に沖縄返還をめぐる密約をスクープした毎日新聞の記者が、国家公務員法違反の罪で有罪判決を受けた「西山事件」はよく知られているが、秘密保護法の施行で同様の事態が起きる可能性は高まっている。捜査当局は世論の反発を恐れ、逮捕という分かりやすい形は避けるかもしれないが、さまざまな方法で不都合な取材活動に圧力をかけてくることが予想される。私たちは広くアンテナを張り巡らせ、感覚を研ぎ澄ませて当局の動きを監視し、不当な行為を公表するなどして対峙する決意だ。

 新聞労連の調査では「情報提供者が萎縮して取材に応じなくなる」「米軍や自衛隊の取材を避ける傾向が強まる」などと、現場から懸念の声が寄せられた。取材活動への悪影響は明らかだが、「権力監視の手を緩めてはならない」「萎縮することなく頑張りたい」との力強い決意表明もあった。新聞労連は、秘密保護法の施行後も運用状況に目を光らせるとともに、反対運動を風化させることなく、メディアの仲間と連帯して国民の知る権利を守る活動を続けることを宣言する。

(写真は12.6秘密保護法の施行許すな!大集会のあと、銀座に向けてデモする新聞労連の組合員)


2014年10月10日(金) : 産経新聞前ソウル支局長の韓国検察当局による起訴に対する抗議声明
[声明]
産経新聞・前ソウル支局長の起訴に抗議する声明

日本新聞労働組合連合(略称:新聞労連)
中央執行委員長 新崎盛吾

産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が執筆した朴槿恵大統領の動静をめぐる記事について、韓国の検察当局が加藤前支局長を在宅起訴したことに、新聞労連は取材と報道の自由を著しく侵害する行為だとして強く抗議し撤回を求める。

産経新聞は、旅客船セウォル号が沈没した日に朴大統領が男性と会っていたとのうわさがあるとの内容の記事を、8月3日付でウェブサイトに掲載。市民団体から告発を受けた検察は8日、虚偽の事実を記事にして朴大統領と男性の名誉を棄損したとして、情報通信網法違反罪で在宅起訴した。出国禁止処分も8月から続いており、加藤前支局長は2か月以上出国できない状況に追い込まれている。

そもそも大事故が起きた時の国のリーダーの行動は、報道機関が当然取材すべき国民の関心事であり、憲法で表現の自由が保障されている日本で刑事事件になることは考えづらい。政府に批判的な報道を処罰するような国が、民主主義国家だと胸を張って言えるのだろうか。韓国に独自の法体系があり、思想や表現の自由に一定の制約があるとしても、今回の在宅起訴はジャーナリズムの国際基準からみて、極めて特異なケースだ。

産経新聞労組は1961年に新聞労連を脱退しているが、新聞労連としては韓国で取材活動を行う全ての報道機関の取材活動に大きな影響を与える問題だと認識している。韓国の検察当局は、一刻も早く加藤前支局長の在宅起訴を撤回して行動の制限を解き、民主主義国家として取材と報道の自由を保障するよう強く求める。

2014年10月9日
以上


2014年10月9日(木) : 2つの声明文
10/3「産経新聞ソウル支局長への捜査を懸念する」
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 新崎 盛吾

 産経新聞の加藤達也ソウル支局長(当時)が8月に執筆した朴槿恵大統領の動静をめぐる記事が、名誉毀損にあたる疑いがあるとして、韓国の検察当局が捜査を続けていることに、新聞労連は取材と報道の自由を守る立場から強い懸念を表明する。

 産経新聞は、旅客船セウォル号が沈没した日に朴大統領が男性と会っていたとのうわさがあるとの内容の記事を、8月3日付でウェブサイトに掲載。市民団体から告発を受けた検察が、8月に加藤支局長から2回事情聴取したほか、10月2日にも出頭を求めて聴取したと報じられた。法相による出国禁止処分も延長が繰り返され、加藤支局長は約2か月間出国できない状況に追い込まれている。

 そもそも大事故が起きた時の国のリーダーの行動は、報道機関が当然取材すべき国民の関心事であり、憲法で表現の自由が保障されている日本で刑事事件になることは考えづらい。韓国に独自の法体系があるとしても、取材と報道の自由に抵触する今回の事態は、ジャーナリズムの国際基準から考えて、きわめて特異なケースといえるだろう。

 産経新聞労組は1961年に新聞労連を脱退しているが、新聞労連としては全ての新聞労働者の取材活動に大きな影響を与える問題だと認識している。韓国の政府・検察当局には、一刻も早く加藤支局長への捜査を取りやめて行動の制限を解き、民主主義国家として取材と報道の自由を保障する姿勢を確認するよう強く求める。

以上

10/9「脅迫や個人攻撃による言論封殺を許さない」
日本新聞労働組合連合(新聞労連)
中央執行委員長 新崎 盛吾

 かつて慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の勤務先の大学に退職を要求する脅迫文が送りつけられ、インターネット上で家族を含めた個人攻撃が続いていることに、新聞労連は学問や思想信条の自由を守る立場から強い怒りを表明する。
 朝日新聞は8月、慰安婦報道の検証記事を掲載し、朝鮮人女性を強制連行したといういわゆる「吉田証言」が虚偽だったとして、過去の関連記事を取り消した。脅迫の対象となった元記者は、元慰安婦の裁判を支援する団体の幹部が身内にいたことなどを理由に、過去の記事で意図的なねつ造があったのではないかなどの批判を受け、検証記事の中で誤用があったことは認めている。ただ、記事の内容や経緯の如何を問わず、意に沿わない記事を書いた取材者を社会から排除しようとする行為は、言論の封殺につながり、絶対に看過できるものではない。
 1987年5月、朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、当時29歳の記者が殺害され、別の記者が重傷を負う事件が起きた。「赤報隊」を名乗る犯行声明は、朝日新聞の報道姿勢を批判する内容だった。民主主義社会において、威力や暴力で言論の自由を屈服させる行為を二度と許してはならない。
 元記者が非常勤講師として勤務する北星学園大(札幌市)は、3月中旬以降に抗議や脅迫が相次いだため警察に被害届を出したことを明らかにし、「大学の自治を侵害する卑劣な行為に、毅然として対処する」との立場を表明している。学者や弁護士らが大学を支援する会を結成するなどの動きも広がっている。
 新聞労連は、脅迫に屈しない大学の姿勢を支持するとともに、元記者への個人攻撃を許さず、言論の自由を守るための取り組みを続けていく。

以上

2014年8月15日(金) : しんけん平和新聞10号を発行
 新聞労連が毎夏作成している「しんけん平和新聞」の第10号が発行された。各単組に配布しているほか、1部100円相当のカンパ協力(教育目的などは無料)で頒布している。
 今回は、10号を記念し、「忘れてはいけないこと」について各地から記事を募った。東日本大震災、阪神・淡路大震災を含め、現在も苦しみが続く水俣病、工場が閉鎖され風化が懸念される森永ヒ素ミルク事件、JR福知山線事故などいずれも「命」に関わる歴史的出来事だ。負の記憶や恐怖の記憶も未来に伝え、教訓を後世に残し、多くの人たちの命を守るためにも、「忘却」に立ち向かっていく必要性が各記事に綴られている。ブランケット版4ページ。

2014年7月26日(土) : 新聞労連第124回定期大会ひらく
大会の最後に団結頑張ろうをおこなう代議員 第124回定期大会(新崎新体制発足、加盟単組の扇の要に)
 新聞労連は7月24、25の両日、東京都内で第124回定期大会を開催した。「労働組合の原点に帰ろう」をメーンスローガンに掲げ、平和と民主主義を守り、新聞産業の危機に立ち向かう新年度方針を決めた。
 役員人事では、日比野敏陽・中央執行委員長(京都)と米倉外昭・中央副委員長(琉球)が退任。執行委員長に新崎盛吾氏(共同)、副委員長には高橋直人氏(岩手)が就任し、書記長は大江史浩氏(西日本)が再任された。
 冒頭、あいさつに立った日比野委員長は、特定秘密保護法などによって、「表現の自由が冬の時代に来ている」と指摘し、「労連には声を上げていく社会的責任がある」と訴えた。
 議事では奄美脱退、2013年度本部活動や財政などの総括に加え、14年度運動方針・予算案、年末闘争方針などが採択された。労連の持続可能な運動体への改革を議論した組織・財政問題諮問委員会の嵯峨仁朗座長(道新)が、議論の結果を答申した。嵯峨座長は、「問題の先送り、答申のつまみ食いでは改革は進まない」と力を込めた。 
 質疑・討論では22人が登壇。本部方針を支持する意見や財政の在り方への提言、地連・単組の活動報告などがあった。総括で大江書記長は、「厳しい時代だからこそ歩調を合わせて前に進もう」と呼び掛けた。
 新崎新委員長は新任のあいさつで、「加盟単組の扇の要になりたい。諮問委員会の答申を実行に移したい」と決意を述べ、団結ガンバローで大会を締めくくった。
 定期大会に先立つ23日の第5回拡大中央執行委員会では、大会議題や運営などを確認した。消費税増税問題についても議論を深め、来期の重要課題にすることを決めた。
 同日、全国役薦委員会(鈴木泰広委員長・毎日)を開いた。朝日(歌野清一郎委員長)は、委員長ローテ復帰の判断留保を今回解除しないものの、「労連執行部を支え、中執会議の議論に積極的に関わる」との見解を示した。

2014年1月17日(金) : 第18回新聞労連ジャーナリズム大賞、第8回 疋田桂一郎賞決定
選考の様子  平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーンを表彰する第18回新聞労連ジャーナリズム大賞と、2006年に新設された疋田桂一郎賞の受賞作品が決まりましたので、お知らせいたします。

 今回の対象作品は昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、鎌田慧(ルポライター)、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日発行人)、藤田博司(元共同通信論説副委員長)の選考委員4氏による審査で選定されました。



< 選 考 結 果 >

【大賞 1件】 

高知新聞社社会部取材班による
平和、人権、民主主義に関する一連の報道

【優秀賞 2件】

@沖縄タイムス社編集局
特別報道チーム兼論説委員・渡辺豪(つよし)さん、
社会部・嘉数よしのさん、
前八重山支局長・又吉嘉例(かりい)さんによる
波よ鎮まれ〜尖閣への視座〜

A琉球新報「4.28取材班」による
沖縄の不条理を突く 4.28「主権回復の日」に関する一連の報道

【第8回疋田桂一郎賞 2件】

@毎日新聞東京本社社会部日野行介(こうすけ)さんによる
福島第1原発事故による被ばくと健康影響に関する報道

A琉球新報社編集局社会部当銘寿夫(とうめひさお)さんによる(2作品)
A級戦犯ラジオ番組で語る
 と
連載「原発事故とウチナーンチュ 本紙記者 リポート」

【特別賞 該当なし】


<選考評>

 高知新聞は「平和・人権・民主主義に関する一連の報道」で憲法や民主主義について地域と市民に徹底してこだわって報じた。特定秘密保護法の問題をはじめ、民主主義のありようが問われるなかで、市民と憲法の距離感の問題や民主主義はどう実践したらいいのかなどを取り上げた高知新聞の継続的で熱心な取り組みには学ぶところがきわめて大きい。
 
 沖縄タイムスの「波よ鎮まれ 尖閣への視座」は、沖縄と台湾の漁民の視線を通じて日中台の国境問題を考えた。台湾の漁民にも食い込み生の声を伝えるなど、尖閣列島をめぐる国家対立を、そこで暮らしを営む人たちに密着することで見事に相対化した報道は、視点も完成度もきわめて高い。
 
 琉球新報は昨年4月28日の「主権回復の日」の問題点を正面から取り上げた。沖縄にとっては「屈辱の日」である4月28日を日本政府が祝うという不条理を沖縄県民の視点に立って徹底して追及し、本土の新聞に見られない視点を打ち出した。

 疋田桂一郎賞は若手を中心とした記者個人の業績を顕彰する賞であり、今回は毎日新聞の日野行介記者と琉球新報の当銘寿夫記者の二人に贈ることとする。

 日野記者の「福島第1原発事故による被ばくと健康影響に関する報道」は優れた調査報道で、これをほぼ一人でなし遂げている熱心な姿勢、がんばりを評価したい。

 当銘記者の「A級戦犯ラジオで語る」(高知新聞出向時に出稿)は、靖国神社問題が注目される中、A級戦犯の生の声を掘り起こし報じた意味は大きい。連載「原発事故とウチナーンチュ」も原発事故と沖縄県民の関係という重要な視点を提示した。
 
 今回はとりわけ地方紙のがんばりが目立った。残念ながら選外とはなったが、下野新聞の「今、生きる正造 没後100年」と「交通とまちづくり」は地域に密着しながら全国的、普遍的な問題を鋭く指摘した。また、京都新聞の「県外避難者報道」は、福島第1原発事故で京都などに避難している人たちの状況を丁寧に描いた。いずれも記者が丹念に現場を歩いており、労作として高く評価したい。

2013年11月27日(水) : 「秘密保護法」廃案へ!12.6大集会へ参加しよう
12.6大集会 「秘密保護法」廃案へ!12.6大集会へ参加しよう!

■日時:12月6日(金)
午後6時〜6時30分はプレトーク。
午後6時30分開会。午後7時15分〜国会請願デモ・銀座デモ
■会場:日比谷野外音楽堂
地下鉄「霞ヶ関」「日比谷」「内幸町」下車
千代田区日比谷公園1−5
■内容:主催者、国会議員、各界からのアピール
■主催:「秘密保護法」廃案へ!実行委員会
<呼びかけ5団体>
●新聞労連 03-5842-2201 jnpwu@mxk.mesh.ne.jp
●平和フォーラム 03-5289-8222
●5・3憲法集会実行委委員会(憲法会議03-3261-9007/許すな!憲法改悪・市民連絡会03-3221-4668)
●秘密法に反対する学者・研究者連絡会 artcle21ys@tbp.t-com.ne.jp
●秘密法反対ネット(盗聴法に反対する市民連絡会090-2669-4219/国民救援会03-5842-5842)
*ぜひ、プラカードなどアピールグッズをお持ちより下さい。

ホームページ開設! 最新情報はこちらをチェックして下さい。
http://himituho.com/

2013年10月25日(金) : STOP!『秘密保護法』11・21大集会
STOP!『秘密保護法』11.21大集会 「特定秘密保護法」が国会に提案されました。
「秘密」がどこにあるのかは、誰にも知らされません。「秘密」を漏らしたり、漏らすよう求めたりした人は懲役10 年の重罰に処せられてしまいます。誤って漏らした人も同様です。秘密を探ろうとする人も処罰されます。
 公務員やジャーナリストだけの問題ではありません。原発の情報やTPP交渉のような、命や暮らしにかかわる情報もすべて隠されてしまうでしょう。
 国が都合の悪いことを人々の目から遠ざけようとするとき、そこには必ず戦争への準備がありました。戦争は秘密から始まるのです。
 国の情報は政治家や官僚のものではありません。必要なのは情報公開です。こんな法律を作ろうとしているのは、先進国では日本だけです。時代に逆行する秘密保護法の成立は何としても阻止しなければなりません。
 「秘密保護法反対!」の一点で結集し、政府と国会に私たちの声をぶつけましょう!

■日時 11月21日(木)
  午後6時30分・開会 午後7時30分・国会請願デモ
■会場 日比谷野外音楽堂
  地下鉄「霞ヶ関」「日比谷」「内幸町」下車
  千代田区日比谷公園1−5
■内容 主催者・国会議員・各界からのアピール
■主催 STOP!「秘密保護法」大集会実行委員会
<呼びかけ5団体>
●新聞労連 03‐5842‐2201 jnpwu@mxk.mesh.ne.jp
●平和フォーラム 03-5289-8222
●5・3憲法集会実行委員会(予定)(憲法会議 03-3261-9007/許すな!憲
法改悪・市民連絡会 03-3221-4668)
●秘密法に反対する学者・研究者連絡会 article21ys@tbp.t-com.ne.jp
●秘密法反対ネット(盗聴法に反対する市民連絡会 090-2669-4219/日本国民救援会 03-5842-5842)
*ぜひプラカードなどアピールグッズをお持ちよりください。
<「秘密保護法」はいらない! 一斉キャンペーンデー> 
11 月14 日、首都圏各駅で一斉キャンペーン行動をします。団体・個人で実施できる時間帯と場所をお知らせください。また、午後6時〜7時に新宿駅西口で大キャンペーンを行います。全国各地でもこの日にキャンペーンを行いましょう。

ホームページ開設!
最新情報はこちらをチェックしてください。
http://himituho.com/

2013年8月9日(金) : 第122回定期大会ひらく
 新聞労連は7月24、25日の両日、神奈川県川崎市内で第122回定期大会を開き、2012年度活動報告、財政報告、実績批判を承認したほか、2013年度運動方針および予算案などを採択した。中央委員会の開催を「年2回以上」から「年1回以上」とする規約改正も代議員投票の結果、賛成多数で可決され、それを前提に今大会で提案された13秋季・年末闘争方針も承認された。労連財政の見直しを検討する「組織・財政問題諮問委員会」の設置も決定された。
 本部役員人事では、書記長に大江史浩氏(西日本)が就任。日比野敏陽・中央執行委員長(京都)、米倉外昭・中央副執行委員長(琉球)が再任された。松永康之輔・書記長は任期満了で退任した。
 大会は、菅野薫(読売)、上原康作(沖タイ)両代議員が議長に選出され、議事が進められた。
 開会あいさつで日比野委員長は、直面する重要課題を、自民党改憲草案や秘密保全法などジャーナリズム・言論に関わる問題と、労働法制の改悪の2つだと指摘し、「新聞も新聞労働運動も中立であるべきとの意見もあるが、知る権利、表現の自由の問題で中立はあり得ない。全力で反対していかなければならない」と述べ、運動の強化を訴えた。
 来賓出席した日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)の金丸研治事務局長も「私たちの手から基本的人権、表現の自由を奪い、権力を野放しにする。これを許してはいけない。手を携え、闘いを大きくする。その核になるのは産別組織だし、MICもその役割を担っていきたい。ともに頑張りましょう」と、改憲、秘密保全法、国家安全保障基本法に反対する運動での連帯を訴えた。
 その後、東京地裁労働審判員で元新聞労連書記長の葛西建治氏が労働審判制度の現状を報告、自身の任期満了を控え、新聞労連からの労働審判員の選出を求めた。
 続いて、東日本大震災被災地における継続的な支援活動に取り組んできた岩手日報労組に対する表彰も行われた。
 議事では、12年度の活動報告、財政報告・会計監査報告、実績批判、13年度の運動方針案、予算案に加え、組織・財政問題諮問委員会の設置と規約改正の提案、13秋季・年末闘争方針が提案された。
 一括質疑・討論では、朝日労組が13運動方針案と財政方針に対して明確な反対を表明。これに対し中国、沖縄タイムス、宮崎日日の各労組が方針案に賛成の立場で発言、本部答弁も含め、集中討議となった。
 このほか、大会初日は 東京千代田法律事務所の梓澤和幸弁護士による講演も行われた。「表現の自由をなぜ目の敵にするのか〜自民党改憲草案の秘密」と題し、表現の自由より「公の秩序維持」を上位に置く同草案を厳しく批判した。
 2日目は、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の林豊事務局長の来賓あいさつの後、質疑・討論が継続され、朝日労組は、本部の答弁を受けて「賛成はできないが、活動には協力する」と表明。13年度運動方針、予算案は採択された。
 運動方針採択後は規約改正の代議員投票が行われ、賛成多数で可決された。
 大会スローガンも提案通り採択された。
 役員改選では13本部新体制の発足と12年度役員の退任が承認された。
 最後は大会宣言の提案、採択後、大江新書記長の団結ガンバローで大会を締めくくった。

2013年1月10日(木) : 新聞労連ジャーナリズム大賞、疋田桂一郎賞決まる
平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーンを表彰する第17回新聞労連ジャーナリズム大賞(2012年7月の第120回定期大会で名称変更)と、2006年に新設された第7回疋田桂一郎賞の受賞作品が、決定致しましたのでお知らせいたします。

 今回の対象作品は昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、鎌田慧(ルポライター)、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日発行人)、藤田博司(元共同通信論説副委員長)の選考委員4氏の審査で選定されました。

【新聞労連ジャーナリズム大賞】1件

☆朝日新聞社 編集委員 上丸洋一(じょうまるよういち)さん
 原発とメディア「『平和利用』への道」編、「容認の内実」編

<選評> 東京電力福島第1原発事故をめぐってメディアの責任も問われるなかで、自分たちの新聞が原発についてどのように報じてきたかを検証、分析した唯一の記事として高く評価する。自社の原発に関する報道を1950年代にまでさかのぼって検証しただけでなく、事故後、記者を福島の現場から引き上げさせたことなど、新聞の取材姿勢についても反省を込めて検証している。このような検証に他紙はどこも取り組んでおらず、メディア不信が高まる中で重要な仕事といえる。朝日新聞がこの種の仕事に紙面を割いたことを評価する反面、そこに表れた「反省」の意思が必ずしも日々の報道紙面に反映されていないのではないかとの指摘もあった。今後の報道とさらなる奮起への期待も込めて大賞としたい。


【優秀賞】 2件

☆毎日新聞社 特別報道グループ取材班
 原子力委員会の「秘密会議」をめぐる一連の報道

<選評> 原発をめぐる、産、学、官の原子力委員会に残っていた「原子力ムラ」の癒着構造を改めて暴いたという意味で衝撃的なスクープである。福島第1原発事故の後も、原子力ムラが依然としてその利権を守るため国民の目に隠れて活動を続けている実態を世に知らしめた。今後の原子力行政に一層厳しい監視の目を向けなければならないことに警鐘を鳴らした報道といえる。


☆長崎新聞社 累犯障害者問題取材班
 連載「居場所を探して 累犯障害者たち」

<選評> 犯罪を繰り返す知的障害者の問題に正面から向き合った力作。記者が一年にわたって当事者の障害者に張り付いて、実際に福祉につなぐまで入り込んだことに、その記者の情熱が表れている。ここに取り上げられた長崎県の試みが全国的に関心を持たれる可能性があるという意味でもこの連載企画の意味は大きい。


【特別賞】 2件(順不同)

☆沖縄タイムス社 オスプレイ配備問題取材班
 オスプレイ強行配備をめぐる一連の報道
☆琉球新報社 編集局
 米海兵隊のオスプレイ配備に抗(あらが)う一連の報道

<選評> 県民あげてオスプレイ「NO」を訴えている沖縄の人たちを支える地元紙として、その声にしっかり応えた報道で、地元紙としての当然の役割を的確に果たしたものと言える。沖縄の2紙のこのような報道は、沖縄が直面する問題に十分な関心を払おうとしない本土のメディアとの対照を際立たせ、本土側に反省を迫るものとなっている。


【疋田桂一郎賞】1件

☆共同通信社 大津支局 根本裕子(ねもとゆうこ)さん
 「自殺の練習させられた」中2いじめ訴訟

<選評> 大津市のいじめ問題で自殺した中学生が「自殺の練習をさせられていた」という証言をスクープ。これをきっかけに、その後、いじめ問題が全国的な広がりをもって報道されることにつながった。多くの記者がアクセスしうる情報に敏感反応し、いち早く報道するという記者の基本動作を忠実に実践した姿勢を大いに評価したい。

<補足>
新聞労連ジャーナリズム大賞は当初新聞労連ジャーナリスト大賞として、1996年に制定されましたが、2012年7月の120回定期大会で新聞労連ジャーナリズム大賞に名称変更をしました。全国紙、地方紙を問わず優れた記事を正当に評価し、激励するために制定した顕彰制度です。今年の応募作品は11(昨年は9)作品でした。

以上

2012年8月1日(水) : しんけん平和新聞8号完成!
しんけん平和新聞 全国の空襲を特集

新聞労連が毎年作成する「しんけん平和新聞」の第8号が発行されました。今回は、第二次大戦中40万人以上(原爆を含む)が死亡したとされる日本各地の空襲を特集しました。体験者の証言を集め、被害救済や体験継承の運動を紹介したほか、無差別爆撃の歴史的背景を分析。佐々木健新研部長は「命の軽視今も」と題してパキスタンなどで今も続く空襲殺りくを指摘し、「悲劇を掘り起こし、書き続けていかなくては」と記しています。
 原発を夢のエネルギーとして賞賛した被爆地広島の歴史を振り返り、原発事故報道に携わった記者たちの座談会も。ブランケット版8ページ。

郵送をご希望の方は、新聞労連までFAXでお申し込みください。(お名前、必要号と部数、郵送先、お電話番号 必須)1部100円のカンパと送料のご負担協力をお願いいたします。

2012年6月14日(木) : 第55回新研中央集会
5月27日(日)、東京・文京区民センターで新聞労連新聞研究部主催の第55回新研集会を開催しました。「災後」日本の社会とメディアをテーマに行ったシンポジウムの詳細をお伝えします。

<パネリスト>
ジャーナリスト・評論家 武田徹さん
元放送記者・ビデオジャーナリスト 白石草さん
毎日新聞科学環境部 西川拓さん
朝日新聞宮古支局長 伊藤智章さん

<コーディネーター>
専修大学 藤森研さん

【佐々木・新研部長】それでは主催者の側から、新聞労連の東海林委員長に挨拶を頂きたいと思います。よろしくお願いします。

【東海林・新聞労連委員長】今日はお集まり頂いて、ありがとうございます。第55回新研中央集会を開催させて頂きます。テーマは「『災後』日本の社会とメディア」ということで、さまざまな方、メディアでご活躍の方に集まって頂いて、テーマを深めていきたいと思っております。
 東日本大震災に関しては、震災報道そのもの、そして複合災害として起きた原発事故の報道について、メディアに対する様々な批判、あるいは評価もありました。この震災を経て、私たちメディアはどのように変わってきたのか、あるいは変わっていないのか。問題点を克服できたのか、残したままなのか。さまざまなテーマについて、今日は語り合いたいと思います。終了が午後5時前と長丁場になりますが、これだけのメンバーに集まって頂きましたので、非常に深い話になるのではないかと期待しております。
 今日のテーマと直接の関係はないのですが、私たち新聞労連にとって、報道の自由、国民の知る権利を考える意味で、大変な事態が起こっています。皆さんもご存知だと思いますが、秘密保全法という法律を政府が制定しようと準備しております。今国会には提出されないことになったようですが、この法律は、悪名高き国家機密法、スパイ防止法ですね、その流れをくむ法律であります。スパイ防止法は、たくさんの市民、あるいは新聞労連など労働組合などの反対で葬り去ることができましたが、悪名高き法案が、より悪辣さを増して登場したのが、秘密保全法制であります。この秘密保全法制では、外交・防衛問題が秘密にされる、加えて、公共の安全に関わる情報、いわゆる公安情報を特別秘密として指定することが可能になる、そういう法律であります。
 民主党は情報公開を掲げて政権を奪取しました。情報公開はマニフェストでもありました。民主党は、情報公開法を改正して、情報公開を進めると言っておりますが、この秘密保全法が通ってしまえば、情報公開法は何の意味もなくなってしまいます。情報公開法を空洞化させる秘密保全法、これの登場を許してはいけないということで、いま新聞労連は力いっぱい、この法案をつぶす運動を始めつつあります。特に今回、特別秘密の対象になった公安情報という点をめぐっては、まさしく今日のテーマでもある原発事故、そのデータも「パニックを引き起こす恐れがある」ということで、国が秘密指定できてしまうんですね。そういう危険な法律であります。そういう今日的なメディアの状況も考えつつ、この集会の討論を聞いてみたいと思います。
 報道の自由、国民の知る権利という、これまで戦後日本の民主主義を支えてきた、私たちが民主主義国家であろうとするには欠かせない、そういうものが、今まさに危機に瀕している。新聞労連は何が何でも、この秘密保全法制は、根っこから消し去るまで、しつこくしつこく運動を続けていきたいと思います。そういう思いは、今日のお話を聞けば、なおさら強くなってくるものと確信しております。今日は長丁場になりますが、みんなで議論を聞き、理解を深めたいと思います。ありがとうございました。

【佐々木】パネルディスカッションを始めるにあたって、お願いしたいことがあります。今日こちらで写真を撮られる場合は、会場の参加者に向けての撮影は避けて頂き、公開はされないようにお願いします。それから、録音したものを一般向けに出されることを考えておられる方がいましたら、お名前を受付で言って頂けますでしょうか。それだけ、お願いしたいと思います。
 それでは早速、討論に入らせて頂きます。今日は専修大学の藤森さん、朝日新聞で記者を長くやってこられた方ですが、今日のコーディネーターをお願いしております。討論は藤森さんの方で進行して頂きます。よろしくお願いします。

【藤森】こんにちは。天気のいい日に来ていただき、ありがとうございます。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、毎日新聞の西川拓さんは科学環境部で、原発問題の報道をキャップとしてまとめながら活躍されている現役の方です。隣が朝日新聞の伊藤智章さんです。岩手県の宮古支局長です。名古屋の論説委員でいらっしゃいましたが、震災後の6月から宮古支局長として、今も旺盛に記事を書かれています。白石草さんはアワープラネットTVで活躍されて10年余りになります。ネットでご覧になった方もいらっしゃると思います。例えば、震災や原発をどのようにテレビが報じたのか、大胆な3時間以上の番組など、いろいろな番組を作られており、特にマスメディアが伝え切れていないところを発信しておられます。武田徹さんは、「原発報道とメディア」など、いろんな著書があり、テレビや集会などでご覧になっていると思います。マスメディアの論理も十分に理解し、それに対する批判的な視点も持っておられ、社会全体でどうすればよいか、常に考えていらっしゃる。言いっぱなしの批判者ではないと私は思っております。
まずは、4人の方に問題意識などを語って頂きたい。一人10分ずつくらい語っていただき、その後討論し、休憩を15分くらいとります。その間に、参加者の皆さんに質問を遠慮なく書いていただき、それを回収し、終わりの方でパネリストの皆さんに質問します。会場には、岩手、東奥日報、神戸の方なども参加されている。それぞれの体験も、時間があれば一緒に話せればと思っています。
まず、西川さんから去年の3月11日以降、どのような取材をしてこられ、どのようなことを考えてこられたか、お聞かせください。

【西川】皆さん、こんにちは。毎日新聞科学環境部の西川と申します。私は科学の部署にいまして、震災以降、ほぼ原発の取材一色になっています。去年の3月11日の震災発生時は、北海道に出張しておりまして、揺れた時は帯広空港から襟裳岬に向かって車を運転している時でした。長い大きな揺れを感じたので、大きな地震だなと思い、すぐに東京の科学部に電話をしたが通じなくなっていました。そういう場合、「今いる場所の指揮下に入れ」ということになっていますので、すぐに札幌の北海道報道部に電話しました。当時は、北海道沿岸にも大津波警報が出ていたので、襟裳岬の方にも来るかもしれないということで「とりあえずそこで待機してくれ」と言われました。その夜は北海道で過ごして、翌日の朝一番で東京に戻った。3月11日に布団で寝たのはお前だけだ、と戻ったら周りから言われました。12日の朝に戻って、そのまますぐ東京電力の本店に行ってくれということで、それから1週間くらいは主に本店で事故の推移を取材しました。
震災前の原子力の取材は、担当を1人だけ置いて、その人間が原子力安全・保安院などをカバーしながらやっていた。震災後は20数人いる科学部員、ほぼ全員が原発の取材に3か月くらいかかりきりでした。逆にいうと、地震や津波も科学的にいろいろ書かなくてはいけなかったのですが、そこはあまりやれてなくて、連日、原発の動きを見なくちゃいけない。東京電力の本店と原子力安全・保安院には必ず泊まり込む人間を置いて、福島県庁で東電の会見が毎日行われていたのでそこにも人を出していました。
原発事故の報道については、いろいろ批判もあって、「政府と一緒になってマスコミは情報を隠しているのではないか」と言われました。実際に取材していた私から見ると、最初の1週間くらいは、目まぐるしく状況が変わった。3月12日の夕方には1号機の水素爆発がありましたし、その後も水が入らない、冷却ができない、敷地内の放射線量が急上昇したなど、そうこうしているうちに3号機や4号機が爆発したり。毎日毎日、時間を追うごとに何かが起き、それを追いかけるのが精一杯でした。我々も現場、福島原発には行けないし、我々に対して情報を発信する人たちも原発、現場にいない人でした。発電所にいる人が直接情報を出すのではなく、東京電力の本店にいる広報担当者や技術担当者が対応したが、彼らも現場にはいない。現場で何が起きているのかリアルタイムで把握できませんし、保安院や安全委員会も、又聞きの情報しかない。取材相手もそういう状況だった。実際に何が起きているのか把握することが難しくて、温度や圧力、水の入った量など、それが本当に信頼できるのか、東電も分からない。温度計が何度かを指しているが、それが壊れているかも知れない、本当は何度か分からない。そういう状況で報道しなければいけなかった。
最初の1週間は混乱していました。もちろん、東電や政府が何も隠していない、ということはないと思うが、彼ら自身も本当に何が起きているのか、十分理解していなかったと思います。事態を把握して情報を隠していた、というよりも、もっと状況は悪かった。あの1週間は本当に何が起きるのか、取材していて不安で怖かった。どうなっちゃうんだろうかと。ゴールデンウィークまではそんな状態で一進一退で、何か掘り起こす取材をやるような余裕がなくて、発表をただ伝えているだけじゃないか、という批判をいただいたが、それに近かったかも知れません。ただ、その後、原発が少し落ち着いてくると検証報道も手につくようになってきて、世の中で言われているほど、政府の言っていることをたれ流すだけの報道ではない、と思っています。
例えば、毎日新聞でいうと、事故から1カ月後の4月11日には、最初の2日間の動きをまとめた検証記事を出している。東電、政府など誰がどう動いてどのように意思決定したのか、という検証報道も始めていて、今に至るまで検証している。「検証『大震災』伝えなければならないこと」という本も今年の最初に出しました。朝日新聞も「プロメテウスの罠」という検証報道を連日やっているし、事態が落ち着いてからは隠されていたことを掘り起こしたり、裏で何があったのかを明らかにする取材や報道ができるようになって今も続けています。ただ、原発事故が落ち着いても、再稼働や新しいエネルギー政策を決める問題、事故の調査委員会の調査など事故報道は継続しています。私としては継続しているので、今までの報道を振り返って物を言う気分に実はまだなれていない、という状況です。

【藤森】ありがとうございます。伊藤さんお願いします。

【伊藤】朝日新聞の伊藤です。よろしくお願いします。きょうは岩手県の宮古支局から来ました。宮古市は5万人以上のまちでは東京から一番遠い、と言われているそうです。朝6時のバスに乗って出てきました。東京は遠いし、全く環境が違うなと思いました。私の今の取材相手は被災地の方が中心ですが、現地は高齢化が進んでいますし、過疎化も進んでいて、そこが津波被害にあって大きく変わっていく、ということを取材しています。だから、東京の風景とは全く違うところなんです。宮古はまだ寒いので、昨日の夜はストーブをたいていた。全然違うなと思います。
私は去年の今ごろまでは、先ほど紹介していただきましたが、名古屋で論説委員をやっていました。いいポジションで、論説委員とは論説を書くのが仕事ですが、東京ではなく名古屋の論説委員ですから、わりと自分の決めたテーマについて書いていました。名古屋本社の事件事故が担当で、「名張毒ぶどう酒事件」の再審問題について書いたり、名古屋関係の事件事故や河村市長について書いたりすることは義務ですが、それ以外についても自分の決めたテーマについて、全国をあちこち取材して書いていました。例えば、長良川の河口堰問題を取材していた関係でダム問題に興味を持ち、八ッ場ダムなども取材しました。その延長で水問題と防災などに興味があって、八ッ場ダムにしても100年に1回、200年に1回、大洪水が来たときに東京を守る、というのが理屈ですが、そういう理屈について記事を書いていた。防災と人間の暮らし方、コンクリート防災の見直しとか、そういう議論が震災を機に大きくなるだろうと、戦後の1960年ごろからコンクリート防災というのがあるんですが、それが大きく見直されるチャンスだと思ったんですね。西川さんや他の方は原発が中心だと思いますが、私はどっちかというと名古屋にいて、浜岡原発問題はありますが東京電力の配下にいないし、原発よりも今までの自分の興味から、津波の被災地の取材をしたいと思っていました。被災地に行きたいと思っていたら、たまたまポジションがありまして、論説委員でもなく普通の記者として宮古支局に行き、支局長と言っても私1人ですが、仮設住宅をまわったり、復興計画を取材したりして、岩手の地方版に原稿を書いているような毎日です。
そういう中で、いろいろ取材していてすごいフランストレーションがたまっている。こういうシンポにしても、「災後」の日本というと、どうしても原発事故後の日本が中心じゃないですか。「3・11」は原発事故だけじゃなくて、大津波で2万人近い人が亡くなったわけですよね。私の取材相手の何万人もの人がいまだに仮設住宅に住んでいる。安全な暮らしとは何か考えなきゃいけないのに、どうしても皆さんの頭の中には放射能が大きくあって、新聞に大きく載るのも放射能のことで、私が取材していることがなかなか大きく載ることはない。残念ながら。1周年となる今年の3・11までは、まだいろいろな展開ができました。他の新聞も失礼ですが、同じだと思います。1周年が終わった後に、岩手の場合は特にひどくて、多くの新聞社は引き揚げてしまって、前の態勢に戻りつつあって記者は少ない。その中で何を書くか。フラストレーションがもう一つあります。皆さんに今日伝えたいと思って朝6時に来ましたが、被災地の状況は本当にひどいですよ。全然変わっていません。がれきの片付けは終わりましたが、街の中からは一掃されて、海岸沿いや野球場に積み上げられていますが、片付いただけで、被災地はペンペン草が生えてるだけです。仮設に入って、1年たって、被災地に大きな国の金が入ってきて、すごく金が落ちていています。がれきの撤去など大手ゼネコンが入ってきて、いろんな人がきて、金も落ちています。だから、ビジネスチャンスとして考えると、エネルギーのある人は被災者の中でも上昇している。その一方で家族を亡くしたとか、お年寄りであるとか、もともとアグレッシブでない人とか、そっちの方の人が多いんですけれど、そういう人たちは仮設住宅から出るため、公営住宅が高台にできるのを待っている。去年の夏から変化がないんですよね、相変わらず。例えば、テントの中の商店街で誰も来ないところで商売をしていたり。この人たちのことを記事に書いていますが、感動的な話に仕立てることはしにくいし、感動的な話にしてもしょうがいない。だけど21世紀の初頭にこういう現実があるからどこかに書こうと思って書いているのですが、そういうことを是非多くの人に分かってもらいたいですね。自分でもうまく社内で説明できないし、こういうところで説明してもうまく言えないと思うんですけれど、それが忘れられている。すごくコミュニケーションギャップを感じるので、そういうことも話したいと思います。

【白石】アワープラネットTVの白石と申します。アワープラネットTVというメディアを知らない方もたくさんいらっしゃると思うんですけれど、2001年のいわゆる9・11後に立ち上げたインターネットメディアで、去年10年を迎えました。私は、もともとテレビ局で記者などの仕事をしておりました。テレビ朝日報道センターに所属し、国会の中の映放クラブにいまして、その後、東京メトロポリタンテレビジョンというローカルテレビに転職して、そこからさらに小さい100分の1くらいのメディアに移りました。テレビは新聞と異なって、視聴率がとれないと、NHKやBSでも企画を通すのは難しくなっています。ですから、テレビでは企画が通りにくいものをインターネットで出そうと活動してきました。どちらかというと、いわゆる他のNGOが取り組んでいるような小さい支援の話や、教育問題、環境問題などといったものを取り上げていて、震災の時も、いち早く私たちが出さなくてはいけないのは、むしろボランティアとか、被災地への支援の動きを作るための情報だと当初は思っていました。
今回が阪神淡路大震災と違ったのは、1995年にはまだNPO法がなかったことです。NPO法は阪神大震災をきっかけにできたものですから、今回は非常に成熟したNPOがすぐに結集してプラットフォームを作って、いろんな取り組みをしていくという中で、アワープラネットTVは必要な情報を出していきました。私たちは普段、NPO団体との付き合いが深いので、それが仕事という感じもあったんですけれども。ただ私がMXテレビに在籍していた95年に、フランスが核実験をしました。それ以降、核と原発について関心を持って、そんなに深くは取材していないですが、浜岡原発やもんじゅのナトリウム漏れ問題に若干関心を持って取材していました。今回も3月11日に自宅にたどり着いて、午後8時を過ぎたあたりで、これはちょっと大変なことになっているんじゃないかと思って、自分なりに情報収集したのですが、どうも自分が思い描いていた震災と原発事故の情報の出方が違うという違和感がありました。すごい大事が起きているのに、これはちょっと抑制的すぎるんじゃないかということ、起きている事態と報道内容がマッチしていないんじゃないかという違和感があった。私の中のシミュレーション通りに情報が出ていないというのがすごくありました。
 私たちは3人しかいない小さいメディアなので、大したことはできないんですね。さっき言ったように、ボランティアの情報を流通させるとか、それくらいのことしか基本的にできないという前提が私の中にあった。しかし、だからといって諦めてはいけないと思い、翌日から原子力資料情報室のような非営利のシンクタンク、NPO、NGOに取材したり、フリージャーナリストが現地に出向いているので、その情報を集めて出すとか、自分で出ていくというより、いろんなところに集まっている情報を整理して出していくというようなことをやっていきました。
 3月13日ごろになると、非常に高い放射線が放出し、色々な防護が必要になってくる状況でしたが、その情報も不十分だという感じを持ちました。とりわけ感受性が高い子どもに特化した防護情報を出していく必要を感じて、以降、そうした情報に特化して発信し、現在に至るというような1年間を過ごしています。
 1年経って、実は去年の6月くらいからまったく事態は変わっていない。何も変わっていないと思います。きのう細野大臣が言いましたように、福島第1原発の4号機を補強しているとか、たまり水をタンクに入れたりということは進んでいるのかもしれないけれど、基本的に放射線防護に関しては、去年の6月くらいから政策は変わりありません。当時から「20ミリ以下は全く大丈夫」ということで、すべてのことが進んでいますし、避難政策やその他も、基本には1年間変わっていない。私たちにとってみると、1年経って、何をしたらいいのかというのが、いまひとつ自分自身で分からない。非常に厳しい状況にあると感じています。
 今思うのは、私たちは3人しかいない小さな団体で、ボランティア中心ですので、記者会見に出たり、ストレステストの意見聴取会に行って取材するとかは、本来の仕事とちょっと違う。私たちは現場に出て、NGOや市民の小さいドキュメンタリーを撮ったりとか、活動のインタビューを撮ったりというのが仕事だったんですけれど、会見や会議などの取材も行かざるを得ない状況です。保安院にも東電にも行かなければいけなかったり。今日も国会事故調で枝野さんの参考人招致がありますけれども、テレビでちょっとしか流れないんだろうと思うと、自分たちでとりあえず撮っておいて長く流さないといけないな、とか。そういうネガティブな意味でのカバーをしなければいけないという場面が増えている。本当に自分たちの仕事なのかなと思いながらも、そういう仕事の仕方をしなければいけないというのが一つ課題としてあります。
それから、去年6月に一橋大学の学生と一緒に街頭で意識調査、原発を含めてアンケートをしたときに、いわゆる世論調査以外に知識調査をしました。皆さんが本当にどのくらい分かっているのか疑問だったので。学生と話していてもハッというようなことがある。例えば去年の6月の段階でメルトダウンを知らない、炉心溶融とかの言葉を本当に知らない。「本当に知らないの?」というと、学生が「はい」と答えて、「一般の人にも聞いた方がいいです」というので、たとえば「メルトダウンがいつ起きたと思いますか」ということをアンケートした。私の書いた「メディアをつくる」という本の中でも触れているんですけれども、たとえば、事故直後にメルトダウンが起きたと正解している人は全体で36%。インターネットで情報を取っている人の正解率は55%でしたが、実は新聞を情報源にしている人が一番低かったんですよ。新聞を情報源の一番にあげた人がそんなに多くなかったせいもあるかもしれませんが、驚きました。新聞でよく世論調査が行われていますが、人びとが、どの程度ものごとを理解しているのか疑問になりました。メルトダウンにしても、一度は発表されながらも否定されているうちに、何が何だかわからなくなってしまい、最終的な結論が分からなくなってしまったというのが実態ではないかと思っています。
 1年たって学生と話していると、本当の情報を嘘だと思っていたり、デマを信じていたり、情報がゴチャゴチャになっているとを感じます。例えば原発事故の後、多くの学生の間に「雨にあたるのはよくない」というメールが回っているのですが、チェーンメールだから嘘だと思っている学生が大半でした。しかし、たとえば原子力安全委員会は3月23日に、関東まで含めて雨に当たらないようにという助言を出しています。でも、そのことは大きくは発表されなかったので、チェーンメールだから嘘だと思い込んだようです。本当は何が起きているのか、多くの人がよく分からなくなっているという、とても深刻な状態にあるのではないかと感じています。そこのぐちゃぐちゃになった糸を、もう少しどうにかできないかな、と今感じているところです。

【武田】よろしくお願いします。原稿にも書いたことがあるので、もしかしたらご存知かもしれませんが、私は3月11日は、まさに地震が起きる直前に離陸する飛行機で海外に出るという経験をしました。出張先に着いたとき、12時間くらいたっていました。12時間後から被災の後の状況を知り始める、それもインターネットなり、テレビの国際報道などを通じて知り始めるという、そういう経験をしました。これはジャーナリストとしての私にとって、かなり大きな欠落というか、本当は現場にいなくてはいけなかったのにいなかったということもありますし、人生においても、これだけ大きな災害について、海外に行ってしまったということが、私の人生に何らかの影響を与えるのではないかと思っているのですけれども、逆に考えると、ある意味で遠くから見られたということもあります。ネットで分析したりとか、テレビ報道を見ながらいろんなことを考えました。後段の議論にもつながると思うんですけれども、この災害報道、特に原発の報道に対して、誰のための報道なのか、何のためなのか、改めて、現場にいないがゆえの余裕があったのかもしれませんけれども、そういう原理的なところから考えないといけないなと、そんなことを地球の裏側に近いところで考えていました。
 刻々と避難範囲が増えていくという状況もありました。被曝して、もしからしたら、がんになるかもしれないという、ある種のリスクを負う、そういうことを避けるために避難が勧告され、実施される。そういうことになっていきまして、しかし、たとえば避難の結果として、避難所で亡くなる方も出ましたよね。そういうことを考えると、その報道というのは誰の安全をどういう形で守ったのか、そういうことを考えないといけないと思います。被曝、放射線の情報を出すことももちろん大事だということは私は十分に理解しているつもりなんですけれども、やはりそれぞれの人が抱え込んでいるリスクというのはかなり多様であって、そういったリスクのあり方に対する配慮が、1週間くらい海外から見ていましたけれども、欠けているのかなという気持ちもしました。
 その欠落感みたいなものは1週間後に日本に帰ってきましたけれども、さらに今となっては1年2カ月くらいたっているわけですが、まだリスクの広がりや、リスクの構造、そういったものに対する意識というのは、報道全般において、あまり共有されていないというふうに思っているところもあります。で、さきほど伊藤さんがおっしゃっていて、わが意を得たりと思いましたけれども、原発だけではない、被曝リスクだけではないという、そういうことを意識する必要があるのかなと思いました。そういうふうに考える経緯としては、この最初のごあいさつが少しまとめて話せる機会なので、少し自己紹介を兼ねてお話ししたいと思います。
私は2002年に「『核』論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ」という本を出しています。これはまさに日本の原子力受容史の本です。ですが、私は決して自分が原子力の専門家だと思い上がっていませんし、この本が原子力の本という意識は自分ではありません。私は日本の近代社会について、ずっと取材をして文献を読んでまとめようと思ってきた、そういう経緯がある中で、その中でのあくまでも1冊であるという認識なんです。「『核』論」に至る過程においては、満州国を扱った「偽満州国論」というものを昔書きました。その先に、「『隔離』という病い―近代日本の医療空間」というハンセン病の隔離医療史の本を書きました。藤森さんもハンセン病を取材されていましたけれども、私は特にこの「『隔離』という病い」という本を書いた経験が、「『核』論」を書く上ですごく生きましたし、3・11後の報道状況を考える上でも、そのときに考えていたことをベースにしてものを考えようというふうにしています。
 ハンセン病の隔離政策というのは間違ったと言われていますが、当時の状況を分析してみますと、「リスクゼロ」を望む大衆社会が隔離政策を支持しているわけですよね。感染源になる患者さんが近くにいてもらっては、うつってしまうので困る。隔離してほしいという気持ちと、国が進めた強制的な隔離政策が、ある種共振することによって、あれだけひどい隔離政策が維持されてしまったという経緯があったと思っています。
 ここで難しいのは、リスクを避けたいという気持ちも十分理解できるんですね。しかし、このリスクを避けたいという気持ちをうまく社会的な政策と接続させないと、残酷な隔離医療政策につながってしまう、そういう歴史があったと。決して解決の仕方は簡単ではなくて、私自身でも答えがわかっているわけではないですけれども、そういう歴史があったということを踏まえて、日本の社会問題を考えるときに、このハンセン病の歴史をある種、自分の出発点、立脚点にして問題を考えていきたいと思っていました。
 原子力の問題について考える時もそうでして、やはり原発立地、原発を押しつける構図があったと思うんですよ。私が2002年に「『核』論」を書いていた時に、原子力の問題はメディアであまり取り上げられていなかった。執筆のリズムをつかみたくて雑誌の連載先を探したんだけれども、事故もないときにそんなものは載せられないというご意見もありました。東海村の臨界事故があって少し状況は変わったと思いますが、それ以前には原子力の問題は皆さんの関心事から外れていってしまっていると思いました。環境問題とかはずいぶん言われていましたので、CO2の削減意識とかはありましたけれども、いま自分で使っている電気が原発から来ているということに対する意識はかなり薄れてしまっているのかなと思っていて、しかし、現実には原発が50基以上、日本にあったわけですから、それはやはり立地を押し付けているという構造がある。そういう構造を見てみると、やはりハンセン病の隔離政策とどこか似ているなと思っていました。リスクを閉じ込めて、周囲の人は安心して忘れてしまう。そういう構造がある。それがいつか破たんするのではないかという危機感を持って書いたのが「『核』論」という本でした。
 押し付けると言いましたが、原発の問題は過疎の問題とすごく近いものがありますよね。過疎の問題を考えないと、原発の問題は理解できないところがあると思います。なぜ福島第1に6基もの原子炉が密集していたかということを考える上で、交付金を媒介にして、原発を経済的に必要とした地元がある。そこには日本の近代化が過疎と過密を同時に進行させながら進んできたという事情があると思う。そういう過疎問題、これは日本の近代化問題全体にかかわっていることだと思いますけれども、そういうところの広がりの中で、原発の問題を捉えなければいけないと、私は「『核』論」を書いた時に思いました。さらに3・11の後においても、具体的な危険があるわけですし、具体的な恐怖心に皆さん、さいなまれていると思いますけれども、であってもなお、日本の近代社会の歪みのようなものに常に思いをやり、今の問題を考えていかなければならないと思いながら、原稿を書いたりしてきたつもりです。そういったことを考えてきましたので、そのあたりの話を後段の議論の中で展開できるといいかなと思います。

【藤森】まだ入り口のところでとどめてもらっているわけですけれども、それぞれに大変いろんな問題があるなあと思いました。やはり津波被災の問題と原発の問題、これは質が違うところがあって、それぞれで話さなければいけないかなと思っていたのですが、今の皆さんの話を聞いて、両方重なっている部分も結構あるなと。一つは過疎の問題ですね。それからもう一つはがれきの広域処理の問題ですね。白石さんがおっしゃった、20ミリシーベルトでいいじゃないか、という形でずっとやって本当にいいのかという問題も絡んでくる。今のハンセン病の隔離の、「リスクゼロ」へのある種の幻想を我々はつい持ちたがる。それも無理もないところがあるという難しい問題もあって。そこで少しタッチーであるんですけれども、共通するところがあるので、変なところから入って恐縮ですが、がれきの広域処理、これについてそれぞれがどうお考えか、まず最初の論点にしてもよろしいでしょうか。
 というのは、伊藤さんが朝日新聞の紙上でその部分について率直に、自分自身の迷いも含めてお書きになっておられる。そこをみんなで、つまりは被災地のことを、あるいは放射能のことをどう考えるのかというふうな、共通のところに結びそうな気がします。伊藤さんから少し教えてください。

【伊藤】このあいだ朝日新聞に書かせて頂きました。私は原発ではなくて、津波ばかり取材していて、原発の勉強をあまりよくしてなかったんですけれども、去年の秋から、宮古市は皆さんご承知でしょうか、岩手県の一番北の方にあるんですよね。ですから福島原発からすごく遠くて、放射能の問題も関心が低くて、放射性物質の降下量も非常に低い。だからだと思うんですが、いま東京都が宮古市からがれきを広域処理で引き受けて、去年の11月からこっちまで持ってきているんですけれども、あれが11月にあったのを皮切りにして、全国から宮古に視察に来ていて、数十の知事とかいろんな人が来ています。この間は静岡県島田市とか、北海道に持っていくとか。いろんな広域処理のメッカというか出発点みたいなところになってしまって。一つには福島から離れていて、安全・安心だろうということで引き受けやすいということだろうと思うんですけれども。にもかかわらず、やっぱり反対運動、市民運動の人もいっぱい来ていまして、私もよくそういう人に、「もっと放射能のことを勉強して反対する記事を書け」と怒られるんですけれども。地元で宮古市民側にたってみると、確かに当初、がれきが山のように町の中にあったときには、非常に困ったんですけれども、現在はたとえば港湾とか野球場とか、使っていない、使えないような場所に積み上げているだけなんですよね。それをものすごい厳重に測って、大金をかけて東京なり北海道なり、沖縄の知事もOKだと言っているそうですけれども、そんなところまで運んでいく。かつ、それが受け入れる市民側で反対運動があって、このあいだの北九州みたいに逮捕される人まで出る。
ああいうのを岩手の側で見ていると、すごく傷つくわけですよね。被災者からすると、絆とか言っていたのに、なんなんだと。まず率直に言って、非常に面白くない。受け入れ反対ということに関して、それは面白くないんだけれども、その一方で、もう一歩突っ込んで考えると、被災がれきを持って行く必要があるのかと思うんですよ。確かに石巻みたいにめちゃくちゃ多いところは話は別なんでしょうけれども、私のところで見ていると、別に使っていない港湾に積んであるだけなので、復興とあまり関係ないわけですよね。そういうところに積んであるものを、今の環境省の計画だと被災後3年以内に全部片づけるということに、宮城・岩手はなっています。しかも大雑把に言うと、そのうち3分の2は地元で処理し、あとの3分の1を広域処理するということになっていまして。その3分の1の引受先を探して、東京なり北海道なり、ということになっているのですが、私は取材していて思ったのですが、これは3年じゃなくて4年に延ばせば、別に東京に持って行く必要はないわけですよね。まあ、半分机上の話ですけれども。あるいは5年にしたらそれでいいじゃないかと。これ、別に僕が思っているだけじゃなくて、地元の人もかなりの人が思っているんですね。さっきの話で、受け入れるかどうかで傷つくのも嫌だし、そもそも運搬費用がものすごく金がかかるわけですよね。1トンあたり処理費が4万円くらいかかる。東京に持っていく運搬費用が2万円くらいかかる。その2万円をかけるんだったら、宮古市内に焼却炉をもう1個作って、1個は作ったんですけれども、もう1個作れば、それでできるじゃないかと。できるんですよ、本当は。それをせずに全国に余っている広域焼却炉を利用して燃やせばいいじゃないかと安易に考えたからよくないんじゃないかなと思うんですね。
 ちょっと面倒なことを言いましたけれども、私としては簡単に全国が引き受けてくれるんだったらそれでいいと思ったんですけれども、あちこち問題を起こすのであれば、そもそも地元でやればいいじゃないかと。これは僕の意見だけじゃなくて、ある町長や村長さんと話をしていたら、彼らも同じようなことを言っていて、地元は勤め先がないわけですよね。だったらこれを10年、20年かけて、地元で処理していったら、しかもそれは国のカネでやってくれるわけだから、それで雇用も生まれて経済も循環するんだったらそのほうがありがたいと。それくらい過疎も深刻なんですよ。だからそういう見方もある。被災地3県全部が広域処理反対と言っているとは言いませんけれども、地元でも疑問の声があって、地元で選んで処理できるような仕組みを考えるべきじゃないかと思いました。

【白石】私も似た意見なんですが。二つあって、一つはそもそも広域処理するのは、焼却可能な木片とかそういうのが中心で、そうじゃないものはそこの地域で処理するということになっています。広域処理すべき木片などについて、宮城県などは3分の1に減ったと発表していますが、この処理のスキーム自体に私自身は疑問を感じていて。3年間で処理するということもそうですし、たとえば東京で東京臨海リサイクルパワーというところが処理しているんですけれども、ご存じの通り東電の子会社です。東京都が出した入札条件は、1日100トン以上処理できる能力を持つ産業廃棄物処理施設というものですが、都内にこの条件を満たす業者は1社しかない。除染もそうなんですけど、 大手ゼネコンしか1次には入札できない枠組みができていて、地元の中小企業は参入できなかったりする。だから下請けで2次、3次にならざるを得ない。この間、(福島県)楢葉町の地元の復興委員もなさっている方が銃刀法違反で逮捕されましたけれども、今起きているいわゆる復興ビジネス的な全体の構造を、もっときちんと見ていかないといけないと感じています。さっきダムの話も出ましたけれど、これから起きる復興全体の枠組みが、 震災前と同じようにゼネコンとか大手のそういったものにお金を流して、結局地元を食いつぶすことをつくりかねないのではと懸念しています。
震災がれきの広域処理に関しても、なぜそんなに遠くまで運ぶ必要があるのかということをもう1回考える必要がある。放射能の問題ももちろんあります。なるべく焼却はしない方がいいと言われていて、微量でも含まれていれば濃縮する。処理する際、どう封じ込めるかということも同時に考えていかなければいけないので、処理する場所や処理の仕方を、もう少し丁寧にやるべきなんじゃないかと思います。少なくとも、日本全国の中で汚染されている地域と、そうでない地域があります。さっきリスクゼロについて話がありましたが、リスクを減らせる形があるのであればやっぱり選択した方がいい。広域処理にあれだけお金をかけてやろうとしている背景を見ておく必要があると思います。まとめると、震災復興を使っての新たなビジネスというか、乱開発的なことが起こるのと同じような構造があるのではないかという懸念が一つ。それから、放射能とか、アスベストを含めたさまざまな化学物質のことを考えると、産業廃棄物をどういう形で処理するかをもう少し丁寧に議論しないといけないんだろうというのが二つめです。ただ、個人的には、東京で受け入れるのはやむを得ないとも思っています。こういう言い方は変なんですけど、岩手などよりは汚染されているし、特に私のように23区に住んでいると、計画停電のエリアからも外れている。震災がれきの問題くらい起きないと当事者意識が生まれない場所ですから、むしろ、がれきの問題を通じてこの問題を考えるべきではないかと考えています。

【藤森】西川さんいかがですか。

【西川】がれき問題は自分自身はあまり取材していないんですけども、当初は近くでできればそれに越したことはないと国も思っていたと思うんですけど、一つにはおそらく、阪神大震災と違ってかなり被害が広域であることと、中核都市、仙台なんかも被災してしまっていて、コントロールがちょっとやりにくかったのかなというので、ごみの処理が出てきたと思うんです。放射能の問題がなくても、もともとごみの処理って微妙な話で、たとえば自分の家の近くにゴミ処理場をつくるなんて話が出たらみんな反対する。さっき伊藤さんが、地元も必要ないと思ってるよって言われると、私は東京に住んでいてこれ以上言えないんですけども、もしも本当に必要ないというのであれば、わざわざ持っていく必要はもちろんないんだと思うんです。ただ、原発ばかりやっていて、あまり被災地に行けていなくて、これまで休みを使って2回ほど宮城の気仙沼と東松島に行ったんですけども、やっぱり困っているんじゃないかと思うんですよね。ずっと置かれているということに。伊藤さんがゆっくり処理すればいいということもおっしゃっていたんですけど、 地元の人がゆっくりでいいよとおっしゃるならそれでいいと思うんですが、 外からゆっくりやればいいじゃないかと被災地の人に向かって言うことは私にはできない。早く処理すればそれに越したことはないと思います。
いま起こっている、がれき受け入れの反対運動というのが、そもそもそんな広域処理が必要ないじゃないか、地元で処理できるじゃないかということであるのか、放射能の問題はほとんどないと私は思っていますけど、それを理由に反対なのかによって、だいぶ見方が違ってきます。ほとんど心配ないと思われる岩手県とか宮城県北部だとか、そういうところのがれきまで一緒にして、放射能が怖い、「汚染の拡散」だという、非常に配慮のない言葉まで使って反対している姿っていうのは、私にはものすごく違和感があります。実際、汚染しているかどうかを調べる試験焼却、北九州はいまその段階だったと思いますけど、それにすら反対をしているという姿ですね。さっき言ったけれども、もともと難しいごみ問題があるけれども、それでも引き受けましょうと手を挙げたところをかたっぱしからつぶして回る姿に私は違和感があります。ただ、伊藤さんみたいに地元の方が「広域処理なんて必要ない、時間かければできます」とおっしゃるのならそれでいい。ただそれを外から言うことはちょっとできない。

【藤森】ありがとうございます。非常に難しい問題だと私は思っておりまして、たとえば新聞報道のこの間の報道をみても、最初のうちはどっちとも言わない。僕の読んだ範囲では、広域処理の必要性も確かにあるかもしれない、でも不信感も強いし、安全かどうかをきちんとしないで運び込むと言っているのは間違いだから、そこをきちんとしろよと、結局どっちを言いたいのかわからない形で逃げ続けてきた。それで、途中から僕は変わったように思います。広域処理側に傾いた。毎日新聞も朝日新聞も、明確な言い切りではないけれど、記事の作り方その他で、広域処理にすでに何県が手を挙げたとか何県が反対とか、そういうのを載せましたね。それはやっぱり、した方がいいんじゃないっていう風に読めます。そっちの方へ少しずつ変わってきた。でもそれは難しい問題で、伊藤さんの最初のご指摘は、意表を突かれるというか、なるほどというところもあるんですが、武田さんは「一県平和主義」という言葉を使われましたね。どういう風にお考えでしょうか。

【武田】がれき処理の問題は、津波の問題と原発の問題が重なる領域だと思っていて、ずっとウォッチしなければいけないと思っています。「一県平和主義」というのは、ちょうど札幌市長が受け入れ拒否を決めて、その時の状況を受けて書いた記事だったんです。その中で彼は、今よりも、もしかしたら放射線の量が多くなるかもしれない、そういうものは受け入れることはできないというおっしゃり方をして、私はそれはそれで正しいと思います。今より多くなるかもしれないというのは、札幌より福島に近いところのがれきのわけですから、線量を帯びている可能性がないわけではない。安全基準を満たしているということなので、科学的に言えば全然取るに足らないという評価をされる方もいるかもしれないけれども、少なくとも市長としては、多くなる可能性があるものに関して、受け入れない決断をされたということは、私は筋は通っていると思うんです。
ただ、それをすることによって、私が気になるのは、さきほど宮古の話で、自分のところでやっていいとおっしゃっておられましたけれども、少しでも放射線量が多くなってはいけないという価値観がそのまま残った形で、宮古でがれきを処理すれば、宮古は放射線量が多くなるかもしれないがれきを処理した場所だということになりますよね。その結果として宮古の復興が、もしかしたら長い時間スケールの中で不利になる可能性があるような気がしていて。それぞれの自治体が自分で決めればいいと思いますけれども、過疎の問題とかそういったものに対して、それをより深刻なものにするような選択であれば、そこはちょっと考えた方がいいという風には思っているんです。
微量放射線の評価というのは、かなり難しいところがあって、こういう結果になることはある意味で想定済み、と言うと変ですけど、原発事故が起きればこうなるということだった。危険があるかもしれないから避けようということだけでやっていくことが、どういう結果になるのかということまで踏まえた上で、どうアプローチするかを考えないといけない時期になっている。私はそのあたりをもう少し分析的に考えて、白石さんがおっしゃることもすごくよく分かって、妊婦さんとか子どもたちは守らなければいけないと思います。そこはリスクゼロに近いような形で生活環境を整えるような環境設計は必要だと思うけれども、一方でそれを全面的にしてしまうと、過疎の問題という、県を超えた形で過疎・過密みたいな、そういう広がりをしている問題に対して、よりそれを深刻にしてしまうようなそういう結果になる。だとすれば、そこはなんらかの方法でそういう結果を避けながら、妊婦さんとか子どものような弱者も救う。過疎地の人たちももちろん弱者ですから、原発事故という不幸なことの結果として新たに弱者をつくらないような決定をする、そういう決定ができるような環境整備をするっていうことが必要なのかなと思って、「一県平和主義を超えて」という記事を書いた記憶があります。 

【藤森】一つの隠れたテーマは過疎・過密ですね。白石さんがさっき非常に象徴的におっしゃった「東京に」というふうな問題だと思うんです。近代という問題ですよね。そこのところで、今の見通しだと人口が10年後に20%減る予測が、30%減りそうだという場所で、一層過疎の悩みに劇的な形で直面せざるを得ないというところにあると思うんですけれども、そこから全部もう1回考えていく必要があるというな議論は、たとえば岩手ではあるんでしょうか。

【伊藤】ちょっと先に申し上げますけど、私は宮古市だけじゃなくて広域を担当していて、受け入れていいよと言っているのは宮古市長じゃありませんので。宮古市長は早く持っていってくれという側です。地元にも当然いろんな意見があって、僕に話したのはほかの町村長です。というのをまず言っておかないと、後で宮古市長に怒られちゃう。今の藤森さん、武田先生のお話で出てきましたけど、過疎の問題、地元でやればいいじゃないかと言っている町村は、本当に深刻なんですよ。たとえば宮古市だけでも、広域合併したせいもあって、香川県と同じだけの面積がある、大阪府とも同じだけの面積があるんですよ。岩手県全体で四国と同じだけの面積がある、そこに140万人が住んでいるんですけど、沿岸部はそのうちの30万とか、人口が少ないんですね。宮古市は大阪府と同じ面積があっても5万8000人しか住んでない。地元に置いておいてもいいよと言った町村に至っては何千人というところなんですよ。
そういうところは東京から不法投棄の山が持ち込まれたり、日本最大の産業廃棄物の不法投棄事件は岩手県と青森県の県境であったんですけど、その処理に10年かかって、まだ処理しているような地域なんですね。そういう負の遺産、それは持ち込まれた方のものですけど、そういうのも抱えているようなところで、広大な面積があって人口がどんどん減ってどうするかと言っている時にこれが起きた。だから町村長いわく、そういう中なんだからちょっとでもカネが落ちるんだったら地元のことも考えてやるやり方もあるんじゃないかと言っていて、僕が記事に書いた。ただし、もうちょっとだけ付け加えると、がれき処理問題は市町村長の手を離れてまして、県がやっているんですね。本来一般廃棄物の処理は市町村の責任なんですけど、県が全額を国に出してもらって処理することになってまして、実務に携わっていなかった県庁の人が、僕に言わせれば机上のプランで広域処理させようとしているのでうまくいってないんだと思うんです。武田さんの言われたような、もっと最初の時の放射能の問題にしても、もっとちゃんと説明することができていれば後々こんな大きな問題、ハレーションを起こしながら推進するような羽目に陥らなかったと思うんですね。そういうことはダイオキシン問題なり、公害問題なり、市町村の現場の本当の廃棄物の担当者たちはずっと味わってきたわけなんですけど、そういう人じゃない人が今回計画を立てているから、たとえば霞ヶ関の環境省の人がそうだと思うんですが。現場の人からすれば、放射能のことが絡んでいなくても、これをよそに持っていくのがかなり大変であると本当は分かってたんですね。だけど絆とかいろんなことを言って進めて、うまくいかなかった。残念ながら、朝日もたぶん東京の記者はそういうことはなかなかよく分かっていなくて、いま推進する側に立ってしまっているんだと思います。推進して早く片付いた方が確かにいいんですけども、そういう問題をはらんでいると。
過疎の問題なんですけど、これは確かに10年、15年たって人口が3割減るっていう予測ははっきりあるんですけど、そういうプランって立てられないですよね、地元の人も。岩手でもやはり、復旧より復興しようとか、そういうこと言っています。だけど復旧すると言っても、もともと人口が減っていたわけだからそれも無理なのに、さらに前よりも良くなるってことは本来あり得ないんだけれども、相変わらず復興計画としては夢のようなプランをどんどん立てています。僕が問題だと思っているのは、たとえば三陸沿岸に高速道路つくる計画があって、震災を機に急速に進んでいるんですけど、東北自動車道は東北の真ん中を走っているじゃないですか。あれを沿岸を通そうということになって、仙台から青森まで400キロぐらいあるんですけど、それを通す。自民党政権時代からやってきてちょこちょこできているんですけど、あちこち分断されてできていたので震災の時に非常に困ったわけですよね。これを全部つないでいれば非常に助かると。それをあと10年以内に全通させるということになって、今ものすごい勢いで用地買収とか色んな工事が進んでいます。民主党政権の時にコストベネフィットを計ったら非常にベネフィットが低くて予算ががくんと落ちてたんですよ。ところが今回の震災を機に急速に予算が膨らんで、ものすごい勢いでつくりましょうということになった。
これも宮古の市長を始め地元の人はウェルカムな人もいっぱいいるんですけど、過疎地に光が当たるという意味ではいいんだけども、それが持ち込まれたら何が起きるかっていうと、全国で立証されていることじゃないですか。僕がここに来るのが大変だって言いましたけど、多分楽になるんですよね。高速バスですぐに来られるようになるかもしれない。その代わり地域の文化とか経済とか、おじいさん、おばあさんでも個人商店で仕事ができるような環境が大きく変わると思うんですよ。高速道路ができるのは10年先だけど、今度イオンが釜石に大きな店舗作る計画が、このあいだ発表になった。岩手県沿岸部にイオンの大きな店はないんですけど、それができると多分、いま宮古で復興計画建てているけど、復興商店街とかそういうところはダメですよね。ユニクロの店舗が沿岸部で初めて釜石にできて、みんな買い物にいっているんです。それで商店の人は泣いている人がいっぱいいるんですよね。外部資本が今までになく、頑張ろう岩手とか復興応援と言って入ってきているんですけど、大きく経済が動いていて、そこから抜け落ちていく人がいて、過疎の中でこんなに大きな金が動くのは初めてのことなんですけど、将来像をなかなか描きにくくなっている。人口が減るのは間違いないし、全体的に地域経済が縮小する中で巨大な公共投資が行われていて、一方でビジネスチャンスというので大資本も入ってきていて、混沌とした中で、僕が取材している対象の人達はこぼれ落ちちゃうような人達がかなり多いなという、そういう印象です。

【藤森】簡単な話じゃないんですね。がれき処理が、あるいは共通の問題かなという話はしましたが、よろしければ次の話に移りましょうか。新聞報道、メディアの問題について話したいと思うんですが。さっき西川さんが冒頭のお話で、そもそも情報が取材相手にも非常に不足していて、非常に足場の悪い中でやってきて、ようやく少しずつ検証という形になり、現在も続けているというお話がありました。それから白石さんが情報の混乱という、いろんな媒体の中で何を信じたらいいのかという状況が生まれてきているんじゃないか、というご指摘がありました。今日は新研集会なので、新聞にできるだけ引きつけつつ、日本の新聞報道はこの13カ月間、当初、またその後十分な報道ができてきたのか、だめだったとすると、できていなかった部分はどこなのか、なぜそうだったのか、その辺について中間総括をお願いできればと思うんですが。西川さんからでいいですか。

【西川】他のメディアまで責任を持って話すのは荷が重いですけど、今の藤森さんの問いに答えるとしたら、できたこともあり、できなかったこともあるというのが正解だと思います。白石さんから新聞の読者の理解度が一番悪かったと聞いてかなりショックだったんですけど、一つはメルトダウンということで言いますと、どの新聞社も3月13日の朝刊にでかでかと「国内初の炉心溶融」と書いているんですね。炉心溶融というのはメルトダウン。それを「メルトダウン、メルトダウン」と騒ぎ出したのは6月ぐらいでしたか。メルトダウンという言葉を、ある段階で誰かが使って、一気に広がったのではないかと思います。それで「メルトダウンということを知らせていなかったではないか」という責めを政府、東電、メディアが受けたという構図。ああいう目新しい言葉が出るとぱっと飛び付くというのはマスコミの悪い癖ですね。その後、「メルトスルー」とか、色んな目新しい言葉が出る度にワーっと騒ぐ。ただ、本質的に変わっていなくて、震災2日目にはメルトダウンと誰もが認識していたというのが本当だと思います。そういう言葉の違いみたいなもので、なかなか伝わらなかったという感じがします。それはあまり本質的な問題ではないかもしれませんが。
 私が個人的にできなかったこと、もっとこうしていれば良かった、と思うことがいくつかあります。その一つ、避難につながる情報を迅速に出せなかった。これが一番大きいかな。SPEEDI問題がその象徴です。僕はSPEEDIというものがあることは文部科学省の担当記者をやったこともあり、以前から知っていました。北海道から戻ってきて、爆発が起きて、その翌日辺りから、「あれはどうなった」と問い合わせはしていました。あちらも混乱期で「なかなか対応できない」「動かせていない」「放出量が分からない」「ちゃんとした予測ができていない」ということで、なかなかうまく記事にすることができなかった。一番放出されたのは3月15日ぐらいだったと思います。その時、どちらへ放射性物質が流れるか、という情報をうまく伝えることができなかった。今でも悔いが残ります。その後、色々状況が分かってくると、放射性物質が流れた方向に避難された方がたくさんいらっしゃって、無用な被曝をさせてしまった、と。一義的には政府にその情報を出す責任があるかと思いますが、しかし私たちも、SPEEDIの結果がなくても、気象データなどから、大ざっぱにでも、こちらに流れるとか、もっときめ細かくやる余地はあったのかなと思います。何の努力もしていなかった、というわけではない。どっちに流れるかという計算自体はそんなに複雑ではないです。気象学をやっていて、同じような計算をできる人はいます。そういう人に何人かは当たったが、タイムリーに記事を出せなかった。
 もう一つは、実際に何が起こっているか把握するのが難しい中で、先ほど「抑制的すぎた」と白石さんから言われましたが、確たる証拠がないとなかなか書けない、という我々の定めみたいなところがあります。憶測では書けない。原子力の専門家に聞いても、いろんなことを言います。原子力の世界は特殊で、専門家が原子力を推進する立場の人と、反対する立場の人にきれいに分かれています。推進する立場の人に聞くと、「まだこんなもんだよ」と言う。昔から反対している立場の人に聞くと「これはとんでもない」「ヤバイ」と言う。どちらを信じて、ということでもないが、そんな話を聞いて我々としてどう判断して書くのかは非常に難しい。依って立つところがない状態で書くのは非常に難しかった。わざわざ抑制的に書いたつもりはないですが、踏み込んだことを言うのは難しかった、というところがあると思います。これは今も変わっていない。例えば最近、4号機のプールが崩壊するのではないか、と言う人もいるが、これをどう報じるか、というのは難しい。

【白石】質問させてもらってもいいですか。大手の新聞社やNHKなどが、早い時期から独自のデータを取っていくことが、もう少しできなかったかと思っています。放射線量に関してはフリーのジャーナリストが双葉町に入って3つの線量計で計測しました。市民やジャーナリストの計測は、数値がバラバラだから信用できないという声もありましたが、郡山、福島など、中通りは、しばらくデータが公表されていませんでした。23日ぐらいになってから、非常に高かったと分かった。今になって「(線量が非常に高かった)15日ごろはまだ断水していたから、子どもたちも外で給水車に並んでいたよね」という話になっています。身近なことで言っても、土壌や食品を測っているのは市民ばかり。市民がお金を集めてやっているくらいなので、大手メディアが、体系的に独自にデータを取ったり、もう少しできるのではないか。少なくとも初期の段階の、例えば福島県内ではそれが必要だったと思います。

【西川】そうですね。今思えば、最初の1週間ぐらいは一番大事な、必要な情報だったと思います。思い付きですが、毎日新聞も科学部だけでなく、社会部などからも福島に応援に送り込みました。みんな会社から線量計を持っていった。それは記者の安全を守るためで、取材部門と切り離して管理することになっているものですから、なかなかその情報をどうこうするというのは難しいですが、例えば、福島にいる何人かの記者の線量を載せたり、そういう手段は取れたかな、と。それはかなり貴重な情報になったと思います。
 例えば一日中、室内で原稿を見ているデスク業務をしている人の被曝はどのくらいだったのか。外を飛び回っていた記者の線量はどのくらいだったのか。そういう大ざっぱなものにしても、出していくという手段はありえた。NHKの番組(ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」)は非常に高く評価されていますが、ああいう手段もありえます。研究者と一緒に回っていくという。ただ、それがああいう緊急時にできたか、というのは難しい。あの時は、どう事態が進展するか、というところにしか我々の目も向いていなかった。避難情報をあまり出せなかったというのは、原子炉の中がどうなのか、ということに目が向きすぎていた、との反省でもあります。

【武田】1990年代に大学で教えていた時、授業の中で原発の見学会をやっていたことがありました。その時はガイガーカウンターを学生1人に1台持たせました。それは原発がある国で生きていく上で必要なことだと思っています。安全に運転されている時に原発の中にどのくらいの放射線量があるか、教養として知っておくのは、原発を受け入れた国で生きていく上で、絶対必要なものだと思うんですよね。でもそれって、他の方はそういう授業を全然していなかったし、自分たちで放射線について知ろうとする意識が、国民全体で薄かったと思っています。
白石さんがおっしゃったように、マスメディアが原子力発電所の中に線量計を独自に置くことをしてこなかったのは、すごく問題だと思っていて、自分たちの目と耳を直接、原発に届ける、ということをしてこなかったわけですよ。ただ、それをしていないということは、国民も気付くべきであって、原子力発電所のある国に生きているなかで、原子力発電所がどういう状態にあるか知ろうとする意欲が、国民全体に欠けていたと思います。それは自分たちで測らなくても、信じられる第三者的な、正確な数字が手に入るやり方を考えることができてよかったはずですよね。それができていなかった。そこから考えるべきだと思います。単純なマスメディア批判だけでは、議論が少し小さくなってしまう。もう少し大きな問題ではないでしょうか。原子力発電所を受け入れるとはどういうことか、そこから考えはじめないといけない問題だと思っています。特にマスコミについて言えば、線量計など独自のものを持っていなければ、「御用報道」とか、「政府の発表の数値を出しているだけじゃないか」と言われざるを得ない。やはり自分たちの目と耳を持たなかったのは反省すべきだと思います。

【伊藤】僕も名古屋社会部のときに、浜岡原発を何回か見学に行ったが、線量計を持っていくという発想がなかった。そんなものでした。今、お話を聞いてすごく反省しています。

【西川】1点だけ言い忘れましたが、そういう中でも、朝日新聞が福島の家庭の食事を丸ごと測って、大体このくらい以下ですよ、と1面で書いていました。毎日新聞も実は生活家庭部が同じようなことをやっています。この地域で1日に摂取する放射性物質はこのくらいですよ、と独自に数字を出してやっている例もある、ということだけ補足したいと思います。

【藤森】西川さんは謙虚だから、ひと言も仰らなかったが、毎日新聞は昨年3月23日、事故の12日後に、「放射線の蓄積注視を」という記事で、国などが測ったものを独自に積算し、例えば福島市内で1770マイクロシーベルトだと報じ、努力しているのも事実です。十分だったか、と言われると問題はあるのかも知れないが、西川さんがあまりに謙虚なのでひと言、言いました。今度は伊藤さんに津波被災地の当初、それから現在に至るまでの報道を総括して、足りなかった点、それはなぜかなどを教えて下さい。

【伊藤】僕は6月に宮古に来ました。その前にも何回か被災地に入って、色んな記事を書いたんですけど、どうしてもステレオタイプが頭に入っていて、感動するヒューマンストーリーを見つけるとか、例えば、3月11日に生まれた赤ちゃんがいないかとか。何回も災害を取材していると、いつものパターンがあるんですよね。そういうのを若い記者は一生懸命探して、実際に紙面に載ったりしました。だけど今はその多くが引き揚げて、最後に残っていると、そういう大きい感動とは別に、先ほどから言っているおじいさん、おばあさんや、「自分のせいで家族が死んだ」というような人がいっぱいいる。そういうマスの人を救い上げる報道、非常に重たい経験している人たちのことをなかなか書けてこなかったというふうに思います。
例えば、ついこの間会った人ですが、1年たってもまだ仕事をしていない。「どうしてなの」といろいろ聞いてみました。60いくつの人で、自営業で90歳のお母さんと2人暮らし。その人は自宅で営業していた。お母さんは昭和8年の昭和津波を知っている人で「早く逃げよう」と息子に言った。ところが息子は動転してしまったのだと思いますが、2階に上がってしまった。「大丈夫だ」と言って2階に上がっていたら、また余震があった。お母さんは「これは絶対くる。お前だけ逃げろ」と言われて、息子は自分だけ逃げてしまった。自分だけ高台に着いて、振り返ったら、自分の家が流されているところで、お母さんは死んでしまった。その一方で、近所では、お母さんと同世代の人を救った娘もいて、一瞬の判断の誤りで、死んだ人と生きた人が分かれちゃったんですね。そういうことがゴロゴロしているんです。そういうことをすくい取るような報道をしてきたのか、と。それは大した記事にはならないですよね、感動的な話でもないし、何かがあったわけでもない。さっきの原発の話を聞いていて思ったんですけど、我々は大きな見出しが立つような話を探しがちで、そうでない話をなかなか書きにくいと思います。でも実はそういう人がかなり多い。家族でなくても、誰かを見殺しにして生き残ったような人がゴマンといるわけですよね。
 もう一つですね、釜石には東京大学が設計したちょっと変わった仮設住宅がある。普通、仮設住宅は南向きにかまぼこ形のプレハブがずらっと並んでいるんですが、釜石のは向かい合わせにつくってあるんです。真ん中にウッドデッキがあり、アーケードが付いていて、商店街のようになっている。東大の人が設計して、将来とか、阪神大震災のことを考えると、仮設が長期化し、孤独死が必ず問題になる。年寄りが多いから、近所付き合いが自然に発生するような向かい合わせの仮設を作った方がいい、と。何回かそこに行きましたが、自分たちでベンチを持ってきたり、洗濯物を干すときに話ができるとか、すごく話しやすい環境をつくっている。ちょっとした工夫でできるわけですね。それを見て私が思ったのは、その仮設は確か8月にできたのだが、われわれは4月、5月ごろ、「早く仮設をつくれ」「避難所は大変だ」という記事を書いていましたよね。「阪神の時もそうだったが、また遅いじゃないか」という原稿をよく書いていた。しかし実際、あわてて作った仮設住宅は、何回も報道されましたけど、耐寒の施設がなくて、後から追加したり、この冬は寒くて水道管破裂の事故もよく起きた。孤独死問題も本当に起きちゃった。そう考えると、「早く早く」と言うだけでなく、もっと違った発想を応援するような記事は書けなかったのか。
 被災者の声を拾うときに、ちょっと安易だったと思うのは、春の段階で「早く体育館から出たい」と。それはその通りだけども、無理に急ごしらえでつくった仮設住宅が、いかにひどい生活になるか、ということはちょっと考えれば分かること。そこは考えて報道しなければいけなかった。今までのステレオタイプで「早くここを出たいだろう」と。そういう声を拾えば大きな紙面にできる。そういう流れに乗った記事を書きすぎていたな、と思います。冬になったら仮設が寒すぎるという記事を書いているから、半分マッチポンプなんですね。自分たちの防災観、大災害が起きたら何が起きるというシミュレーションを持って、もう少し改善できるじゃないかということを提案することができれば、もっと違った展開になったのではないか。それが一つの反省点です。

【藤森】武田さんは、被災者と、被災者ではない取材者の関係の難しさと、伝えることの公益性について大変深くお考えですが、いかがですか。

【武田】森達也さんを含む4人の映像ジャーナリストが被災地に入って撮ったドキュメンタリー「3・11」を見て、色んなことを考えました。特に最後、たくさん子供が亡くなった大川小学校で、遺体が出るのを撮影しようと待っている森達也さんに対して、遺族が角材を投げる映像で終わるんですね。森達也さんが「気持ちは分かるが、私たちはそれを伝えなくてはいけない」とおっしゃる。確かに、報道する社会的責任があると思うが、あれだけ大きな災害になってしまうと、やはり、取材する側と取材される側の対称性の崩れというか、「なぜ自分たちは家族が死んだことを人に伝えられなければならないのか」と思う気持ちの深さを、痛感させられるところがありました。森さんの「伝えなきゃいけないんです」という言葉が空転している、上滑りしている、という感じがしたんですね。「報道であるから人々の悲劇を伝えてもいい。それは社会的な責任がある、正義なんだ」という言葉が通じにくくなっている。それほど大きな災害だったとあらためて思いました。
 ただ、だからといって、伝えることをあきらめてはいけない。報道されることに対し、死を人々に見せて消費されることを絶対に許したくないと思う人がいた、一方で「伝える必要がある」と言った、その言葉が上滑りした。あるいは応援する気持ちでお書きになる記者もたくさんいて、そういう人の全ての関わりにおいて、3・11、その後の被災地の出来事があったという、全体像を伝えるのは絶対に必要だと思っていて、すごく報道の使命が問われているんですね。出来事の全体像を伝えるためにどういう報道をしていくか。個々の報道というのは一部分にならざるを得ないですが、その一部分を組み合わせていった結果として、3・11の災害の全体像を再現できるような、そういう形で個々の報道があるのか、ということが、すごく問われているなあと私は思いました。そこにさらに原発の問題もかかわってきて。そういう状況のなかで、3・11は報道する人に、ある種の覚悟を問うことになったのかな、と映画を見て改めて思いました。感想めいたことで申し訳ないですけれども。

【藤森】白石さん、原発報道に比べて津波報道については、いろんな人々の声をきちんと聞くという努力がなされた、という肯定的な評価でしょうか。

【白石】私は原発報道については結構分析しましたが、津波報道についてはきちんと分析しているわけではないので、何とも言えません。いま伊藤さんがおっしゃったようなことで考えると、私が好きな東京新聞の連載に、「作業員日誌」というのがあります。社会面で毎日一人ずつ福島第一原発の作業員にインタビューしている記事です。家庭の事情とか、お嬢さんが新しい学校になじめなくてとか、いろんな個人的な状況が載っていて、原発のことが遠くなっても、あの記事によって、作業員が毎日働いているという実感を持てる。事件が起きて記事を書く、何かがあって書くという形だと、こぼれてしまうものが多いですよね。被災地の人の暮らしぶりが分かる連載であったり、小さな話でも取り扱えるようなものが、もう少しあった方がいい気がします。
最近、福島の浜通りの人たちの避難の状況を取材しているんですが、双葉町の人たちが埼玉県の旧騎西高校で暮らしている。1年たってまだ高校に暮らしているのはすごく悲惨じゃないかと思っていたんですが、意外にそうじゃない、ということが行ったら分かった。高齢者の人たちが中心ですが、そこはグループホームのようになっていて、接骨院もデイケアもある。イメージしていたものと違った。その双葉町の支所で、何人かの記者の方が、毎週金曜日の夜にやっている習字教室に習いに来ていることを知りました。もともと双葉町で習字教室をやっていた上手な先生がいて、心も落ち着くということで、避難している人たちのために毎週1回開いているものです。そこに記者が4、5人生徒として参加している。こんな習字教室のことは、多分どこにも書かれていないんですね。埼玉は直接的に原発や震災の問題と近いわけではありませんが、埼玉の支局の記者が習字教室に通っている。埼玉は原発や津波の問題とは離れたところにあるし、普段の取材と直接かかわりがあるわけではないと思うんですが、習字を習いつつ、いろんな話を聞いたりして、そうしたかかわりを持っているのを知りまして、少し感動しました。それを書く場所が、今はないかも知れないけれど、それを書けるような枠や連載というのがあればいいのかな、と思います。

【藤森】いい話ですね。朝日新聞だと「いま伝えたい」で1000人の声を伝えたり、毎日新聞は希望新聞とか、努力はしているとは思うんです。伊藤さんが直面している問題も含めて、西川さん、新聞記者同士として、津波被災地での報道に対する意見はありますか。

【西川】やっぱり東京にいると、社会面とかで見る被災地の記事というのは、ある種のステレオタイプ、感動ストーリーのようなもので、社会部の記者と話すと、1年経って、だんだんそれも載らなくなっている、と言っていました。一番最初に伊藤さんがおっしゃったように、今も変わらないことをどうやって記事にするか、これまでの新聞のスタイルでは難しいと日々思っています。原発でも、避難している方はいまだに被災者で、その人たちの生活はどうなのか、まだ全然終わりが見えない、ずっと継続している話ですよね。そんなことを考えると、今までの「記念日報道」とも言われますが、震災から1年のような時には、ばっと出るけれども、その後はパッタリなくなるとか、なかなか解決策もないですけれども、それをどうやって新聞に載せていくか。難しいだろうとは思います。私は原発担当なんで、何を書いても大きく載せてもらえるんですけれども。

【藤森】ありがとうございます。ここで前半は終わりということでよろしいでしょうか。15分間休憩をとりますので、質問をぜひお寄せください。

(休憩)

【藤森】後半に入ります。今回の震災・原発報道の中で、災害自体も複合的ですけれども、報道もかなり複合的だった。いわゆる既存のマスメディア、新聞・テレビだけでなく、ラジオが活躍した、雑誌ももちろん頑張ったけれども、そのほかにポータル系、グーグルのパーソンファインダーとか、あるいはSNS、ツイッターとか、そういうのも機能して、複合し重層した、そういう形のメディア状況が生まれたように思います。今回の原発・震災報道で見えたネットなどの新しいメディアとマスメディアとの関係について、いい面も悪い面もあると思うんですが、どのようにご覧になったか。白石さんからお願いします。

【白石】今回の震災、とりわけ原発報道をきっかけに、マスメディアに対する批判が強まって、同時にネットメディアが浮上してきたと言われていて、確かに事故前に比べると、私たちアワープラネットTVはもちろんなんですが、様々な動画の視聴なども定着してきたと思います。今までそういうことを知らなかった人たちも、いろんなソーシャルメディアを使うようになり、ニコニコ動画、ユーストリーム、ユーチューブも含めて、意外とマスメディアよりも信頼できるんじゃないか、と思う人たちも出てきた、という流れはあったと思います。
私たちは10年間やってきて、その蓄積の上に自分たちなりの形で情報を出しているんですけれども、私自身が深刻だと感じているのは、いわゆるネットの中の言論とマスメディアの間の憎悪というか、対立関係が激化している。対立が深まってしまっているのが深刻だと思っています。震災の1年くらい前、記者クラブの会見に入れないという問題がありまして、私自身は主に総務省で放送法関係の取材をしていて、質問ができないといった問題がありました。それをきっかけにフリーランスやネットメディアにも会見の機会を、ということで取り組みをしていたのが2010年の春です。その当時は新聞労連も、会見開放に関して声明を出したり、各新聞社の方々にも個別にお話をして、フリーランスを排除しない、ネットメディアも会見で質問できるように議論を進めていました。
本来だったらネットメディアも、マスメディアも、ジャーナリスト同士が連帯して、手を組んで一緒にやるべき立場ですよね。ただ、原発事故が起きて現在を見ると、「原子力戦隊スイシンジャー」ってご存知でしょうか。東電レッドとか経産ブルーとか、3人のレンジャーがいて原発を推進するという設定のパロディ動画なのですが、その3人の一人が「マスコミホワイト」。マスコミも推進のグループの一員というふうに、ネットの中では捉えられていて、対決するような状況になっている。問題の本質がずれてきてしまっている。
もちろんメーンストリームのメディアが抱える問題、とりわけテレビの問題というのは深刻な部分もありますが、私自身、新聞や雑誌の記者の人たちと情報交換をして、お互いの情報をシェアしたりして、何とか事態を打開したいとともに取り組んできました。ですので、妙な対立が生まれる中で、言論の環境が必ずしもいい方向に向かっていないのではないか懸念しています。極論を言うことでネット上を盛り上げファンを増やすことを、炎上マーケティングといいますが、炎上することで人気を得るサイクルができてしまっているため、地道に取材をしているジャーナリストの影が薄れ、過激な発言に光があたるという構造が生まれています。さっさ話をしたような、何が事実でどうしたらいいのかということも見えにくくなっている。これは受け手の側の問題かも知れませんが、いろんなメディアをきちんと見て選択する、横のつながりを含めて、きちんとプレゼンテーションできるような環境をつくっていかないといけない。変なポピュリズムを増長しているようなことが、この1年経って見えてきていると感じています。

【藤森】西川さんもその標的の一人だったのかも知れませんが、東電の会見なんかでも、いま出たような状況があるんでしょうか。

【西川】東電の記者会見は、フリーやネットメディアの方にも公開されていて、私は既存メディアの代表というわけではないですが、従来から、記者クラブや大臣の記者会見にフリーの方が参加することに抵抗もなかったんですけれども、原発事故の東電や保安院の記者会見を経験すると、心が揺らいでいるところも若干あります。なぜかというと、政府と東京電力が一緒に記者会見をしていた時期は、一番長いときで5時間以上、記者会見があって、いろんな観点から、いろんな質問が出て、散漫になって、結局何か新しい事実を出させることができていなかったように思うからです。別にフリーやネットの方のせいだ、と言うつもりはありませんが、我々にとって取材の場というのは記者会見の場だけでなくて、会見の取材は表向きの話であって、本音や裏の話はそこでは出ないわけですから、それほど重要視はしないんですけれども、ただ、例えば記者会見を中継しているネットの方にとってみれば、そこで大臣や東電の幹部をつるし上げ、やりこめる姿は、おいしい場面なわけです。記者会見が見せ物になり、エンターテイメントの一つになっていた。見ている人がコメントを書き込むことができる番組もあって、コメントが映像と一緒に流れますけれども、見ている人はそれを楽しむという、そういう場になっていったと思います。
報道する側としては全くありがたくなくて、単に時間だけが長く、徒労感を抱いて終わるだけになっていた。それは何も、ネットやフリーの人が入るからそうなると言うつもりはないですが、一部のネットメディアは明らかに記者会見を見せ物にしていた面があるのは確かだと思います。だからと言って閉め出すのはよくないし、どうしたらいいのか分かりませんが、記者会見が不毛なものになっていったという思いがあります。
もう一つ、ネットから動画にコメントが書き込まれると、質問した記者に対する辛辣なコメントも多くて、「また体制側の質問か」みたいなことが書かれる。見ていると心がへこむので、途中から見ないようにしましたが、そうやって記者会見自体が見せ物になると、東電だけでなく県庁とか、最近はいろんなところでありますけども、記者を萎縮させる側面がある気もします。
逆にいいところもあって、痛感したのが、阪神大震災のころと違って、これだけネットが発達したおかげで、原発事故では専門的なことがいっぱい出てきますが、我々の説明では足りないところを、科学者が自分のサイトやツイッターを使って丁寧に解説して、報道を補完する形で情報発信した。我々は紙の制限があって、書けない細かいところも解説して頂いたりとか、また、この避難所ではこういうものが足りません、この地域ではお風呂に入れますとか、細かい生活情報ですね。阪神大震災の時は、どの地域で水が出ますといったことは、当時で言えば新聞に載せるようなことではないと思われていたのですが、毎日新聞はそういう情報を集めた「希望新聞」というのを発行して避難所に配ると非常に活用してもらえて、高い評価を頂きました。今回もまた「希望新聞」という同じような形でやったのですが、ただ、今回の場合は、細かい情報はネットの方がはるかに充実していた。毎日新聞の場合も、ウェブサイトで同じようなことをやりました。そういうところはネットのいいところとして実感できた。両面、いいところも悪いところも見えた気がします。

【藤森】非常によく分かります。伊藤さん、朝日もかなりツイッターとかを意識的にやったのでは。

【伊藤】朝日は生活情報をツイッターでやって、それがすごく好評だったそうです。社会部の若い記者が提案して実現したと聞いています。私は、ニコニコ動画にこのあいだ出たんですが、コメントのところにいろいろ書き込んであって。あの人の頭はチリチリだとか、ユニクロを着ているじゃないかとか(笑)。喋っている内容と全然関係ないことをいっぱい書いてあって。あまり見ない方がいいですよと言われて、途中から見ませんでしたけど、こういうツールがあるんだなというのを、初体験しました。
宮古には朝・毎・読、各社いるんですけど、例えば、まちづくりの話をするときに、対象箇所が多すぎてフォローしきれないんです。宮古市内だけで33カ所も被災していて、昨年度に「どういうまちにするか」というのを、それぞれの地域で住民が話し合ったんです。通常だったら我々が当然、それを取材するわけですよね。大きな事業が次々に始まって。ところが僕は例えば宮古市田老とか、大きなところはいくつか行っていますけど、あちこち同時開催になると、全く行けない。その時に、ツイッターやブログに「こういうことが起きている」ということを発信する人がいる。だから、被災者の間では、新聞に載るような情報と、本当の身近なところで起きている細かい情報というのを、まちづくりの話も含めて、使い分けている感じがしました。
ただ、もう一つ、それでちょっと問題があるなと思ったのは、そういう伝える人は別に訓練を受けているわけではないので、ちょっとバイアス、自分の見方で、それを書いているから、僕らとやはり違っていて、伝え方が一方的じゃないかなと思うようなこともあって。せっかく熱心にやっているんだけど、話をぶちこわすような方向に進んでいったり、使い方に社会が習熟していないな、という感じもしました。
宮古市のある地域の、例えば宮古市田老についての議論を地元でやっている時に、それをツイッターとかネットで書いたりして、東京の田老出身者が見ているわけですよ。僕が1回、田老の東京人の集まりというのを取材に行ったら、この会場くらいの人が集まってきて、地元よりも、やはり東京にみんな流出しているから、故郷のことが気になる。それで「ネットであれを見ている。ひどいじゃないか」と。あるいは市のホームページも一生懸命読んでいて、「こんなふうになったらダメだ」とかいうことをいろいろワーワー言っているんだけど、本当のところの起きている議論というのは、さっき西川さんが言われた「表の議論」じゃないけど、やっぱり個人の利害がからんでいたり、会議以外のところでのいろんな議論もあって、そういうところはちゃんと取材していないし、うまく伝えようともしていないし、ちょっとずれちゃっている。だから、すごくもったいないなあという気も、一方でしました。だけど、これも確かに、市民側の人がそういうツールを持って情報交換するというのは新しい時代に入ったな、というのは実感しました。

【武田】ネットメディアの問題を考える上で、少し議論の起点を戻したいと思うんですけれども、先ほど私は「福島第1で、なぜ6基の原発がそこに密集しているか」というお話をしました。「『核』論」でも書いたんですが、私は、「反対する側の勢力」のあり方と「推進する側の勢力」のあり方の、ある種のバランスポイントが、福島の原発を6基も増やしてしまった、という考え方をしてみました。どういうことかというと、反原発運動って、70年代ぐらいからですけども、やはり力があったんですよ。で、どういう結果になったかというと、新規に原発の建設用地を獲得することはできなくなっていった。それくらい力があったんですね。でも推進側というのは、やはり発電の能力を高めたいという気持ちがあるので、新規に立地獲得できなかったらどうするかといえば、既存の立地の中に増炉をするという選択をする。この選択は、さきほど「過疎の問題と関わりがある」と言いましたけども、交付金なんかのシステムと組み合わされて、やはり地元にお金を落とすということにもなるので、地元は受け入れるという。そういうことがあって、各地の既存の原発の中に、当初無かったような、計画を超える形での増炉をしていくということが日本の原子力の受容史の中にはあったと思うんですね。結果として、福島に6基もあったがゆえに、私はあそこでもう少し原発の数が少なければ、東京電力の対応力も、ある程度、もうちょっと功を奏したんじゃないかなと思っています。
だから逆に、その反原発運動と、推進側の関わり合いというのが、むしろこう、リスクを高める形で原発の受容をしてきてしまったという。そこが問題であって、やはり社会的にはリスクを減らすような選択ができなければいけなかったし、そういう選択をするために、どういうような関わり合い方があるべきだったかという議論をしなければいけないと思っていました。そのためには、ある種、調停する役割というか、社会的にリスクを減らすという目標を達成するためにどうすればいいかという、いろいろ立場によって違う議論を、「社会的にリスクを減らす」という目標の中で総合していくという、そういう調整役が必要じゃないかなと思ってきたんです。
それで、去年はソーシャルメディア元年と言われることがあって、ツイッターとかフェイスブックとか。去年から増えてきている。ソーシャルメディアという言葉はすごく魅力的に聞こえて、今度こそ「ソーシャル」、社会的な、ある種の調停の役割というのをソーシャルメディアが果たすのかなと期待していたんですけれども、例えば3・11の直後は、私は、ツイッターはずいぶん社会的に役に立った、そういうことをしてくれたと思っています。行方不明の人の情報を、例えばホリエモンとか津田大介さんとか、多くのフォロワーを持っている人が、それをリツイートすることによって、広く「この人がいなくなっているんだけれども、知っている人のところにこの情報が届くように」と広めたのが、私は非常に公共的なツイッターの使い方をしたんだと思って評価している。ただその後、やはりそこでも、原発の歴史にあったような反対派と推進派の分断のような状況があってしまったと思っています。「危険厨」という言葉もありますけれども、「マスメディアが言っていることはすべて安全側に振られていて全然信じられない」と。政府や電力会社も「安全だ、安全だ」と言っているけど、本当は危険なんだ、ということを言う。それをリツイートしていく。そういう人たちのツイッターのつながりが、一方である。それに対して「安全厨」という言葉もありますけども、どちらかというと、科学リテラシーを問うというか、「自然放射線量と比べれば、今の放射線なんかは全然問題がないんだ、だからそれを怖がりすぎるのはよくない」という主張をする。これもなんかちょっと上から目線みたいな、見下すような形であって。私はさっきも言ったように、自然放射線量ではなくて、プラス人工的な放射線量が加わるのであれば、それはやっぱり不安に感じるというのは自然な感覚だと思うので、それに対してやっぱり見下すような、そういう言い方というのは、ちょっとどうかなと思うところがあります。そういう姿勢を取っている限りは、やはり合意に至らない、互いに手をつなぐことはできないんじゃないかと思うんです。
まさにツイッター上でも、その安全であると主張する人と、危険であると主張する人たちの、ある種、リツイートを媒介にしたつながりができていく。それは、ソーシャルメディアと呼んでいるけれども、「社交のメディア」と呼んだ方がいいんじゃないか。自分の聞きたい声を聞く。聞かせたい声を聞かす。そういうことでつながったコミュニティが、二つツイッター上にできてしまった。そういう意味で言うと、ソーシャルメディアの「ソーシャル」という言葉にふさわしくないような、そういう形でのネットメディアの展開みたいなものを見せられてしまって、少し残念に思った。そういう経緯があります。
もちろん、ソーシャルという名前に値するような使い方もされているので、それはあくまでも「一つの傾向」であるとご理解頂きたいんですけれども、まとめて言いますと、「危険厨」の人たちもやっぱりマスメディア批判をする。でも、私は「マスメディア対ネットメディア」という、そういう図式自体がある意味で、意味をなくしているんじゃないかなと思っている。マスメディアというのは、確かにネットメディアができる前からありましたから、それは紙媒体であり、放送媒体であり、ネットではない媒体を使ってきていますけれども、それぞれのマスメディアもネット発信しているわけですよね。そういう意味で言うと、マスメディアのかなりの部分はもうネットメディア化している。さらに、ネットメディアと呼ばれている中でも、津田さんとかの例を出しましたけども、かなりマスに影響力を持てる人というのはかなりいるわけで、単に量の多い少ないっていうことで言うと、そこをマスメディアの方が量のメディアであり、ネットメディアの方が個人発信だというふうに、そう分けて影響力の多い少ないみたいなものを考える、そういう考え方自体が意味をなくしていると思っています。
私はそういう「マス対ネット」という分け方ではなくて、「報告と検証」という分け方の方がいいのかなと思っていて、報告というのは、例えば発表報道的なものを考えています。検証というのは調査報道的なものを考えています。報告に対して検証をしていく。で、検証した報道に対してまたさらに検証を加えていく。そういうようなフィードバックのシステムみたいなものが、マスメディア、ネットメディアを横断する形でできていく。そういうことが、それぞれのメディアがやっぱり「ソーシャルメディア」になっていくために必要なんじゃないかなと思っている。ある意味で今のメディアシステムをみる見方を根本的に変える、そういう必要性が出てきている、そういう時期に来ているのかなというふうに考えています。

【藤森】まとめ部分に今、入っていただきつつありますが、今日のテーマである「災後」日本の社会とメディアが、どう変わってきたのか、これからどう変わっていったらいいのか。それを最後にお一人ずつから、ゆっくりとお聞きしたいと思うんですけども、その前に、会場からのご質問が来ていますんで、それを次にやらせてください。じゃあ佐々木さんからお願いします。

【佐々木】会場の方からたくさん頂いたのですが、「全員を回答者に」と指定されたものも、こちらの方で「この方に」と決めさせていただきます。ご了承ください。それではお一人ずつ、それぞれ答えていただければと思います。まず、武田さんに対しての質問なんですが、「阪神・淡路大震災後の復興のあり方について、新聞は一見、問題のない方向性を示すだけにとどまっていた。そして、今もそうではないか」と。そういう自問があると。「新聞というハコそのものが問題なのでしょうか。あるいは、われわれの意識そのものが問題なのでしょうか」という質問がありました。

【武田】その「今も残っている問題」というのが、何を指していらっしゃるかは、ちょっと今の質問だけだと分からないんですけども、確かに私も、「孤独死」の問題とかね。そういったものはずっと継続しているところがあると思っていて、やっぱり経済格差がむしろ地震を機にして、もっと大きくなってしまっている状況はあると思います。しかし本当に大変な思いをしている人たちがいるにもかかわらず、報道には波があって、波がひくように震災の状況を広くみようということができなくなってゆくと、まさにそういう小さな、本人にとってはすごく深刻なんだけれども、あくまでも一人の不幸みたいなものを扱えなくなってくるという、そういうことはあると思うんですよ。それは、もしそういうことが問題なのだとすれば、それは「新聞というハコの問題」とおっしゃったけれども、まさに先ほど申しましたように、ずいぶんメディアの地図も変わってきている。1995年の阪神大震災の時は、インターネット元年と言われましたけども、それからずいぶん時間が経って、インターネット空間まで含めて、報道ができるような、そういう状況が今はあるわけです。紙の新聞の限られたスペースの中で、やっぱり議題を設定したり、その重点度を明らかに示すという、そういう意味はあり、私は紙の新聞というのはすごく大事な、逆に情報量が限られているからこそ果たせる機能もあると思っていますが、一方で、ネットメディアみたいなものをうまく組み合わせることによって、紙のメディアの中での分量では扱えなかったような細部まで書き込めるということはあるはずですから。そういう新しいネットの技術を使いながら、今までは目が届かなかったこともフォローできるように、そうなっていってほしいと思います。
あと、それはハコというか、メディアの形式の話ですけども、私はやっぱり報道する時に、先ほど最初に「何ための報道か」とか、そういうことを考えさせられたという話から始めましたけども、報道するって何だろうと思うと、私はやっぱり弱者の声を伝えるというか、誰もが目をかけなくなってしまった、しかも当事者は発言したりとか、自分の大変さを訴える力がないような、そういう人に対して、取材ということができますから、取材の力でそういう人にアプローチをして、こんな問題があるんだよということを社会に伝えるというのは、やはり報道の使命じゃないかと思っています。だから、やっぱり見たくない現実というか、見えなくなってしまった現実に、あえて取材のメスを入れて「こんな問題があるんだよ」というふうに伝えていく。そういうことはやっぱり継続的にするべきだと思うんです。ハコの問題という話がありましたけども、もしかしたらそこに入らないという傾斜のかけ方、重点化の仕方の傾斜のかけ方に関しても、やはり報道って何だろうという、そう原理的に考えることから、少し傾斜を変えていくような、そういう発想も必要なのかなと思ったりもします。いいでしょうか。

【佐々木】ありがとうございます。次は白石さんに対する質問なんですが、先に説明されました「震災の情報源についての調査」について。新聞が最低だったということですけども、その対象人数。あるいは何%くらいがそういう答えをしたのか知りたいという質問。それから、「なぜ大学生が新聞を読まないのか。もし生の声がその時、聞けているのであればうかがいたい」と。あるいは、「報道各社の世論調査のあり方についてご意見があれば」ということですが。

【白石】パーセンテージとかは手元に持っていなくて申し訳ないんですけど、まず、全部で調査したのは200人程度で、学生30人が複数の街頭で調査しました。年代は20代から70代くらいまで、まんべんなく聞いていますが、ちゃんと社会調査と言えるようなレベルではありません。原発を今後継続するか、あるいは見直すか」というような「意識」と、「知識」との間に関連性があるのかというような疑問からスタートしています。授業中、学生に「国の設定している基準値が、震災後に見直されていることについて、知っているか」と聞いたら、ほとんどの学生が認識していませんでした。例えば基準値や、実際のプラントの状況について、みんながどのくらい理解しているんだろうと思って、授業で話していたところ、みんな何も分からない。大学院なんですね、一橋大学の(笑)。それで、じゃあみんなで「普通の人、一般の人はどうなのか調べてみよう」ということで調査をすることにしました。全体の200人の中では、新聞を主な情報源にしている人は、とても少なかったんです。テレビとインターネットと新聞で見ると、テレビがもちろん圧倒的大多数でした。なので、ほとんどの情報をテレビをもとに解釈している人が多かったのですが、その中で、意外に「新聞を一番の情報源にしています」という人になぜか不正解者が多かった。しかも堂々と間違っているというところに、非常になんか「なんでなんだろう」という疑問がわきました。
いま世論調査の話がありましたが、いろんな問題について「わかったような気」になってはいないだろうかというところが心配です。世論調査って、よく結果がドーンと紙面に出ますよね。「なんとかに賛成」とか「反対」って。その時に、どういう情報と確信をもとにその答えを出しているのかというのが、私の中ではずっと気になっていました。で、実際に調べてみたら、私にとって「ほとんどの人が分かる」と思っていた質問に対して、3分の1くらいしか正解がないという状況を目の当たりにして、世論調査の前に、「みんながどのくらい正しく現状を把握しているのか」というのをやってみないとまずいんじゃないかと思いました。テレビなどの影響を受けたり、テレビの論調とかですね、なんとなく雰囲気で回答するという人が多いのではないかと心配をしております。

【佐々木】ありがとうございます。次は伊藤さんに対する質問です。「被災地の方々の日々のニュースの情報源は何ですか。被災者に新聞が読まれているという実感はありますか」。また、「先ほどコンクリート行政の見直しの契機になるかもしれないという発言がありましたが、実際に地元市町村の復興計画を見て、見直しにつながりそうだと思いますか。それとも、より強固なハードが整備されるんでしょうか」。

【伊藤】日々の情報源について、岩手県はわりと、新聞に対する信頼はかなり高いと思うんですが、残念ながら朝日新聞じゃなくて岩手日報を読んでいる人がほとんどですね。都会で取材するときに比べると、地方ではまだ新聞に対する信頼がかなりあるなというのは、今回実感しましたけども。
 読まれている実感があるかですけど、これは確かに避難所で皆さんが、河北新報の本にも書いてあったけど、皆さん食い入るように読んでくれるとか、震災直後は停電したこともあって、ネットの一部が使えたのと、新聞をいろいろ苦労して配達の人が持ってきてくれて、避難所に持っていったらものすごい勢いで読まれたという、感動的なことが、われわれ新聞人としてはありました。新聞、紙メディアというのも、古いけど、遠いところで印刷して持って行けば、こんなふうに読んでもらえるのかというので、活字メディアというのもいいなと私は思いました。
最後の「コンクリート防災」ですけど、これはまさに私が一番言いたいことの一つでもあるんですが、残念ながら全然、見直しの方向に行っていないですよね。一番象徴的なのが、昨年の3月、私は震災の直後に釜石の湾口防波堤というのを見に行ったんですけど、例のギネスブックに載っているというやつで、30年かけて釜石湾の海の中に防潮堤を作ったんですけど、1300億円、30年間かけて作って、それがギネスブックに2010年の9月ぐらいに載ったという、そういうのが喜ばしいという記事が震災の半年くらい前に載った。それが去年の3月にあの大津波が来たら倒れちゃって、湾の中に津波が入ってきて、市街地が壊滅的な状況になった。それを私は直後に取材に行ったんですが、その時に国交省の人は、国が直轄で作ったんですけど、「倒れはしたけれども、それがエネルギーを殺した」と。市街地を半分ぐらいか、3分の2だったかの被害で済ませたと。だから、効果がなかったわけではないと。えらい苦しいことを言っているなと思ったんですけど、しかし1年経ってみたら、ついこのあいだ、復旧の起工式があって、確か400億か500億かけて、あと5年以内に復活させるというのが決まって、着工したんですね。1300億円+500億円で1800億円ですよ。こんな莫大な金をかけて。東京湾の入り口に、ふたをするようなものなんですよ。そうすれば中は確かに守られるけども、そんなことをやって防げるというふうに思っている方が僕は不思議なんですけども。しかし、まあ日本は、やるんですよね。で、ギネスブックに載っていると言うけども、世界で果たしてそんなことをやっている国があるかというと、恐らくないんですよ、そんなことをやる国は。例えばチリ。あそこも津波が多いが、チリやインドネシア、あるいはアメリカがそれをやるかといったら、やらないですよね。むしろ、もっと安全地帯に引っ越すとか、街の形成のあり方を考えるとか、そういうことにしなきゃいけなかったんだけど、日本の場合は高度経済成長以降に、このコンクリート防災が徹底されて、今回は見直しのチャンスだったけれども、やっぱりその延長でやることになってしまった。
釜石の街の復興計画も、湾口防波堤をさらに強固にして、「あれで今度は防いでくれるから、街もまた前のところに作りましょう」と。こういうことに今、落ち着きつつあるんですね。だから前のようにまた戻りつつあるんです。これは批判する我々の力不足なんですけども、外から見ればそういうようなことなんだけど、住んでいる人から見ると、やっぱり前の土地に住みたいという意欲ももちろんあるので、別に国交省の役人だけが悪いとか、ゼネコン、マリコンが儲けるためにやっているから悪い、というほど単純なことじゃない。だけど、そういう住民の意向も反映しながら、そのコンクリート防災神話が、やっぱり復活しちゃったなというのが、残念ながら私の見ているところです。

【佐々木】ありがとうございます。最後に西川さんに質問です。「福島事故の直後の取材の難しさというのは理解しましたが、仮にまた同様の事故、あるいは災害等があった場合、政府などの一方的な情報発信などに頼らざるを得ないのでしょうか。今回の経験から、今後、取り得る対策などありますか」。もう一つ、「原発の被害というのが、放射能の影響を受けて、さらに今後も出てくると思うがどうでしょうか」という質問もありました。

【西川】ちょっと難題ですね。もう1回、同じことが起こった時に一方的な発信に頼らざるを得ないのかという方ですけども、今回もですね、さっき反省も口にしたんですが、裏を取る努力をしていないわけじゃなくて、専門家に聞くというのは一つの手段であるし、たとえば収束作業に関わっている作業員の方への取材というのも、事故直後から社会部が中心となって継続的にやって、実際に中はどうかという話も聞いていて、政府や東京電力の発表だけに頼っていたつもりはないんですが、それでも一番情報を持っていたのは東電である以上、東電の言うことをとりあえず報道する、ということはある程度仕方なかったのかな、と思います。
もう一回同じ事が起こったときどうなのかというと、さっき武田さんから「平時から原発を監視するような目と耳をメディアが持っていなかったこと自体が問題だ」とご指摘を頂いたんですが、そこで私ははっとしまして、たとえば、空港なんか必ずテレビ局は固定カメラでずっと撮ってますよね。いつ事故が起きるか分からないので。ああいう仕組みが、要するに独自の情報を取る手段というか、そういうものを私の一存で毎日新聞は設置しますとは言えないんですけれども、一つの手段であると気づかされました。答えになってないんですけれども、もう一回同じようなことがあったときには今回よりもいいやり方で報道しなければいけないと思っています。
二つめですけれども、放射線被害、健康被害ということですかね。個人的には福島以外の人は全く心配しないでもいいと思いますし、福島の方であっても、これまでなされている様々な調査で、つい先日でしたかWHOの推計でも、多めに見積もっても50ミリシーベルトには達してないだろう、というような発表もありましたし、福島県がやっている、一人一人の行動記録から推定した放射線量も、30ミリシーベルトとかそのくらいに収まっていると。100ミリシーベルトより低い被曝の場合は健康影響って言うのは、よく分かってないと一般に言われますけど、まったく何も分かってないわけじゃなくて、ガンになるリスクも、ガンになる他の要因との区別が付かないくらい低いということなので、恐らくそれほど心配しなくてもいいんじゃないかと思っています。これは、幸いにしてそうだったというだけで、それをもって例えば政府の避難のあり方とか、我々の避難の報じ方がよかったとか免責されるというわけではないんですけれども、たまたまそのくらいですんだ、というふうに思ってます。

【佐々木】会場からは他にもいろいろと質問を頂いたんですが、時間の関係もありましてここまでとさせていただきます。

【藤森】質問全てをフォローできなかったかも知れませんが、お許し下さい。時間がもう少しになりました。話をしてきて、今日のテーマが「災後日本の社会とメディア」ということですが、具体的な、いろんな事例に即して、そのことを話してきたように感じました。がれきの広域処理についてのそれぞれの多面的な見方や、あるいは今回の震災でさらに浮かび上がってきた背景にある過疎の問題、現場の状況、あるいは復興ビジネスの問題、そういう構造的な問題もありますね。それからメディアの点では、ネットなどの媒体の重層化が、光と影を両方持っているんじゃないかという指摘もございました。あるいは、ソーシャルと言うことで、原発についての推進派と反対派のコミュニケーション不全、その社会的な調整の必要性、という現状の指摘もありました。それらをふまえて最後に、お一人3分ずつで恐縮ですが、震災後の日本の社会はどう変わったのか、震災後に日本のメディアはどう変わったのか、1年3カ月に入ったこれから、新聞はどんな役割を果たしていくことが大事か、という点を中心に、ひと言ずつお願いします。恐縮ですが、最後のまとめとして下さい。武田さんから行きましょうか。

【武田】私はね、やっぱり3・11がすごく大きな出来事であったので、もちろん日本社会も変わったしメディアも変わったと思います。一方で変わらないものというか、変わり得ないほど、ある種深い部分にあるものを見る必要があると思っていて、メディアというのは、マクルーハンというメディア論者がいますけれども、人間拡張の道具であるというふうに言って、人間性をある意味拡大増幅するものである、とマクルーハンは言っていますね。まさにそれと同じ、そういう考え方で見られるようなことが今起きていて、やはり人間自体が差別的であるからこそ、いろいろな差別の問題が出て、あるいは被災地とそうじゃないところの分断の問題が出ている、それは人間性そのものが、メディアによって増幅された、あるいは3・11という災害があったからこそ、さらに増幅された、そういう結果じゃないかと思うんですよね。そういうふうに考えていくと、やはりこの災害をまたいで変わらない、ある種人間の人間性の部分をいかに描いていくかということが、これからすごく大事になっていくんじゃないかなと思っています。
今日は新聞の世界で働いている方々の会に招いていただきましたけれど、私はどちらかというともっと長い文章を書くのが仕事ですので、特に私は、ベトナム戦争の時に開高健の小説とかコッポラの映画とか、どちらも架空のもの、創作なんだけれども、やはり人間性の深い部分を描いたと思っていて、実はベトナム戦争に至るような人間の狂気みたいものは、報道よりもむしろそちらの創作物の方が描いたんじゃないかと思っています。
3・11っていう災害の全体像を描くためにも、報道ももちろん重要でこれからも仕事をして欲しいと思いますけれども、報道に限らず、災害に刺激されて想像力の中でつくられた作品も含めて、3・11の全体像というのがこれから描かれていくという、そういう必要性があるんじゃないかと思っていて、そういうことを考えながら今日は議論に参加させていただきました。

【白石】今日はありがとうございました。最後に西川さんのお話を聞きながら思ったことをお話します。私自身は先ほどのフロアからのご質問に関して、今後の被害については大変心配している立場にいます。たとえば100ミリシーベルト以下のがんリスクの話がありましたけれども、恐らく今、全国で放射能の問題に取り組んでいる、内部被曝の問題を調べていらっしゃる方々は、がん以外の様々な症状について非常に心配していると思います。実際に25年たっているウクライナやベラルーシの公式なデータによると、健康な子どもは全体の2割程度。慢性的な疾患とか体調の悪い状態が続いているという報告を多数聞いております。もちろん日本の子どもの方が、ベラルーシやウクライナの子どもより、ホールボディーカウンターなどでの内部被曝量はデータ的に見ると多くはないので、そういう意味ではそこまで深刻な状態にはならないのかなとは思いつつも、やはり、いろんな手だてを先に取っていかなければならないだろうと思っています。
ぜひお願いしたいのは、新聞記者の方々には、情報源を広げていただきたいということです。たとえば原発に反対していた人たちは30年もの間、ほとんど、大きなメディアからは扱われてこなかった。そういう意味では推進する側とは非対称にあったと言うところがあります。権威を持たない、お墨付きがないような、大手のメディアからすれば怪しげな情報源、あるいはそういう言説も含めて、間口を広くあたって、その中で最終的に真偽を確かめていく必要があると思っていますし、大手メディアの方々にもぜひそうして頂きたいなと思っています。
確固とした疫学的なデータがない中で、被曝の被害を予見することはとても難しいことです。ですが、怪しいものも含めて、最終的に書けるところに踏み込む。完全な裏付けデータがとれなかったとしても、様々な事象を集めることで自分なりに確信を持てることもあるし、その時に記事するための手法は様々あると思います。もし3・11というものを生かすとしたら、そのぎりぎりのところで勝負する必要がある。どんなことも捨てずに、がさっとソースとして集め、等価で扱っていただけると嬉しいなと思います。
私達のような小さなメディアはどんなに発信しても1万人、多くて20万人くらいの人しか見てもらえないメディアですので、私たちが出したものがその後、たとえば新聞などが後追いしてくれることで、最終的に定着することになります。でも、私たちだけではどうにもこうにも広がりはありません。いやな言論があるかも知れないネットの中も含め、あるいはうわさ話とか口コミみたいなものも含めて、毒かも知れないものも含めて、ソースを吟味していただいて、広くあさっていただけるといいなと思います。最後は意見というよりはお願いという感じなんですが、そういうふうに思っています。

【伊藤】今日はどうもありがとうございました。私は、さきほどの、お母さんを亡くした自営業の方みたいな人と、ずっと付き合っていって、こういう人がどういうふうに乗り越えていくのか、自分の中のものとどういうふうに折り合いを付けて生きていくのかというのをフォローしていって、この震災の記録というのを書いていきたいと思います。
被災地は、あれだけひどいことになって、リスクは、もう何回も繰り返しているからまた来るのは分かっている。その中でどこに街を再建するのか、困難な中でやっているわけですけど、これを報道する意義というのは、被災地のためだけじゃなくて、例えば東京にしてもそうじゃないですか。地震もあるかも知れないし、海からの災害も可能性があるわけですよね。よく八ッ場ダムのこと書いていて、いつも思っているんですけど、八ッ場ダムを、このあいだ前田大臣が最終的につくると言ったときに、彼が報告に行ったのは群馬県の現場に行って、地元の町村長に向かって頭を下げてやりますと言っているわけですよ。受益者はいったい誰なんだって事ですよね。あれは全然、ダムの地元のためにつくるんじゃないんですよね、東京を守るためにつくるわけじゃないですか。だったらたとえば東京都庁に行って頭を下げなければいけないんじゃないのかと私は思いましたし、あるいは埼玉県ですよね。そういうところに行かなければいけないのに、彼が行くのはそこだった。しかもそれをメディアは単についていって、彼が頭を下げているのを報道しているだけですよね。いったい何のためにやってるんだっていうこと、これは私は名古屋にいて自由だから感じたんですけど。
そういうことは実際には東京にもあって、東京は実はかなり危険なわけですよね。八ッ場ダムなんかやるよりも、たとえば利根川の支流の江戸川、江戸川区の江戸川は堤防ぺらぺらですよ。地盤沈下してぺらぺらのコンクリートを足しているだけです。よっぽどそっちの方に金を使わなければいけないのに、なのにこの何十年もかかっているダム、そっちの方に金をつっこんでいるわけですよね。そういうところこそ、東京都なり東京都民が手を挙げて、自分たちの安全のためにはこうしろって言わなきゃいけない。ちょっと関係ない話をしましたが、リスクを背負いながら生きていくんだということは、いま東北の人たちは覚悟しながら計画をつくりつつあるわけですけども、東京の人もそこを考えて、江戸川区は特に23区の中で人口増加率はナンバー1なんですよ。そこに一戸建ての人がいっぱい住んでいる。そういう状態で、たとえば新聞にしても八ッ場ダムのことを書くときに、そういうことを抜きにして単にバカな事業をやっているみたいなトーンだけで書いていてはまずいわけです。そういうことを意識した記事を、できれば私も書きたいし、できれば会社の中も変えていきたいと思います。

【西川】社会やメディアがどう変わったかというのは、ちょっと分かりません。一つだけ、さっき武田さんが「反対派と推進派というグループがネットの中でも起きていて」というお話をされて、私も実は事故が起こった時に、今までの原子力業界を振り返ってこれが一番不幸だったんだと思いました。つまり事故の前から、原発を推進する人たちと反対する人たちという二つのグループができていて、それは専門家の中でもそうです。ある意味、その中で話が閉じていて、原発を安全にする手段を探るとか、安全かどうかを議論するということになっていなかった。その状況に僕たち科学記者もあぐらをかいていた面があって、例えば、東電のトラブル隠しとか不祥事があって原発を批判する記事を書く時には反対派の先生にコメントを求めれば当然思い通りのコメントをして下さる。だから我々、私もそうですけど、事故前から京大の小出さんとかいわゆる慎重に見ていた人たちとも付き合いもありますし、別に彼らの言うことを聞いていなかったわけではないんですが、ですが、そういう形である意味安易に、こういう事をしゃべってくれるだろうと言うことで話を聞いていたという面が正直に言ってあります。
もちろん、その時その時で今の原発のあり方や進め方を批判する記事は私自身も書いていますし、いろんなメディアが書いています。2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が火事になりましたけれども、あの時に毎日新聞は「原発震災」というタイトルの連載をやりました。そういう問題提起をして、批判的な記事も書いてきたんですけれども、結果的に今回のようなことを招いてしまった。それはやっぱり、日本でこういう事は起こらないんじゃないかという思い込みが、どこかに、政府や電力会社だけじゃなくて我々の中にもあったんじゃないかと思っています。
ですのでこれからは、そういうことがないようにしなければいけない。ただ、今もすでにネットの中でも反対、つまり心配だと言っている人たちと安心だといっている人たちの間で溝ができている。これは本当に、お互いにその中だけで話していると、また同じような不幸な事になるんじゃないかという思いがしています。どうしたらいいのかちょっと分かりませんけれども、私は科学をベースに物を考え、物を伝える人間なので、あくまでそういうふうに、これからもしたいと思っていますが、一方でさっきの白石さんのご発言にもあったように、見方が違う問題について、科学を振りかざすだけでは解決しないという、なかなか納得されないということも震災後に度々味わっていますので、これから自分の中で、どうやってそれに折り合いを付けていくか、考えていきたいと思っています。

【藤森】ありがとうございました。1分だけ言わせていただくと、「災後日本の社会とメディア」ということで、非常に難しいな、ということがよく分かりました。具体的にそれぞれお考えでいらっしゃるし、やっぱり前に進もうという点では同じだと思うんです。僕が考えている震災後の社会とメディアの状況は、言葉で言うと「絆と分断」だと思います。
「絆」ということも決して嘘ではなかったし、そういう思いもやはりあると思うんですよね。きょう私の学生が来ていますけれども、一緒に石巻に何度もボランティアに行っています。そういうことが広がってきていることも、これも事実ですね。一方で「分断」が、いろんな社会の中でも、メディアの中でも起こっていることも事実です。そこのところをどうやって、でも明日、みんな生きて行かなきゃいけないわけで、少しでも分断を乗り越えるべく、お互いに賢く、つなげる手はつないでいくか、というところで、やはり報道、マスメディアの果たす役割は大変大きいと思います。それを誠実に続けていくというお話がありました。白石さんの冒頭のお話にあったように、本質的にはまだ何も変わっていない。まだまだ続いていて、途中ですよね。これからもずっと営みを続けるしかないというような感じを、お聞きして思いましたけれども、それをやっていくことができるんじゃないか、という気もしました。
3時間を超える長いシンポでしたが、最後までお聞き頂いて本当にありがとうございました。パネリストの皆さんもありがとうございました。終わりにしましょう。(会場拍手)

【佐々木】今日は本当にありがとうございました。集会についての感想など、可能でしたら受付にお渡し下さい。パネリストの皆さん、コーディネーターの藤森さん、ありがとうございました。もう一度拍手をお願いします。(会場拍手)


2012年3月23日(金) : 「新型インフルエンザ等対策特別措置法案」に反対する声明
 新聞労働者でつくる「日本新聞労働組合連合」は、新型インフルエンザ等対策特別措置法案の今国会での成立に強く反対する。集会の制限や土地の使用、物資の買い上げを強制的に行うことができ、多岐にわたる私権制限を可能とする法案であるにもかかわらず、法案作成のための会議は非公開で行われ、情報開示と国民的議論が全くなされていない。こうした対策に医学的効果があるのか、他に代替策はないのか、そもそも新型インフルエンザの発生可能性と危険性がどれほどあるのかなど、必要不可欠な情報が示されていない現状では、法案の成立を認めることは到底できない。

 法案は「国民の生命・健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある新型インフルエンザが国内で発生し、生活・経済に甚大な影響を及ぼすおそれがあると認められるとき」(法案第32条、※1)との要件に基づき、首相が緊急事態を宣言すると定めている。緊急事態宣言は最大3年に及び(同)、都道府県知事が施設管理者と催しの主催者に中止命令を出す形で集会を制限することが可能になる(法案第45条)。

 しかし、この要件は極めてあいまいであり、対象は致死率が非常に高い新型インフルエンザにとどまらない恐れが大きい。2009年に世界で大流行し、政府が入国者の検疫や患者の強制入院などの強い措置を取って社会的混乱を引き起こしたものの、後に季節性インフルエンザと同程度の致死率であることが判明した新型インフルエンザのようなものであっても、集会中止命令が出される可能性が否定できない。集会の自由は、民主主義の基礎となる重要な権利として憲法で保障され、制限を加える場合は制限の必要性、有効性が明らかで、かつ必要最小限でなければならないとされている(※2)ことに照らして極めて不当であり、憲法違反の疑いがある。

 インフルエンザは患者の咳やくしゃみなどの飛沫と共に放出されたウイルスを吸い込んだり、手に付いたウイルスが気道に入ったりして感染する(※3)ことから、人と人とが一定の距離を置けば感染リスクは下がるとされる(※4)。09年の流行初期に米国などで感染し、航空機で帰国した後に感染が判明した患者は11人いたが、近くの座席の乗客や対応した乗務員約700人のうち、機内で感染したとみられる人はいないことが、政府みずからが発表した資料にも示されている(※5)。また、米国疾病管理予防センターは、熱や咳などの症状がある人に自宅にとどまるよう求めたり、集会会場に手洗い設備を多く設けたり、診察・治療できるようにしたりして、感染リスクを下げられるとする(※4)。こうした感染防止策を取った上で集会を行うことも可能だと思われ、乱用の危険性が大きい中止命令の規定は安易に設けるべきではない。また、満員電車での通勤など他の社会活動を禁じず、集会のみを制限することに、感染のまん延を防ぐ効果がどれほどあるのかについても疑問を抱かざるを得ない。

 なお、この法律は新感染症全般に適用される(法案第2条)。新感染症の定義のあいまいさや、私権制限を伴う対策に科学的根拠が示されていないこと、国民的議論がなされていないことは、新型インフルエンザの場合を上回っており、適用には強く反対する。

 法案では指定公共機関として日本放送協会が明記されたほか、公益的事業を営む法人の中から政令で定めることができるとされている(法案第2条6項)。また、指定公共機関は、その業務について新型インフルエンザ対策を実施する責務を有し(法案第3条5項)、首相や都道府県知事は指定公共機関に指示を出すことができる(法案第33条)などと規定されている。しかし、報道機関は自らの判断に基づき必要な報道を行うものであり、政府や自治体が持つ情報を監視する社会的使命を帯びている。報道機関に法律上の責務を負わせることは、権力監視機能を損なわせ、報道の自由と国民の知る権利を侵害する恐れが非常に強い。このため、新聞社、通信社などのあらゆる報道機関について、指定公共機関とすることに強く反対する。

(1)法案第32条「…新型インフルエンザ等(国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがあるものとして政令で定める要件に該当するものに限る)が国内で発生し、その全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがあるものとして政令で定める要件に該当する事態が発生したと認めるとき…」
(2)最高裁平成7年03月07日第三小法廷判決
(3)国立感染症研究所「インフルエンザQ&A2008年版」
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/kensa/hibakukenshinkeka.jsp
(4)09年インフルエンザに関する米国疾病管理予防センターのガイダンス
http://www.cdc.gov/h1n1flu/guidance/public_gatherings.htm
(5)平成22年6月8日 厚生労働省「今般の新型インフルエンザ(A/H1N1)対策について(資料集)」59ページおよび63ページ

日本新聞労働組合連合 委員長 東海林智

2012年2月18日(土) : 壁新聞『つぐ、3・11』〜若手・女性新聞人が集い、考えた〜
 多くの命と笑顔を奪い、悲しみを生んだ「3・11」。この日の記憶を、決して風化させてはならない−。使命感を、新聞人は強く、深く心に刻んでいます。
 東日本大震災から1年の節目が近づく今、新聞労連青年女性部は全国の若手・女性新聞人の思いを集め、形として残すことを考えました。それは、未来の新聞人たちにつぐ(継ぐ、告ぐ)「壁新聞」です。
 津波で水没し、電力も失われた街の中で、地域住民に手書きの壁新聞で情報を届けた石巻日日新聞(宮城県)に着想を得ました。
 2012年2月18、19日、栃木県宇都宮市に若手・女性新聞人90人以上が結集しました。職種テーマごとの分科会に分かれて、「大震災」を青臭く語り合い、9枚の壁新聞を作りました。「命あっての報道」「地方紙の力 再確認」−。私たちのメッセージを、ご覧ください。

2012年2月18日(土) : 壁新聞『つぐ、3・11』@【編集A】【編集B】
■■■編集A(写真左)■■■
 現場経験を積んだ記者たちが、記事に主眼を置いた“正統派”の新聞を作りました。津波被害を受けた岩手県釜石市、大槌町で取材に奮闘、自らも被災した編集A班メンバーである岩手日報・横田記者の話が中核記事。風評被害に悩む福島民友記者の思いを明かした雑観も、読みどころです。白抜きのメーンカット「地方紙の力 再確認」は、紙面に力強く映えています。
■■■編集B(写真右)■■■
 全国各地から集まった編集B班のメンバーは、被災地への距離感がそれぞれに異なり、震災への思いも微妙に違っていました。それを一つにまとめるのではなく、おのおのの思いをそのまま生かそう−という紙面方針を立て、日本地図の上、自らの居住エリアに思いを直接書き入れました。「体験はしていない。でも、忘れない」との京都新聞記者のメッセージに、共感する人は多いのではないでしょうか。

2012年2月18日(土) : 壁新聞『つぐ、3・11』A【編集C】【編集D】
■■■編集C(写真左)■■■
 紙面の中心に据えられた「♥」と握手のイラストで、被災地との「絆」を表現しました。やわらかく、ハートフルな紙面です。新聞作りに当たり、話を聞いた被災地記者2人の「3・11」を簡潔に紹介。題字下には、同じく被災地・福島の記者がコラムを寄せました。長い復興の道のりに向け「断ち切れない絆を」との訴えは、胸に響きます。
■■■編集D(写真右)■■■
 壁新聞作りに当たり、特別講師に招いた石巻日日新聞記者の講演を紹介しました。注目の記事は、被災地記者の実話をもとに編集D班メンバーが考案した、災害下の「三種の神器」です。情報・電気のない環境下を生きるため@ラジオA懐中電灯B電池の備えを呼び掛けました。通信機器に過度に依存している各社の取材体制がいかにもろいのかを指摘、再考も促しています。

2012年2月18日(土) : 壁新聞『つぐ、3・11』B【広告A】
■■■広告A(写真左が表面、写真右が裏面)■■■
広告風の記事に、「白紙にしておくのがもったいない」と裏面まで有効活用した、実に広告マンらしい紙面です。広告A班メンバーの新潟日報、上毛新聞社員が実際に取り組んだ、震災の企画広告を紙面左側で紹介。過度に自粛せず、経済を回すのが広告の使命−との同班の思いは、メーンカット「広告が人・社会を元気に」に明快に表れています。

2012年2月18日(土) : 壁新聞『つぐ、3・11』C【広告B】【販売】
■■■広告B(写真左)■■■
 東北3県に比べれば規模は小さいものの、津波・原発事故の被害を受けた茨城。心に苦しさを抱える「(茨城の)読者に寄り添う」ため、広告B班メンバーの茨城新聞社員がこれから同紙で取り組む企画広告を紹介しました。県民約100人の声を取り上げ、復興への一体感を高める−という広告内容からは、地域を思う新聞人の情熱が伝わってきます。
■■■販売(写真右)■■■
 販売班メンバーの震災後の取り組みを紹介した記事「全国の販売状況」が、オススメです。琉球新報では、沖縄県内の避難者に情報を届けるため、購読料を低く設定した「特別料金」を導入。下野新聞では、福島県から栃木県に避難した人向けに、1日遅れで「福島民報」を届けたといいます。構造的な新聞不況と、最前線で闘う販売マンたちですが、メーンカットは「新聞でつなげる明日」と明るいです。

2012年2月18日(土) : 壁新聞『つぐ、3・11』D【印刷】【組合】
■■■印刷(写真左)■■■
 震度6弱の揺れに見舞われた震災当日の夜、輪転機を壊すことなく工場を稼働、号外を発行した河北新報印刷センターの事例を紹介しました。1978年の宮城県沖地震を踏まえ、印刷工場に導入された「免震構造」が、揺れの衝撃をやわらげたと言います。壁新聞に工場のイラストも掲載し、読み応え抜群。「準備を怠ることは、失敗の準備をするようなものだ」との河北印刷センター社員の言葉は、次世代新聞人に継ぎたいメッセージと言えそうです。
■■■組合(写真右)■■■
 福島県南相馬市を担当していた私たちの仲間、福島民友・熊田由貴生記者が震災後、同市の国道沿いで遺体で見つかりました。「記者で無かったら、命を落とさなかった」。息子を失ったお母様の言葉を、同世代である私たち若手新聞人は受け止め、未来に引き継ぎかなければならない。組合班は「命あっての報道」とのメッセージを壁新聞に刻みました。

2012年2月1日(水) : 新聞労連第119回春闘臨時大会ひらく
新聞労連第119回春闘臨時大会 人間の論理で闘おう―春闘大会スト権93%

 新聞労連第119臨時大会は1月25、26の両日、東京の台東区民会館で開いた。経済偏重主義を強める行政や経営側に対抗するスローガン「人間の論理を高く掲げよう 社会的連帯で未来を拓こう」を採択。ベア0・43%の統一要求基準や非正規労働者支援などの春闘方針を原案通り可決し、産別スト権を賛成率93%で確立した。秘密保全法制に反対する特別決議も採択した。
 開会あいさつで東海林智委員長は「人件費削減を進める新聞社に内部留保の貯め込みを吐き出させよう。産業研究を深め、未来を語ろう」と呼びかけた。さらに「政党助成金に手を付けず民意に反する議員削減をねらう政府に危機感を抱く。提案されそうな派遣法の骨抜き改定や有期雇用法制は非正規労働者を差別し解雇自由の経営をめざすものだ。日本経団連は定昇凍結も口にしている。弱肉強食を許すまい。産別、地域共闘を強めよう」と決意も込めた。
 来賓として、井戸秀明MIC事務局次長(民放労連副委員長)と日本航空の不当解雇撤回をたたかう客室乗務員原告団の大池ひとみ事務局次長が連帯と共闘のあいさつをした。
 闘争方針は、基準内賃金で昨春闘より0・15ポイントマイナスだが0・43%アップのベア要求を柱とする賃上げ▽労働条件改悪阻止▽非正規労働者らの支援▽経営監視▽平和とジャーナリズムなど―の5本柱。東日本大震災後に労連方針に加えた「脱原発をめざすエネルギー政策の転換」や「庶民増税反対」を盛り込んでいる。
 2日間の討議では、過労死認定訴訟や解雇撤回闘争、東日本大震災の被災地ボランティア活動などの報告のほか、労連ジャーナリズム大賞のあり方を問い直す意見、争議支援行動への参加要請などがあった。
 本部活動報告、2011年秋年末闘争実績批判、財政報告などは本部提案通り承認。労連会費から争議基金への繰入額を「5%」から「1%以上」に変更する規約改正も賛成多数で承認した。
 特別決議は、法案提出準備が進む「秘密保全法制」について、公安関連情報などまで秘密対象とされる▽取材活動が秘密漏洩の教唆とされ処罰対象になる▽公務員に萎縮効果をもたらし国民の知る権利が侵害される―などの理由で反対した。新聞協会なども既に反対声明を出している。
 大会期間中にはスポーツ紙レジャー紙共闘会議、新聞通信合同ユニオンを支える会結成総会もあった。

2011年12月26日(月) : 塚野さん過労死認めず 大阪地裁が不当判決
 原告の妻・信子さんと弁護団は控訴する方針。したがって、判決前に各単組にお願いしていた、勝訴の場合の行動については、行わないようお願いします。

2011年10月3日(月) : 第126回中央委員会開催
第126回中央員会の全景  新聞労連第126回中央委員会は9月28日、東京・文京区民センターで開き、秋年末一時金の要求基準を「前年冬獲得実績額以上」とするなどの闘争方針を本部原案通り決めた。東日本大震災の影響で遅れた書記長人事は、藤本勝也氏(時事通信労組)から松永康之輔氏(河北新報労組)への交代を承認。中執委もほぼ出そろい、実質的な新体制で団結を誓った。
東海林智委員長は「震災で例年以上に厳しい秋年末闘争を迎える中、労連運動を再確認しよう。JTCは新聞の生命線である訓練されたジャーナリストを育てる活動だ。安全衛生、合理化対策、産業政策研究などの活動も未来を開く礎になる」と述べ、新聞産業の課題を経営者に訴える行動を提案。また、近年の経営の乱暴な振る舞いと震災以降目立つ政権の強権姿勢を指摘した上で「原発の問題は、経済効率優先の社会が悲劇を招くことを示した。人間性尊重の論理で闘おう」と呼びかけた。
 秋年末一時金の要求基準について藤本書記長は「09年度から月数明示をやめたのは現行水準を死守する背水の姿勢。厳しい環境の今こそ安定支給論の真価を経営者に迫ろう」と説明した。
 闘争方針として@震災に便乗した根拠のない低額回答・不利益変更は許さないA非正規雇用を含めた全労働者の待遇改善B平和と言論の自由を守り、エネルギー政策転換など国民的課題に取り組むC安全取材ルールの確立、生命と健康を守るD被災地支援など社会的役割を果たすためのボランティア休暇創設要求―を決定。活動報告、第1四半期財政報告なども本部原案通り決めた。
 討論では、夏闘を継続している山陽や宮古毎日、新聞通信合同ユニオンなどの闘争報告、専門部報告などがあったほか、国民的課題に労働組合としてどう対応するかも論議した。
 筑波大の松井豊教授らの講演もあり、ジャーナリストの惨事ストレスについて学んだ。
 このほか本部報告として、一般会計から争議基金への繰入額減額(5%→1%以上)を次期臨時大会に提案▽震災支援カンパは当初締め切り後の送金があり最終的には1164万5186円▽三役選出に関し、ローテ入り検討を要請されている地方紙と全国紙計9単組の懇談会を設定―などが了承された。
 最後は、承認されたばかりの松永書記長の団結ガンバローで締めた。

2011年8月10日(水) : 第118回定期大会ひらく、被災地に連帯と希望を
会議冒頭で黙祷する執行部  新聞労連は7月21、22の両日、仙台市青葉区のハーネル仙台で第118回定期大会を開いた。史上初の地方開催には、交通難などをおして全国から代議員ら200人近くが参加。震災体験を共有するとともに復興と労働組合のあり方を考える論議を繰り広げた。メインスローガン「社会的連帯に私たちの希望を」を掲げた新年度方針は原案通り承認し、東海林智委員長ら三役を再任した。
 定期大会の冒頭、全員で震災犠牲者に黙とうを捧げ、議長に北川功(毎日)、岩楯達弥(時事)の両代議員を選出。東海林委員長はあいさつで新聞の社会的使命を再確認し、被災地と市民の側に立つ復興と産別の枠を越えた共闘を呼びかけた。日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)の平川修一事務局長、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の阿部裕事務局長がそれぞれ来賓あいさつした。

被災地の課題
 市民団体の東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター事務局長で弁護士の菊地修さんが基調講演し、住民不在の県の復興会議を批判。憲法25条などに基づき国が国民の住宅再建などに責任を負っていることを強調し「権利としての復旧」を求めた。
 代議員は被災職場の課題を共有するため初日の午後7時から三つの分科会を開催。職種ごとの突っ込んだ質疑などで論議を深めた。
 日本航空(JAL)と旧社会保険庁の不当解雇撤回を闘うそれぞれの闘争団にも大きな拍手が贈られた。

書記長交代は9月
 3年間の活動報告を昨秋まとめた産業政策研究会の櫛引素夫さん(東奥日報)は、研究の一部が地方紙に活用される例が上がり始めたとした上で「産研の議論は深めるほどジャーナリズムに立ち返る」などと報告し、近く発足する次期研究活動に期待を込めた。
 全国役員推薦委員会の高安厚至委員長(毎日)は、2012―13年度の委員長を京都労組に要請し、神戸デイリー、新潟日報両労組には書記長ローテ入りの検討を要請していることを報告。今回交代予定だった書記長人事は、震災の影響を受けた河北新報労組が約2カ月遅れで選出することを約束し、それまで藤本勝也氏(時事)が引き続き務めることとなった。

一般討論
 討議では、販売所へ電動アシスト自転車を贈る運動(神戸)▽がれき撤去ボランティア(岩手)▽折り込みチラシへのカンパ(河北仙販)などの支援活動の報告が相次いだ。解雇撤回裁判(ブルームバーグ)▽不当労働行為救済申立(宮古毎日)などは優位な闘いが進み、印刷会社の新入プロパー社員を組織化(京都)させた成功例の発表もあった。執行部に対しては、組合員減少で収入も減る本部財政に一層の節減を求める意見やナショナルセンター連合への加盟を提案する意見もあった。
 藤本書記長が討論のまとめを報告し、2010年度の財政報告と実績批判、11年度の運動方針と予算は原案通り承認。最後に大会宣言を採択し、地元河北新報労組の樋口隆明委員長のガンバロー三唱で締めた。
 会場で呼びかけた東日本大震災復旧・復興支援みやぎセンターへのカンパは計7万35円が集まった。

2011年4月22日(金) : 新聞労連第125中央委員会〜連帯・支援の声相次ぐ
第125回中央委員会の全景  新聞労連は4月21日、東京・文京区の文京区民センターで第125中央委員会を開いた。3万人近い死者・行方不明者を出した東日本大震災の発生後初めての基幹会議。被災単組の報告を受けて支援のあり方を論議し、今夏の定期大会を被災地で開こうという委員長提案にも賛成意見が相次いだ。被災地で重要性が見直された新聞の役割を自覚し、厳しい闘いが予想される夏闘では、経営側の「震災便乗リストラ」を許さないよう共闘を強めることも確認した。
 会議冒頭に大震災で犠牲となった福島民友労組の記者熊田由貴生さん(24)らを悼んで全員で黙祷。
 東海林智委員長はあいさつで「近年の経営側は将来不安だとして安易に人件費を削ろうとしている。震災を口実にした労働条件の切り下げを許さず、経営を厳しくチェックしよう。働きに自信を持ち、内部留保を吐き出させよう」と訴え。さらに被災地で懸命に新聞を届けた仲間と紙面を求めた読者を振り返り「新聞への信頼と私たちの果たすべき役割は大きい。労組として復興にどう連帯できるか考えよう。支援とメッセージ発信のため被災地での大会開催も議論願う」と呼びかけた。
 大会には、新幹線が未開通の東北北部の被災単組も出席。支社局流失、印刷代行などの生々しい被害状況や、ガソリン切れの中での配達の苦労などが報告された。危険地取材の安全確保や休日、交代要員の確保などを労使協議したケースも多く、放射能を避けるよう社側に対処させた成果や被災職場での緊急アンケート、本部配布の惨事ストレス助言を生かした事例などの報告があった。大手紙を中心に整備されていた原発取材マニュアルだったが「今回のような広範囲な放射能飛散の場合は応用できない点も多い」との指摘もあった。
 春闘はベアゼロで早期収拾したケースが多かったが、定昇凍結などの提案(山形、山陰中央)と、基本給15%カットの撤回(日刊スポーツ)の明暗の報告もあった。
 本部が提案した春闘臨時大会以降の活動報告▽本年度第3四半期の財政報告▽11春闘実績批判などは原案通り承認された。
 夏闘に向け、一時金で「前年夏獲得実績以上」を要求する労連統一基準と、@震災に便乗した根拠のない低額回答などは許さないA正規非正規を問わず待遇改善を求めるB平和と言論の自由を守るC安全取材を確認し生命と健康を守るDボランティア休暇制度創設――などの闘争方針を決めた。

2011年2月28日(月) : 非正規と貧困を考えるシンポジウムin宮古島
非正規と貧困を考えるシンポジウムin宮古島  宮古島総行動の一環として2月28日に開いた「非正規と貧困を考えるシンポジウムin宮古島」には150人が参加。湯浅誠氏が基調講演した後、小松民子氏(全労連非正規センター副代表)、北城博子氏(沖縄県高教組副委員長)、垣花尚氏(宮古毎日新聞労組委員長)が加わってパネル討論した。コーディネーターは東海林智委員長。
 小松さんは、派遣業法の改定など規制緩和が進んだため非正規労働者など年収200万円以下の労働者が1099万人に増えた一方で大企業が内部留保をため込んでいると批判。「格差是正のためにも最低賃金の引き上げが課題。法改正を前進させよう。労働組合としても共闘や支援の輪を強めよう」と呼びかけた。
 工業高校教諭の北城さんは「県民所得の低さや国公立大学が地元に少ないこともあって沖縄県の高卒者の進学率や就職率は全国最下位レベル」と指摘。支援制度などを解説したガイドブックを県教組でつくった取り組みを紹介した。就職して不当に扱われないためにも生徒たちへの労働者権利教育の重要性を挙げた。
 垣花さんは「地域経済が活発でない宮古島では就業が困難なため経営者が理不尽でも我慢する実態がある。しかし私たちが5年前組合を作ったことに刺激されて、後に続く労組結成が増えた」と報告し、「新聞社を民主化してよりよい紙面をつくり、地域の民主化に貢献したい。さらに声を上げる」と決意を述べた。
 会場からは、雇い止めを受け地労委で闘う市臨時職員らが発言。全員で「労働の尊厳を守り、民主的経営で市民の信頼に根ざした新聞を発行し、貧困のない公正な社会づくりをめざす宮古島アピール」を採択した。

なお、このシンポの模様は地元のケーブルテレビ「宮古テレビ」で放映された。下記が宮古テレビで放映された映像アドレス。
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/5752/57/

2011年1月27日(木) : 第117回春闘臨時大会ひらく
臨時大会の全景 磨き直そう団結と連帯!統一スト権98%で確立。
 新聞労連第117春闘臨時大会は1月26、27の両日、東京都千代田区の日本教育会館で開いた。メインスローガン「団結と連帯を磨き直し、全組合員の力で危機突破を」を採択し、賃金カーブ維持+ベア0・58%の統一要求など春闘方針を原案通り可決。産別統一スト権を高率で立て、中央闘争委員会を設置した。目前の厳しい経済闘争だけでなく、日本航空(JAL)解雇撤回や非正規労働者の支援など幅広い連帯の大切さも確認した。
 東海林智委員長は「経営側の乱暴なふるまいが目につく。非正規雇用どころか個人請負も拡大している。JALの不当解雇も反対の声を上げなければ認めたことになる。宮古毎日の非正規差別も許せない。私たちの問題だ。スト権を含め、労働者が結集する意味を考え直そう」などと呼びかけた。
 日本マスコミ情報労組会議(MIC)副議長の加藤豊・全印総連委員長と日本労働弁護団常任幹事の棗一郎弁護士が来賓あいさつ。解雇されたJAL機長の近村一也・日本航空労組連絡会議長も招かれ「空の安全をよく知るベテラン乗務員が削減された。コスト優先・安全軽視の経営だ」と今回の大量解雇を批判した。
 特別報告として、京都新聞COMの契約社員雇い止め争議に勝利した京都新聞労組の日比野敏陽・元委員長が「闘争を通して若い組合員が労組の意義を再確認した。非正規問題から目をそらさず闘ってよかった。組合活動は勝敗より闘うことが大切」などと教訓を語った。
 2日間の討論では、一時金交渉や賃金体系の変更提案にスト権を立てて粘り強く交渉(日刊スポーツ、ジャパンタイムスなど)▽解雇撤回や過労死認定で法廷闘争(新聞通信合同ユニオン、時事労組、報知労組)▽非正規雇用で労使が協定(東京労組)などの取り組みが報告され、JALの解雇撤回、宮古毎日支援総行動(2月末)への共闘を呼びかける発言も相次いだ。
 2010秋年末闘争実績批判、2011年春闘方針、財政報告などはいずれも本部原案通り承認された。全国役員推薦委員会(高安厚至委員長・毎日労組)は「委員長・書記長とも5単組×2年のローテを確立する」など6項目の確認事項をあらためて報告、各単組の協力を要請した。2日目には新聞労連第15回ジャーナリスト大賞の表彰式があり、最後は東海林委員長の熱のこもった「団結頑張ろう」で閉会した。大会の合間にはスポーツ紙レジャー紙共闘会議、産業政策研究会全国集会も開き、意見交換と交流を深めた。

2011年1月14日(金) : 第15回新聞労連大賞、優秀賞、特別賞、第5回疋田桂一郎賞決まる!
<各賞選評・総評>

【大賞】2件
 ▽「大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件」の特報及び関連報道(朝日新聞大阪本社社会グループ・東京本社社会グループ改ざん事件取材班)
 ▼選評 「文句のないスクープ」「10年に一度のスクープ」など、選考委員全員から高い評価を得た。北村選考委員は「中央権力の批判と監視が全国紙の役割であり、見事にその役割を果たした」と評し、鎌田選考委員は「踏み込みづらいところに踏み込み、(スクープで)新聞への信頼を高めた」と高く評価した。

 ▽琉球新報と提携し「本土メディア」に風穴を開けた高知新聞の沖縄基地問題に関する報道(高知新聞社編集局 中平雅彦さん、浜田成和さん、早崎康之さん、五十嵐隆浩さん須賀仁嗣さん)
 ▼選評 基地のない高知県において、本土の報道だけでは伝わらない沖縄の現状を的確に捉え、琉球新報と提携することで、問題の本質を伝えるのに意欲的な試みだったと高い評価が相次いだ。藤田選考委員は「メディアの新しい役割を自覚し行動に踏み切った」と評し、柴田選考委員は「琉球新報の提携を受け、本土の主要メディアの報道姿勢に批判的な視点も提示した。決断、姿勢とともに素晴らしい」と讃えた。


【優秀賞】2件
 ▽過疎の村から都市の先行きも見通した連載企画「ムラよ」(新潟日報社報道部「ムラよ」取材班)
 ▼地方に根ざし、そこで暮らす人々の姿を描き、少子高齢化の中で、私たちがどう生きてゆくかも考えさせる。地方紙としての視点を持ちながら、地域の問題を今までにない切り口を長期連載で提示した。質の高い連載で評価に値する。

 ▽連載企画「安保改定50年〜米軍基地の現場から」を基地のある3県の地方紙が連携した長期連載(神奈川新聞、沖縄タイムス、長崎新聞3紙合同企画取材班)
 ▼社の垣根を越えた合同企画は初めてではないが、時機を得た企画であり、内容も意欲的である。基地問題を巡り沖縄と本土メディアの報道格差が生じたが、神奈川、長崎の両紙は他の本土メディアとは違う報道となり、共に企画を進めた沖縄タイムスとともに新聞の力を示したことは高く評価できる。


【特別賞】1件
 ▽企画「らせんの真実 冤罪・足利事件」(下野新聞社社会部足利事件取材班)
 ▼地方紙は、地方権力により近い分だけ、冤罪事件に加担しがちな側面がある。今回の企画では事件全体を丹念にあらゆる角度から検証している。特に報道をテーマにした章では、当時取材した自社の現役記者まで取材、実名で取り上げ、反省を踏まえ検証した点は高く評価される。今後、事件報道のあり方をどう変えてゆくかも含め期待したい。


【疋田桂一郎賞】1件
 ▽企画「わたしらしく 車いすママの奮闘記」(沖縄タイムス・大濱照美さん)
 ▼1人の人を長期連載で丁寧に取り上げ、寄り添った暖かい視点に好感を持つ。長期連載の中で筆力が上がってゆくのも見て取れる。沖縄タイムスでは、長期連載でじっくりと対象と向かい会う企画が数多く見られ、会社として記者を育てようという意欲が感じられ、今後の記者たちの活躍に期待が持てる。


 【総評】
柴田鉄治選考委員
 力作揃いで、新聞にとっては厳しい時代が続く中、未来に明るい活路を見いだしたようで心強い思いがした。

藤田博司選考委員
 組織の力もさることながら、個人個人の記者の力が重要だと改めて感じた。個々の力が良い物を作り出す源泉になっている。個人の力、価値観を大事にし、伸ばすことが重要だとの印象を持った。地方紙の連携が定着した。基地以外のテーマでも展開を期待したい。

鎌田慧選考委員
 地域の疲弊や高齢化、過疎が問題となり、それぞれの新聞が掘り下げ、あぶり出して共通の政策として反映させることが必要になってきている。新潟日報や全徳島の連載はそうした中で出てきたのだと思う。応募作の質は高かったが、応募作が相対的に減少しているのは、新聞の力が落ちていることの反映ではないか。奮起を期待したい。

北村肇選考委員
 例年になく、質、量ともに高かった。毎回のことだが、地方紙の頑張りを感じる。今回の朝日のスクープは全国紙の役割を果たしたものであり、地方紙、全国紙共にまだまだ力があることを示したと言える。


<補足資料>
新聞労連ジャーナリスト大賞は、1996年に制定されました。全国紙、地方紙を問わず優れた記事を正当に評価し、ジャーナリスト個人を激励するために制定した顕彰制度です。今年の応募作品は19(昨年は7、一昨年は12)作品。

2007年から、同賞の中に「疋田桂一郎賞」が新設されました。新聞労連ジャーナリスト大賞の選考委員だった故・疋田桂一郎氏の「遺志を生かして」とご遺族から提供された基金に依っています。この賞は、「人権を守り、報道への信頼増進に寄与する報道」に対して授与されました。

2010年6月29日(火) : プレシンポ「日米安保を問い直す」に160人が参加
プレシンポ「日米安保を問い直す」に160人が参加
=思考停止に陥った本土メディアの報道を検証=

 新聞労連の結成60年を記念したプレシンポジウム「日米安保を問い直す〜新聞の責任を考える」が6月26日午後1時30分から、東京都文京区の東京大学情報学環・福武ホールで開かれた。組合員のほか学生や市民計約160が参加。記念講演やパネルディスカッションを通じて1960年の日米安保改定から50年の歴史を振り返りつつ、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐる本土メディアの報道で浮かび上がったジャーナリズムの課題を議論した。
 シンポでは、ジャーナリストの原寿雄さんが「日米安保と私〜ジャーナリストはいま何を考えるべきか」と題して記念講演した。60年5月の安保改定時に新聞労連副委員長として連日国会デモに参加した自身の体験に触れ「当時の新聞記者はジャーナリストであると同時に安保反対運動の労働者という二役をやった」と指摘。「日本の記者はいま、反戦、平和の思想を持って本気で記事を書いているか」と問いかけた。
 続いて琉球朝日放送制作のドキュメンタリー「狙われた海〜沖縄・大浦湾 幻の軍港計画50年」の上映の後、「普天間報道から見えてくるメディアの責任〜その射程は沖縄・安保・憲法を捉えているか」をテーマにパネルディスカッションを行った。コーディネーターに桂敬一・立正大講師、パネリストとして岡本厚・「世界」編集長、屋良朝博・沖縄タイムス論説委員、「狙われた海」を制作した琉球朝日放送の三上智恵キャスター、本田優・朝日新聞元編集委員が参加した。
 岡本氏は「抑止力とは何か」という基本的な疑問に答えられない本土メディアの報道を批判。こうした報道を屋良氏は「思考停止に陥っている」とし、普天間飛行場の性格や海兵隊の活動状況を具体的データで示し、「沖縄に海兵隊が入る必要はない」と述べた。
 新基地建設予定地の辺野古住民を取材し続けてきた三上氏は「メディアは基地賛成派、反対派と二分するが、基地建設に反対したいのに反対できない住民の心情を理解しているのか」と訴えた。本田氏は「海兵隊が日本に駐留しなければならない経済的・政治的なコストを政府は国民に説明していないし、メディアも追求していない」と述べた。

2010年6月4日(金) : 結成60周年プレシンポを開催します
 新聞労連は今年結成60周年をむかえます。これを記念し、「日米安保を問い直す−新聞の責任を考える」と題してシンポジウムを開催します。

■記念講演
 「日米安保とジャーナリストの課題」ジャーナリスト 原 寿雄 氏
■ドキュメンタリー上映
 「狙われた海〜沖縄・大浦湾 幻の軍港計画50年」
■パネルディスカッション
 「普天間報道から見えてくるメディアの責任」
 パネリスト
  岡本厚氏(「世界」編集長)
  屋良朝博氏(沖縄タイムス論説委員)
  三上智恵氏(琉球朝日放送キャスター)
  本田優氏 (元朝日新聞編集委員)
 コーディネーター桂敬一氏(元東京大学教授)

■日時:6月26日(土)午後1時30分(午後1時開場)
■会場:東京大学情報学環福武ホールラーニングシアター
■会費:無料

 詳細はこちらをご覧ください

2010年6月4日(金) : 2010国民読書年シンポジウムを開催
 2005年に国会で「文字・活字文化振興法」が制定され、2008年には衆院・参院で施行5ねんにあたる2010年を「国民読書年」と定めることが決議されました。改めて紙メディアを考え、文字・活字文化の振興と紙メディアの特性をアピールするため「本を読もう」「新聞を読もう」と呼びかけて行きたいと思います。
 皆さんとともに今後の文字・活字文化の振興の在り方について考える機会を持つため、以下のとおり、各界の識者と集めてシンポジウムを開催します。


■とき:6月12日(土)13:30〜16:30(開場13:15)
■ところ:日本青年館 中ホール
参加協力券:1000円(学生500円)

−プログラムー
13:30 開会
《司会》 浅木勝さん(フリーアナウンサー)
■主催者挨拶と問題提起
■朗読 山根基世さん(LLPことばの杜代表、元NHKアナウンサー)
■パネルディスカッション
《コーディネーター》
 北村肇さん(『週刊金曜日』編集長)
 落合恵子さん(作家、クレヨンハウス代表)
 尾鍋史彦さん(東京大学名誉教授、日本印刷学会前会長)
 中村文孝さん(元ジュンク堂池袋本店副店長)
 山根基世さん
16:30 閉会

詳細はチラシをご覧ください。

2010年5月31日(月) : 「雇い止め」は無効ー京都COM雇い止め訴訟で組合側勝利
報告集会  京都新聞社グループで広告、企画、営業、販売などを担う京都新聞COMによる「雇い止め」を無効とし、契約社員2人が社員としての地位確認を求めていた裁判で、京都地裁は5月18日、原告の契約社員2人の地位の継続を確認し、「雇い止め」を無効とする判決を出した。
 京都地裁での地位保全の仮処分と京都新聞COMによる異議申立の却下、大阪高裁への特別抗告の却下に引き続き、実に4度にわたって司法の場で「雇い止めは不当」との判断が下され、京都新聞社グループが断罪された。判決後に京都弁護士会館で行われた勝利勝利報告集会で、京都新聞労組は「5人の裁判官がそろって『雇い止め』が不当と断じた事実は重い。会社はただちに2人を職場復帰すべきだ」とし、「5月、6月が天王山」として、大阪高裁への控訴を許さず、2人を職場に戻す闘いを、新聞労連と地域の労働者に支援を呼びかて展開することを表明した。
 判決では、京都新聞COMが「雇い止め」の根拠として強弁してきた、最長3年で継続雇用を打ち切る「3年ルール」について、2人が移籍前に所属していた京都新聞企画事業会社において「厳格に守られ、周知されていたとは考えられない」とし、移籍前の説明会も「説明としては不十分」として、京都新聞COMの主張を退けた。さらに、2人の契約について、勤続年数と更新回数がそれぞれ7年9か月・更新10回、、4年11か月・更新4回に及んでいることを指摘、2人の業務についても「補助的・機械的な業務とはいえない」とし、業務の継続性を認めた。以上の理由から「更新を期待する合理性がある」と判断、「雇い止め」を無効とした。
 判決後の報告集会には、京都新聞労組をはじめ、京都MIC、京都総評、新聞労連、近畿地連、支援にかけつけた新聞労連の各単組の仲間たち120人が集まった。勝利判決を受けた2人は、笑顔を見せながら「うれしい結果になって、良かった」とあいさつ。京都新聞労組の稲庭篤委員長は「きょうは、ここまで頑張った2人の勝利。これからは2人を職場に戻す組合の闘いが問われる」とし、夏闘と連動した闘いへの結集を呼びかけた。
 同日、京都地裁司法クラブで2人と代理人の弁護士が記者会見を行い、翌日は京都新聞も含めて新聞各紙が京都新聞COMの敗訴を伝えた。京都新聞労組は京都新聞社と京都新聞COMに対して「京都地裁判決の受け入れと2人の職場復帰」を求める申入書を提出、25日に京都新聞COMと団交を行い、2人の職場復帰を強く求めた。団交で京都新聞COMは大阪高裁へ控訴する方針を明らかにしたが、京都新聞労組は控訴方針の撤回を求めるとともに、京都新聞COMの原田社長の団交出席を求め、地域での情宣やストライキなどの闘いを進めていく。 京都新聞労組

2010年1月29日(金) : 第115回臨時大会ひらく
第115回臨時大会全景  2010年春闘方針を討議する新聞労連第115回臨時大会が1月28、29の両日、東京文京区の文京区民センターで開かれた。大会では、高知印刷、宮古新報の2労組を新たな仲間に迎え、09年秋季・年末闘争の実績批判と、「闘い抜こう危機の時代を 築こう新たな新聞の歴史を」をメインスローガンに掲げた10春闘方針案を討議。統一要求基準を柱とした本部案が採択された。中央闘争委員会設置と産別統一スト権は投票の結果、可決・成立した。
 臨時大会は野村岳裕東京地連副委員長(報知)の司会で開会。議長団選出、マスコミ文化情報労組会議(MIC)の大谷充副議長(出版労連書記長)の連帯あいさつに続き、豊秀一委員長が「労連は今年結成60年を迎える。60年前は予想もしなかった危機の時代の中で、だからこそ新しい新聞を作っていくことを皆で確認しながら一歩を踏み出したい。平和と民主主義を守る旗を掲げてきたが、普天間の移設をめぐる本土の報道、沖縄の今後も注視したい。新しい時代に向け仲間の輪も広がり、希望も大きい」とあいさつした。
 議事の冒頭、高知印刷、宮古新報の2労組の加盟を承認。高知印刷の吉本禎浩委員長、宮古新報の砂川拓也委員長に豊委員長から組合旗が手渡された。本部活動報告で藤本勝也書記長が、役薦ローテ検討委、組織財政検討委などでの組織強化に向けた活動、非正規プロジェクトチームでの労連HPに労働相談ページを設置――などを報告。また報知・塚野保則さん過労死裁判に関して、原告の妻・信子さんが署名活動へのお礼と引き続きの支援を訴えた。昨年11月に突然解散した内外タイムス社争議について小平哲章副委員長が特別報告。労連からの3000万円の貸し付け、組合主導による再建闘争、会社解散への経緯を説明した。
 第2四半期の財政・監査報告の提案・承認後、本部から09秋季・年末闘争実績批判(中間総括)と10春闘方針を提案し、討論に移った。
 2日間に渡る討議では、報知、時事が過労死裁判の早期解決を求めたほか、京都が京都COMに雇い止めされた契約社員2人の職場復帰めざす闘い、新聞通信合同ユニオンが闘うトムソン・ロイター解雇撤回などの争議支援を訴えた。また、普天間基地移設問題に関する本土・大手メディアの報道姿勢と現地とのギャップ、宮古毎日労組の理不尽な経営と闘う姿が、宮古新報に新たな組合をつくる原動力になったことなどが発言された。
 また、2日目には連合の水谷雄二総合組織局長、全労連の根本隆副議長からそれぞれ来賓のあいさつをいただいた。藤本書記長の討論のまとめの後、09年秋季・年末闘争の実績批判と10年春闘方針を拍手で採択。中央闘争委員会の設置と産業別統一スト権確立は投票の結果、賛成多数で可決された。ジャーナリスト大賞の表彰式をはさみ、スローガン案を採択し、豊委員長の団結ガンバローで大会を締めくくった。

2010年1月15日(金) : ジャーナリスト大賞、疋田桂一郎賞他決まる
豊労連員長と応募作品を選定中の選考委員4氏 平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーンを表彰する第14回新聞労連ジャーナリスト大賞と、2007年に新設された疋田桂一郎賞の受賞作品が決まりました。

今回の対象作品は昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日編集長)、藤田博司(元共同通信論説副委員長)、鎌田慧(ルポライター)の選考委員4氏による審査で選定されました。

ジャーナリスト大賞、疋田桂一郎賞の授賞式は、新聞労連第115回臨時大会二日目の1月29日11:30から文京区民センターで行われます。

< 選 考 結 果 >
大賞 1件 
☆八重山毎日新聞労組  
八重山毎日新聞編集局編集部 松田良孝 さん
“八重山難民”の証言 生還―ひもじくて(台湾疎開体験記録)

優秀賞 2件
☆毎日新聞労組  
毎日新聞大阪本社学芸部 遠藤哲也 さん
点字の父・ブライユ生誕200年を記念した視覚障害者の権利擁護に関する報道

☆沖縄タイムス労組  
沖縄タイムス社会部 黒島美奈子 さん
地域医療のカルテ

疋田桂一郎賞 1件
☆全徳島新聞労組  
徳島新聞社文化部 多田さくら さん
家庭の中の暴力

<ジャーナリスト大賞、疋田桂一郎賞の授賞式>
1月29日11:30〜(予定)
文京区民センター3A会議室

住所
東京都文京区本郷4-15-14 電話03-3814-6731
都営大江戸線・三田線 春日駅1分
営団地下鉄丸ノ内線 後楽園駅5分

2010年1月12日(火) : 沖縄・宮古島で2つめの新聞労組立ち上げ
団結がんばろうで拳をふるう宮古新報の仲間  宮古島の宮古新報で1月10日、労働組合が結成されました。大会では組合の規約や活動方針などを承認した他、今後、会社側に対し、労働条件の改善などを要求していくことを確認しました。
 午後8時過ぎから行われた結成大会には、社員数人のほか、日本新聞労働組合連合や沖縄県マスコミ労働組合協議会などの関係者も出席しました。大会では準備委員会から組合結成までの経緯が報告されました。次いで、規約と役員選任の議案について審議し、組合員を正社員だけでなく契約社員やアルバイトなど含む従業員で構成することなどを確認した他、執行委員長に記者の砂川拓也さん(31)が選出されました。
 また、日本新聞労働組合連合、新聞労連沖縄地方連合会、沖縄県マスコミ労働組合協議会への加盟申請も承認されました。宮古島のメディアでは宮古毎日新聞の組合結成に次いで2番目。沖縄地連にとっては5つめの組合となります。
 大会の「結成宣言」では、労働者が安心して働ける労働環境の実現と、読者に信頼される紙面作りに全力を注ぎ、社業発展を目指していくことを宣言しました。
 この他、活動方針では、労組結成を会社発展の基礎と位置づけ、労働者の生活、労働環境の向上に、健全な労使関係の構築を目指し、課題解決に向け団結して取り組んでいくことを確認しました。
 また組合活動の保障に関する要求について交渉の場を設けることなど、経営者側に要求していく内容も確認されました。
 この後、新聞労連の豊秀一中央執行委員長や県マスコミ労協の宮里努副議長らが、来賓挨拶に立ち、組合発足の意義を強調するとともに、今後、連携して活動していくことを約束しました。
 宮古新報労組では、翌日、会社側に組合結成を通知し、加えて要求書を手渡しました。組合結成について宮古新報社の座喜味弘二社長は、地元の宮古テレビの取材に応じ「労使双方が話し合いの場を持つのは必要なこと。組合の存在は当たり前」と述べています。

なお、宮古テレビで結成大会の模様が放映されています。
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/3962/57/

2010年2月21日(月) : 高知印刷で組合結成!
結成大会で団結がんばろうの拳をあげる参加者  高知新聞の系列印刷会社「高知印刷」に12月20日、高知印刷労働組合が結成された。約60人の従業員のうち過半数を超える43人が結成大会時で同労組に加入し、初代委員長には吉本禎浩さん(輪転課)が選出された。全国の新聞社の印刷部門の別会社化が進んで印刷労働者の労働条件が厳しさを増す中、新聞社の系列印刷会社にも新組合が結成される意義は大きい。
 組合結成大会は20日午後2時から、高知市内の公民館で開かれ、組合員43人(委任含む)のほか、高知新聞労組の竹内誠委員長、同労組の岡林知永書記長、新聞労連本部から豊秀一委員長、加藤健書記が参加した。
 初代委員長に選出された吉本さんは「会社の姿も変わり、将来は部署の統合もありえます。執行部もがんばりますが、皆さんもぜひ協力してください」と決意を語った。上部団体である新聞労連と新聞労連四国地連参加の方針も決めた。
 この日採択された結成宣言は、組合結成の目的について@計画が進む高知新聞印刷部門の別会社化や同社と高知印刷との印刷業務受託によって生じる可能性のある問題点の是正A健全な労働環境の実現――と言及した。
 そのうえで宣言は、新聞発行に携わる労働者として役立つ情報を読者に伝える使命・責任、活字・出版文化への貢献と発展、安心して安全に働ける労働環境、労働条件を確立などに触れて、「信頼される印刷物を発行し、社業の発展と働く者の生活向上を目指して活動する」と結んだ。
 組合結成の翌21日、高知印刷労組の吉本委員長らが、坂本尚之社長に@組合掲示板の設置A組合費のチェックオフB社内に組合の部屋を供与するC組合活動を保障するための新聞労連の定期大会や中央委員会出席のための休暇を有給で取れるようにする――などを盛り込んだ要求書を提出した。社長は「チェックオフはいつからか?検討するので待って欲しい」と述べ一定の理解を示した。

2009年12月22日(火) : 京都COM雇い止め訴訟で証人尋問
 京都新聞の関連会社「京都新聞COM」から不当に雇い止めにされた契約社員の2人が雇い止めの無効などを求めた裁判の口頭弁論が12月22日、京都地裁(辻本利雄裁判官)で開かれた。京都新聞労組と新聞労連近畿地連、新聞労連は訴訟最大の山場と位置づけ、前日の21日には京都新聞社8階食堂で大決起集会を開き、22日昼も全国から駆けつけた新聞労連の仲間や地域労組の支援者ら計120人とともに社屋取り巻きデモを行い、2人の一日も早い職場復帰の実現を訴えた。22日の口頭弁論では、午前中に会社側証人2人、午後からは原告側証人として京都新聞COMへ出向中の京都新聞労組員、原告2人の証人尋問が行われた。裁判で会社側は、2005年9月22日に開かれた説明会で「3年雇い止めルール」を原告らに説明したと主張し、事前説明会の議事録を証拠提出していた。ところが、議事録を作成したとされる会社側証人はこの日の尋問で、説明会に出席していた京都新聞COM幹部について「その場にいなかった」と事実と全く異なる証言をするなど、議事録の信用性そのものが揺らぎ、会社側の立証計画が大きく崩れる結果となった。原告の2人は一貫して「3年で雇い止めになるというルールは一度も聞いたことがない」と証言し、会社側代理人はそれ以上反対尋問を続けることができなかった。次回2010年3月3日の口頭弁論で結審し、4月以降に判決が言い渡される見通し。京都新聞労組では判決を待たずに一日も早く原告2人を職場復帰させる運動を展開していくといい、新聞労連も全面的に支援していく方針だ。

2009年12月15日(火) : 会社は救済命令を守れ!宮古へ緊急要請行動
伊志嶺編集局長に要請文を手渡す要請団  宮古毎日新聞争議で沖縄県労働委員会が組合勝利の救済命令を出したことを受け、新聞労連と沖縄県マスコミ労働組合協議会は宮古毎日労組とともに、不当労働行為の即時中止を宮古毎日新聞社(真栄城宏社長)に求める「緊急要請行動」を12月14、15の両日、同県宮古島市で繰り広げた。
 これに先立つ9日、同社は命令に従い「今後は不当労働行為を行わない」との誓約書を組合に提出。しかし、その後も団交時間を昼休みの40分に限って一方的に打ち切るほか、一時金に関する財務内容の不開示、契約社員の正社員化要求への不誠実回答など、命令に反する対応を続けている。
 14、15日の行動には労連と各地連、沖縄マス協、宮古毎日労組の計24人が参加した。15日は読者に組合勝利を伝えるビラを市内で約2000枚配布し、代表団4人が伊志嶺幹夫・取締役編集局長と社内で面会。団交拒否や支配介入を改め、報道機関の社会的責任を自覚して憲法と法律を順守し、正常な労使関係構築に尽くすよう求める申入書を手渡した。社長出席の団交開催も後日求めるとした。
 さらに、宮古毎日労組の垣花尚委員長が「ああいう誓約書を書かねばならないような労務政策を反省してほしい」「(円滑な団交開催のため)団交の最後に次回日程も決めるべきだ」と迫った。伊志嶺取締役は「聞いておきます」「今後は事務折衝が大事になってくる」などと答えた。
 14日夜は地域の労組からも支援者を招き、勝利報告集会を開催。救済命令の意義を確かめつつ、まずは全員で喜びを分かち合った。
 救済命令は11月30日に交付。組合の主張をほぼ全面的に認め、会社の数々の不当労働行為を断罪した。10月には那覇地裁の労働審判で、組合員の男性契約社員の解雇(雇い止め)を撤回させる調停が成立、職場復帰を勝ち取っている。

2009年12月13日(日) : 新聞業界就職フォーラム(大阪と東京で)
就職フォーラムin東京の全景  新聞労連は12月13日、新聞社・通信社を目指す学生を対象とした「新聞業界就職フォーラム2011in東京」を開催した。03年から毎年行われてきたフォーラムは、今年で7回目を迎えた。今回のフォーラムでは全国紙から地方紙、通信社、スポーツ紙まで様々な分野で活躍する記者をパネリストとして招いた。会場となった飯田橋の東京しごとセンターには学生70人が集まり、現場の記者の体験談に熱心に耳を傾けた。
 午前に行われた第1部では全国紙・通信社(朝日、読売、毎日、日経、共同)の記者5人が、午後の第2部ではブロック紙・地方紙・スポーツ紙(北海道、東京、報知、神戸)の記者4人がパネルディスカッションを行った。また第3部では、新聞労連が主催する「作文対策ゼミ」の卒業生が内定者座談会を行った。
 第1部・第2部ではパネリストらが、記者の実際の生活、仕事のつらさ、印象に残った取材、やりがいを感じるとき、女性の働きやすさなどを紹介した。これから就職活動に挑む学生に対して、「人に会うことが楽しい人は記者に向いている」「社外だけでなく、社内の不条理にも目をそらさないで欲しい」などのメッセージを送った。パネルディスカッションの後の質問タイムでは、学生から「ブロック紙の存在意義は何か」「社の編集方針と自分の考えが違うことはないのか」など多くの質問が挙がった。
 第3部では新聞社への内定・入社が決まった内定者6人が就職活動の体験を通して、入社試験の勉強方法、面接内容とその対策、ストレスの解消法など具体的なアドバイスを送った。学生たちは「最後まであきらめないことが大切」「継続して努力し続ければ結果が出なくても見ている人がいる」など内定者の言葉に印象に残ったと感想をもらしていた。

 近畿地連は12月5日、新聞社志望の学生を対象にした「新聞業界就職フォーラムin大阪2011」を大阪市中央区の大阪府立労働センターで開いた。36人の学生が参加、編集、販売・広告、スポーツ・専門紙の各セッションで現役社員が仕事内容ややりがい、課題を話し、学生へのアドバイスも行った。
 編集セッションでは「本音で語る記者最前線〜全国紙・地方紙の記者たち」のテーマで編集記者と、整理記者の5人が登壇、取材や紙面組みで印象に残ったことや、記者としての心構えなどについて経験を踏まえて報告。販売・広告セッションでは「営業系職場のすべて〜広告、販売、事業」として各営業部門の4人が新聞社を支える営業や販売の重要性などについて説明した。最終セッションでは「プロの目で時代を斬る〜スポーツ紙・専門紙の職場」の題でスポーツ紙の記者と繊維専門紙の記者が専門的な立場でニュースの現場を語った。
 10年入社の新聞社内定の3人が就職活動の経験談や面接に臨む際のアドバイスを披露、学生らは熱心にメモを取り、直接、質問するなどして入社試験への意欲を強めた様子だった。

2009年11月30日(月) : 内外タイムスが破産、労働債権確保へ
 組合主導で経営再建中だった内外タイムス社(東京都)は11月30日、従業員に事前説明もなく東京地裁に自己破産を申請、受理された。負債額は26億7700万円。従業員52人は全員解雇を通告された。経営再建闘争を続けてきた内外タイムス労組は即日、団交で重森弘充社長を追及。闘争を支援してきた新聞労連、東京地連とともに破産管財人との団交や組合員集会を開き、労働債権(未払い賃金)の回収に全力を挙げている。労連は全国の仲間に緊急カンパを要請、組合員の再就職支援にも取り組む。
 11月30日の団交で経緯を説明した重森社長は、既に経営責任放棄の姿勢。内外労組は夕刊紙「リアルスポーツ」(9月に「内外タイムス」から改称)の発行継続の可能性もただしたが、地裁による破産宣告が切迫した状況で、やむなく組合員16人の労働債権回収を最優先すべきと判断した。
 労連、地連と内外労組は同日夜、顧問弁護士と緊急対策会議を開催。翌12月1日に労連本部で開いた組合員集会では、生活のために「11月分の未払い賃金と退職金の確保」や「再就職」を望む声が相次いだ。
 12月9日には、地裁が選任した破産管財人(弁護士)と都内で団交。5月に予定される債権者集会を待たずに未払い賃金の優先処理を求めるとともに、過去の一方的な賃金カットによる「隠れた未払い賃金」の存在を指摘した。管財人は、公的機関による未払い賃金の立替払い制度についても説明。「管財人としての権限しかないことは理解してほしい」などと述べた。

2009年11月30日() : 宮古毎日新聞社の団交拒否は不当労働行為
会社の行為は不当労働行為、組合が勝利  宮古毎日新聞社(真栄城宏社長)で繰り返されてきた団体交渉の拒否など一連の不当労働行為をめぐり、宮古毎日労組と沖縄県マスコミ労働組合協議会、新聞労連の3者が救済を申し立てた問題で、沖縄県労働委員会は11月30日、団交拒否や不誠実団交の実態を詳細に認定し、不当労働行為にあたるとする救済命令を出した。真栄城社長は労働委員会の救済命令を真摯に受け止めて組合敵視政策を改めるとともに、誠実に団体交渉に応じて労使関係を一刻も早く正常化することが求められている。
 2006年5月の組合結成から3年半にわたり組合への異常な攻撃を団結の力で跳ね返してきた宮古毎日労組、それを支えた沖縄県のマスコミ労働者の仲間、全国の新聞労連の仲間で勝ち取った大きな成果といえる。10月5日には3月末で不当に雇い止めされた契約社員が職場復帰を求めた那覇地裁での労働審判で、1年間の雇用の更新などを盛り込んだ画期的な調停が成立している。
 命令書で沖縄県労働委員会は、(1)賃金、手当や一時金の支給、契約社員の正社員化など組合員の労働条件(2)組合結成後に締結した団交確認書の趣旨(3)契約社員の契約更新の是非――などについて組合側から団体交渉を申し入れられた場合には団体交渉を拒否してはならず、誠実に対応しなければならないと指摘した。
 命令はさらに、団体交渉の時間についても「一方的に30分ないし40分に限定してはならず、継続議題について団体交渉の開催を遅延させるような対応をしてはならない」と厳しく命じた。組合結成以来の会社側の組合敵視についても言及し、「組合員であることによる不利益取り扱いを示唆したり、示唆することで労働条件の変更の受諾を強要したりすることにより支配介入してはならない」と述べた。
 組合側は不当労働行為の非を認めて組合に謝罪し、今後一切同種行為を行わないことを誓約させる「ポスト・ノーティス」(謝罪文の掲示)を求めていたが、県労働委員会は認定された一連の不当労働行為を行わないようにするとの文書を交付するよう会社側に命じるにとどめた。県労委は命令で会社側の対応に触れて「労組法が保障する労働組合の諸権利に関する理解を欠いた不適切なものであった」と厳しく断じた。
 組合結成以来、会社側には正常な労使関係を築こうとする意思が全く見られず、組合活動への介入と組織弱体化を狙った卑劣な行為を繰り返してきた。組合結成の中心人物である恩川元書記長を校正部に異動し、労働条件の切り下げにも踏み切る。組合敵視政策の中で当初39人いた組合員は現在9人にまで減少した。
 こうした中で、宮古毎日労組は県労働委員会にあっせん申請5件、不当労働行為の救済申し立て2件、那覇地裁に2件の労働審判を申し立てるなど、司法や労働委員会という第三者機関を利用することで経営陣と正面から対峙し、問題解決を図ってきた。
 組合側の申立書によると、2006年5月21日の組合結成の直後の6月1日夕、真栄城社長は女性組合員6人に対して「周りが信じられなくなった」「一生、尾を引くだろう」などと発言。2008年3月19日には、社長室に呼び出した恩川順治書記長(当時)に「会社としてはあんたを外すしかない」などと述べたうえ、同月31日には雇い止めにされた女性組合員との話し合いの中でも恩川氏について「危なくて使えない」と発言するなど、組合活動への不当な介入をしたと主張していた。

2009年10月5日(月) : 契約社員雇い止め問題で職場復帰勝ち取る(宮古)
勝利的和解を祝う支援者ら   労働審判を申し立てたのは、同社の制作部に所属していた男性契約社員(28)。2006年5月に入社し契約更新を3回重ね、今年3月31日に一方的に雇い止めを強行された。組合員の契約社員に対する雇い止めは3年連続3人目で、組合側は会社の組合敵視の一貫だとして支援を続けてきた。
 5日に成立した調停内容には、@契約社員の4月1日以降の雇用契約上の権利とともに、10月1日から1年間の雇用契約が更新されたことを確認するA職場は営業局広告部とするB未払い賃金の一定額を支払う――などが盛り込まれた。
 今年2月27日に雇い止めが通告されて以降、組合は度重なる団体交渉で理由を明らかにするよう求めてきたが、会社側は「契約期間満了」「業務量減少」という形式的な理由を繰り返すばかりで、雇い止めを強行。契約社員は3月、雇い止めの撤回を求めて沖縄県労働委員会にあっせんを申し立てたが不調に終わったため、労働審判を6月に申し立てていた。
 労働審判で、契約社員側は@契約が複数回更新され、実質的に期間の定めのない雇用形態だったA会社が雇い止めの理由としている業務量の減少と当事者の仕事量の関係が説明されていないB雇い止めの回避努力がされていない――などと指摘。こうしたケースでは、解雇権乱用法理が類推適用されるため、今回の雇い止めは無効だと主張した。
 調停での解決のため司法判断こそ示されていないが、労働審判委員会が契約社員の訴えに耳を傾けた結果、職場復帰を実現させる調停が成立したといえる。
 宮古毎日労組は、雇い止めの撤回を求めて島最大のイベントであるトライアスロン大会当日(4月21日)に全面ストライキを実施。新聞労連と沖縄県マスコミ労協の主催による4月と6月の2回にわたり島内デモ・決起集会を含む争議支援総行動のほか、カンパや撤回署名、物販活動への協力など全国の新聞労働者の支援が歴史的な「勝利」を導いたといえる。

2009年9月30日(木) : 新聞労連第112回中央委員会
第122回中央委員会の全景 新聞労連第122回中央委員会は9月30日、東京文京区の文京区民センターで開かれ、「年末一時金の要求基準は前年冬獲得実績以上」を柱にした09年秋季・年末闘争方針を決定した。また、115回定期大会(2010年)を目標に、経済闘争の再構築案を策定する事を確認するとともに、114回定期大会で提案のあった、組織・財政問題検討委員会および役薦ローテ確立委員会の設置を了承した。
第122回中央委員会は、豊委員長の、民主党政権が日々新しい政策を打ち出しており、「歴史的な年になる」との認識を示し、新聞労連が置かれている状況について、新聞労連全体の一時金レベルが80年代前半まで後退している事に対して、闘いの再構築の議論の必要性を強調する挨拶で開始された。
議事はまず、09年度新体制および西部日刊スポーツ新聞労働組合の脱退を承認した。同労組の脱退は、会社再編の中、同労組の組合員が日刊スポーツ西日本労働組合に合流し同労組が解散した為によるもの。
 その後、活動報告に続いて、09年度秋季・年末一時金闘争闘争方針を論議した。本部からは、今後さらに厳しくなると予想される経済闘争に対して、来年の定期大会までに産別組合としての闘争のあり方について論議し、経済闘争の再構築案をまとめる提案があり、その上で、09年度秋季・年末一時金闘争方針は、年収ベースで前年割れをさせない事を掲げ、少なくとも昨年冬実績以上を獲得する事を目標にするとの闘争方針が示されたが、拍手で承認された。
 続いて、2009年度第1四半期財政報告の承認後、争議を抱えている単組に対して財政支援をすることを承認した。これは、新たに作成する争議組合支援特別会計に争議基金から一千万円を繰入れし、争議を抱えている単組に対して財政面での支援をしていくというもので、当初は緊急性を考え宮古毎日労組に対して支援をする。他労組に対しても的確に支援していく為に、今後も継続して運営方法を検討していく事も確認された。
 また、「組織・財政問題検討委員会」および「役薦ローテ確立委員会」の設置が認められた。前者は、115回定期大会(2010年)を目標に新聞労連を組織面と財政面から見直すものであり、後者は役薦ローテのみを集中して討議し役薦ローテーションの確立を急ぐというもの。続いて 本部から、昨年の大会でまとめた「非正規対策プロジェクト」報告書を活かし、非正規対策をより具体化させていく為に引き続き「非正規対策プロジェクト」を続けて行くとの報告があった。
 さらに、09年度全国役員推薦委員会が発足。副委員長に大越英一さん(日経労組)が就任、委員長は現在選出中ながら、早急に選出し、活動を開始することも報告された。

2009年7月25日(土) : 第114回定期大会を開催
新聞労連第114回定期大会が7月23、24の両日、東京・春日のの文京区民センターで開催され、2009年度の運動方針を決定した。役員人事では在京副委員長に小平哲章氏(東京)、在阪副委員長に和田達生氏(奈良)、書記長に藤本勝也氏(時事)を新たに選出、豊秀一委員長(朝日)を再任した。一倉基益副委員長(上毛)、安田英之副委員長(在阪=朝日)、木部智明書記長(日経)は退任した。大会ではメインスローガンの「今、新たな挑戦の時 創り上げよう新聞の未来」を採択した。また、大会前日の22日には08年度最後の拡大中央執行委員会が行われた。
 大会は議長団に土屋豪志(共同)、平辻哲也(報知)両代議員を選出し、議事に入った。MIC・津田清副議長(出版労連前委員長)、JCJ・酒井憲太郎事務局長の来賓挨拶に続き、豊秀一委員長が挨拶。豊委員長は「今大会で提案する運動方針が新聞労連のマニフェストだ。どうやって攻めの闘いを再構築していくかが問われている。賃金・一時金の大幅減や手当カットなどに対し、問題意識を共有しておく必要がある。産業政策ではどうしたら新聞の未来が拓けるのか議論し、非正規問題では安易に正社員を非正規に置き換えてきた会社の政策を正していかなければならない。より良い新聞ジャーナリズムをどう作っていくのか新研活動の充実も急務だ。多くの課題が山積しているが、今大会での充実した議論を求めたい」と問題提起した。
 08年度の本部活動報告、財政報告の提案後、非正規対策プロジェクトチーム(PT)から東京大学名誉教授の田端博邦さん(労働法)から約半年にわたる取り組みについて報告が行われた。田端さんは「PTの報告書は『正社員主義からの脱却をめざして』をタイトルに掲げた。これまで日本の労働組合は企業別組合として正社員の利益を守ってきた。これは当然の行動といえるが、今や労働者の3分の1が非正規であり、企業主義や正社員主義から脱却しなければ非正規を守ることはできない。新聞は社会正義の観点から非正規を批判してきたが、足下の非正規労働者を守っていない」と指摘した上で、「組合は労働者の平等性を深く考え、非正規労働者の使い捨てを阻止するべきだ」と提言した。
 続いて産業政策研究会から小関勝也座長(河北仙販)が2期目の研究会活動について「新聞2009 明日への道標」と題した報告書をもとに活動の総括と次年度への課題などを挙げた。
 争議報告では京都、宮古毎日、奈良の各労組から組合員の雇い止めや不当労働行為争議における経過と今後の闘いについて報告。内外タイムス労組からは、新たなスポンサーが経営に参画してきたことや労連が06年に貸し付けた3000万円についての返済について報告があった。
 本部から09年度の運動方針案と予算案を提案し、一括質疑・討論では2日間にわたって12人から発言があった。
 2日目は連合・大塚敏夫総合局長と全労連・根本隆副議長から来賓挨拶の後、一括質疑を再開。本部が討論のまとめを行い、08年度の実績批判案と財政報告案、09年度の運動方針案と予算案が拍手で採択された。
 役員改選では09年度の本部新体制の発足と08年度役員の退任が承認された。辰巳知二全国役薦委員長(共同)は「(現在空白となっている)委員長ローテの5単組目選出は必須課題だ。09年度ではローテ確立委員会(仮称)を立ち上げる。5単組目の決定に向け、全国の地連・単組でも徹底した議論をお願いしたい」と挨拶した。大会宣言の提案・承認の後、最後に藤本新書記長の団結ガンバローで閉会した。

2009年8月10日(月) : しんけん平和新聞5号 完成!
第5号となる今回は、テーマを過去の号よりもう少し大きく捉えて「戦争の加害責任」としました。
 昨年10月、航空自衛隊のトップだった田母神俊雄・航空幕僚長が、「日本は侵略国家であったのか」と題し、日本の植民地支配や侵略行為を正当化する論文を執筆、民間企業の懸賞論文で最優秀賞に選ばれ、更迭されました。政府は戦後50年の1995年8月15日、当時の村山富市首相が「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と認め「反省とおわび」を表明する談話を発表しています。 田母神氏は、以降の歴代政権が踏襲してきたこの「政府見解」を真っ向から否定しており、あきれた歴史認識の持ち主と言わざるを得ません。この出来事を機に、「戦争の加害責任」を今号のテーマとすることを決め、新聞労連の在京新聞研究部と、労連沖縄地連が中心となり制作しました。
沖縄の抱える苦悩や問題を展開した1ページ。2ページ目以降は三光作戦、731部隊、捕虜収容所、南方新聞、メディアと戦争に関してのインタビュー、自衛隊の変遷を掲載しました。

5号を1部100円のカンパ金でおわけしております。
(お願い:送料はご負担ください。)

ご購読希望の方は、
@お名前
A届け先 〒住所、電話番号
B必要号と部数
を、明記の上
FAXで新聞労連新聞研究部までご連絡ください。
FAX番号 03−5842−2250

注)8月13日(木)14日(金)は労連はお休みです。

2009年7月16日(木) : 「広島で平和を考える」2009 開催します!
 米国のオバマ大統領がプラハでの演説で「核なき世界」を目指すと宣言し、核軍縮に向かう世界的な潮流が生まれつつあります。しかしその一方で、北朝鮮が核実験を強行するなど朝鮮半島情勢は緊張を増しています。こうした状況の中で、私たちは、東アジアの平和・非核化を進めるためにどんな構想を持つべきなのでしょうか。そして新聞は何を、いかに報ずべきなのでしょうか。姜尚中・東大教授をお招きし、被爆地・広島から発信したいと考えています。
 また、6日の平和記念式典終了後、『不戦の碑』碑前祭と、新聞労働者遺族との昼食交流会が、中国新聞労組の主催で開催されます。
 『不戦の碑』は、原爆で犠牲になった新聞労働者を鎮魂し、不戦を誓うため、中国新聞労組が被爆40周年の1985年に建立しました。碑には犠牲になった中国、同盟通信(現共同通信)、西日本、読売、朝日、毎日、合同(現山陽)新聞の労働者125人の名前が刻まれています。
 碑前祭後の昼食交流会には、被爆経験をお持ちの中国労組OBなども参加され、当時の状況などの生の声も聞かれます。あわせてご参加いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 「戦争のために二度とペンを、カメラを取らない、輪転機を回さない」の誓いの再確認のためにも、是非多数の皆さんのご参加をお願いします。

               
日程:2009年8月5日(水)午後1時30分〜6日(木)午後1時

スケジュール

5日(水)
  13:00 受付開始
  13:30 開会
@基調講演 姜尚中・東大教授 
「東アジアの非核化をどう構想するか」
Aパネルディスカッション
    「核なき世界へ ― 新聞に求められるもの」
    コーディネーター 姜尚中氏
    パネリスト 田巻一彦・ピースデポ副代表 
          松元剛・琉球新報記者 
          中国新聞記者(調整中)
  18:00 夕食交流会

6日(木)
   8:00 平和記念式典参加
   9:00 平和公園内 碑巡り
  10:00 中国新聞労組主催 「不戦の碑」碑前祭
  11:00 被爆者遺族との昼食交流会
  13:00 解散

参加費 : ¥22,000
内訳 フォーラム参加¥500  
   5日交流会¥8,000  
   宿泊¥9,500  
   6日昼食交流会¥4,000

申込締切:7月24日まで
(25日以降のキャンセルはキャンセル料が発生しますのでご注意ください。)
宿泊 : 広島パシフィックホテル

問い合わせ:新聞労連近畿地連
電話 06−6314−7490


2009年5月28日(木) : 6月28日(日)、第52回新研中央集会「これでいいのか、政治報道」を開催します
第52回新研中央集会「これでいいのか、政治報道」
 
 裁判員制度施行を前に、各紙面が事件報道については、書き方を変えてきた。が、政治報道はどうなのか…。近くある総選挙。郵政解散に伴う前回総選挙では、郵政民営化の賛否をめぐる「刺客」騒動など小泉劇場で演じられた三文芝居にメディアはいいように踊らされた。今回の総選挙で、私たちは同じ轍を踏むのか、踏まないためにはどうしたらいいのか――。

 また、選挙報道以外でも、中川前財務相の酔っ払い会見、漆間官房副長官のオフレコ発言など、政治家と報道のあり方を考えさせる問題が相次いでいる。

 今こそ、「読者・市民の知る権利」「権力の監視」という原点に立ち返って、市民との対話も含めて、この集会を開催いたします。

<詳細>
◇開 催:一般公開(市民・読者の方は事前にお電話による予約が必要です)
◇日 時:2009年6月28日(日)
     13時受け付け開始
     13時30分〜18時まで、基調講演とシンポジウム
◇会 場:文京区民センター2A会議室
     (都営地下鉄大江戸線春日駅すぐ)
地図:http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754
◇参加費:無料
 交流会(加盟組合員のみ)費:5000円
 宿泊費(加盟組合員のみ):10000円(朝食付き)
◇申込み締め切り:6月23日(火)

スケジュール(予定)<6月28日(日)>

13:00 受け付け開始、開場
13:30 開会
      主催者挨拶
13:40 基調講演 ジャーナリスト 上杉隆氏
14:55 休憩
15:10 シンポジウム前半
シンポジスト 中国新聞 記者 道面雅量 氏
       弁護士     日隅一雄 氏
       ジャーナリスト 上杉隆 氏
       朝日新聞 政治部次長 小沢秀行 氏(予定)
コーディネーター 北海道大学 教授 山口二郎 氏
16:50 休憩(用紙による質問受け付け)
17:05 シンポジウム後半
18:05 終了

夕方、組合員交流会。

以上

参加ご希望のみなさまへ

<市民・読者の方々>
事前にお電話による申込みをお願いいたします。(ご来場のみなさんがご入場できるように整理番号制に致しました)お電話で「新研中央集会への出席の件で」とおっしゃって下さい。
予約受け付け:平日(月〜金)10:30〜17:30
(6月23日まで)
お申込み、問い合わせ先:
新聞労連 電話03−5842−2201

<組合の方々>
組合にある申込用紙に必要事項をご記入の上、6月23日(火)正午までに、労連にfaxでお申込み下さい。
(FAX)03−5842−2250


2009年4月25日(木) : 第121回中央委員会で夏闘方針を決定
第121回中央委員会の全景  新聞労連第121回中央委員会が4月22日、東京・水道橋の全水道会館で開かれた。討論では9人の中央委員が発言した。本部の春闘実績批判案、夏闘方針案が承認され、産別統一スト権の解除と中央闘争委員会の解散を決定した。
 中央委で豊秀一・中央闘争委員長は「厳しい経済闘争の背景には、世界同時不況による経済危機と、広告収入減や読者減という新聞産業の構造的な危機の2つがある。新聞社は人が財産であり、元気な職場があってこそ読者に信頼される新聞が作れる。09夏季一時金でどういう闘いをしていくか議論してほしい」と挨拶した。
 本部活動報告、財政報告、会計監査報告が承認された後、09春闘実績批判、09夏闘方針を提案した。夏闘方針ではかつてなく厳しい情勢を考慮した措置として、従来の月数表示による要求方式を一時的に留保し、『前年獲得実績額以上』を死守する要求基準を提案し、会社の人件費削減政策に対して地連・単組間の連携をいっそう強化していくことを確認した。
 また、非正規プロジェクトチーム(PT)の進捗状況について、豊委員長から報告。2回にわたる会合の議論を経て、職場単位での非正規労働者実態調査アンケートの実施を提案した。その上で、今後はロードマップ作りなどに着手していくことが報告された。
 内外タイムスの会社再建闘争の経過報告の後、労連本部と東京地連で構成する財政監視団の三浦一紀・本部財政部長(時事)は「新聞労連が貸し付けた3000万円について、新スポンサー(アムス・インターナショナル)に対して返済計画の提示を要請した。会社からは3カ月の猶予がほしいとの回答があった。会社再建を第一として、引き続き経過を見守っていきたい」と報告した。
 一括討論では宮古毎日、京都、関西合同ユニオン、東京、埼玉、沖縄地連、報知、下野新聞印刷センター、長崎から発言があった。このうち京都労組から京都COMの雇い止め争議へのカンパ要請があり、本部はカンパ会計から100万円の拠出を提案・承認された。
 本部が討論をまとめ、春闘実績批判、夏闘方針などが一括採択され、最後に安田副委員長の団結ガンバローで閉会した。

2009年4月5日(土) : 宮古毎日新聞争議支援・オルグ総行動
約100人が総行動に参加した 新聞社前を更新するデモ隊
 4月2日〜4日の3日間、不当労働行為(不誠実団交)問題などで争議状態にある宮古毎日新聞社の労使問題をめぐり、マスコミ労協と新聞労連の共催による宮古毎日労組争議支援総行動を行いました。組合敵視を続け、3月31日付で制作職場の中核を担ってきた男性契約社員(組合員)の雇い止めを強行した社に対し、沖縄県内だけでなく全国各地から集まった100人に及ぶ新聞やテレビなどマスコミ関連労働者が、雇い止め撤回と会社側が誠実に組合と話し合うことを求め、抗議の声を上げました。総行動初日の2日は、不当労働行為救済申し立ての傍聴闘争を行いました。県労働委員会の第1回審問で山下誠書記次長と恩川順治委員長に対する証人尋問があり、17人の傍聴席を仲間が埋め尽くし、証人2人を支援するとともに問題への関心の高さと重要性を委員らにアピールしました。
 尋問の中で、山下誠書記次長は「賃金改定や一時金などに関して会社側から具体的説明がなく、この件での団交にも応じなかった」と不誠実団交の実態などを詳細に証言。恩川順治委員長も組合結成後に校正部に配転されたことや一方的な賃金カット問題などに触れ、会社側の組合敵視の姿勢を明らかにしました。審問終了後、報告集会と宮古支援総行動オルグ団の結団式を行ない、団長に豊秀一・新聞労連委員長、副団長に米倉外昭・マスコミ労協議長を選出し、雇い止め撤回を勝ち取る決意を新たにしました。
 3日〜4日、支援総行動は舞台を宮古島に移しました。宮古毎日労組は3月31日からストに突入しており、支援参加者とともに宮古島全域に分散してビラを配布。続く会社前集会では各単組・地連の旗を大きく掲げ、雇い止めの撤回を強く求めました。支援総行動団を代表してオルグ団が会社に入り、「組合員を狙い撃ちにした不当な攻撃」である今回の雇い止め撤回を求める要請書を渡そうとしましたが、真栄城宏社長は出て来ませんでした。
 夕方から始まった市内デモ行進には地元の労働組合も参加し、「雇い止めを撤回しろ!」「組合敵視をやめろ!」「社長は団交に出てこい!」とシュプレヒコールの声を響かせました。市民への理解と協力を求めるチラシや、お菓子、「非正規切りは許さない」と書いたティッシュを入れた袋をそれぞれ400個の風船につけて道行く人々に渡しながら市街地を練り歩くと、「頑張って!」「応援しているからね」と支援の輪が広がりました。
 最終日の4日は、早朝から社長宅はじめ各役員宅へ雇い止めの撤回を求めて要請行動。午前10時から始まった解団式で「宮古毎日労組の闘いは労働者の権利を守り、地域に民主主義を根付かせるものだ」として、今後もマスコミ労協・新聞労連が全力で支援していくことを確認し合いました。
 なお地元ケーブルTV「宮古テレビ」で放映されました。以下その放映内容のURLです。

3/31放映のニュースライナー「宮古毎日新聞労がストライキ」
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/2310/57/

4/1放映のニュースライナー「宮古毎日労組 指名スト続行」
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/2319/57/

4/3放映のニュースライナー「働く権利求めデモ行進」
http://media.miyako-ma.jp/mtv/content/view/2332/57/

2009年3月27日(金) : JTC第27回記者研修会開催される
新聞労連新聞研究部主催の第27回JTC若手記者研修会が3月20日(金)〜21日(土)、東京・文京区役所内会議室で開催され、58名が集った。
 初日まず最初にドキュメンタリー「夫はなぜ、死んだのか〜過労死認定の厚い壁〜」を作成した大阪毎日放送ディレクターの奥田雅治さんとトヨタに勤務していた夫を過労死で喪った内野博子さんが、実名を出して立ち上がった経緯や、取材のきっかけなどを語った。
 次に、新聞協会賞・受賞作である「揺らぐ安全神話 柏崎刈羽原発」を取材した新潟日報の前田直樹さんが、原発と地震の問題を、原発誘致、行政、安全審査などの面から多角的に取り上げた経緯や苦労につて報告した。
 2日目には企画・連載記事を書くにあたっての取材、整理の仕方と執筆などについての実践講座を朝日新聞の竹信三恵子さんが行った。
 その後、04年に長崎県佐世保市で起きた「小6女児殺害事件」の被害者遺族で毎日新聞記者の御手洗恭二さんから、事件の経緯、報道のあり方、遺族への取材等に関して話を聞いた。
 午後は、4班に別れて参加者が持参した記事について具体的なディスカッションが行われた。

2009年3月12日(金) : 09春闘勝利をめざす東京総行動
パネルディスカッション  新聞労連と同東京地連が主催する「09春闘勝利をめざす東京総行動」が3月11、12日、「許すな『非正規』『派遣切り』!進めよう組織化」をテーマに都内で行われ、全国32単組・支部と労連本部などから計80人が参加した。
 初日は、首都圏青年ユニオンの河添誠書記長が「『派遣切り』『非正規切り』をさせない力強い運動を〜労働組合の役割を中心に」として講演を行った。続いてパネルディスカッションが行われ、「新聞産業における非正規問題の取り組みと課題」と題して、毎日新聞記者の東海林智さんをコーディネーターに迎え、組合結成時から契約社員・パートなどの非正規労働者を組織して闘っている宮古毎日新聞労組の垣花尚書記長、分社化に対抗し、非正規労働者を組織して雇い止めと闘う京都新聞労組の本松徹元委員長、常駐フリー記者の非正規労働者として最高裁まで闘った新聞通信合同ユニオンの松元千枝さんをパネリストに迎え、既存の正社員組合が非正規労働者とどのように連帯し、労働者の権利を守っていくのか話し合った。
 2日目は厚生労働省前で非正規切り・派遣切り反対のティッシュ6000個を配布。その後、新聞協会を訪問して派遣や非正規労働者の実態や再販・特殊指定、裁判員制度の取材・報道指針について懇談。また厚労省に対しては派遣法改正について要請を行った。

2009年2月27日(金) : 2008年度地方紙労働共闘会議
 2008年度地方紙共闘会議が2月26、27の両日、東京・汐留メディアタワー(共同通信社13階)で行われ、新聞労連加盟の地方紙25単組から56人が参加、経済不況と産業的な危機にあえぐ地方紙が抱える諸問題について討議した。
 会議は、新聞労連・豊秀一委員長、澤辺英樹組織部長の挨拶の後、昨年8月に会社と「専門業務型裁量労働制に関する協定書」を結んだ共同通信労組・辰巳知二委員長(新聞労連・組織部副部長)が「裁量労働制導入後の現状と課題」をテーマに特別報告。辰巳委員長は導入までの経緯を説明した後、「この制度を長時間労働抑制のシステムにしていけるような環境作りが必要」と今後の課題を示し、産業医を固定メンバーとした労使協議機関「しごと時短委員会」の設立など共同労組の取り組みを紹介した。また「裁量権」についても、労働時間に関して記者の判断に大幅に委ねる事を協定書に入れるなど、制度の本質的な部分についての交渉の必要性にも言及した。
 続いて、夕刊を廃止した秋田魁、南日本、沖縄タイムス、琉球新報、および購読料値上げを行った山形、地方紙を含めた他社との相互委託印刷を開始した朝日の各単組から経緯と課題が報告された。沖縄タイムスと琉球新報は、夕刊廃止で懸念される雇用や労働条件の悪化を許さないことなどを柱としてスト権を確立したことを報告。
 引き続き行われた講演で専修大・山田健太准教授は、新聞という紙メディアの今後の可能性を切り開くためには、10年後の新聞のイメージを明示するなどもっと戦略的な取り組みが必要と提言。首都圏では新聞を知らない小中学生が沢山いるが、地方ではまだ若者と新聞とが交流できる可能性があるのではないか、と地方紙の役割にも言及した。
 初日の報告を受けて、2日目は3つの分散会で討議を行い、最後に新聞労連・一倉基益副委員長が討論のまとめとして、「様々な問題について、職場感、世代間での意識の差が目立ってきているが、負のスパイラルを止めるためにも、手当の切り下げなどの労働条件改悪に抗する必要がある」と問題を提起し2日間の会議を終えた。

2009年3月5日(木) : 第32回新研部長会議開催される
二日目の部会の様子  「『貧困』見えてますか?新聞が報じていること、いないこと」をテーマに第32回新聞研究部長会議が2月1、2の両日、都内で行われ、講演とシンポジウムを通じて、貧困問題の取り上げ方などについて議論した。
 初日は、基調講演で後藤道夫都留文科大教授が「小泉構想改革を振り返る」と題し、現在の貧困問題の根源に長期雇用、年功重視といった「日本型雇用」の瓦解があったと指摘。小泉政権が不良債権処理を一気に進めたことが大企業の「雇用責任感覚」を崩壊させ、非正規雇用者の急増と正規雇用者の処遇悪化を招いたと分析した。そのうえで後藤教授は社会的なセーフティーネットが圧倒的に貧弱であり、生活保護の増額などで所得の再分配を進めるべきだと結論づけた。
 続くシンポジウムでは昨年末に大きな社会的反響を巻き起こした「年越し派遣村」の中心的メンバーである自立生活サポートセンター・もやい事務局長の湯浅誠氏をコーディネーターとして迎え、若者の貧困状態に詳しいジャーナリストの生田武志氏、ダブルワークのシングルマザー、過疎と財政危機に苦しむ自治体から夕張市職員の寺江和俊氏、全日本年金者組合から久昌以明氏という四つの現場からそれぞれシンポジストが現状と課題を説明した。
 討論では、貧困問題に対する報道機関の関心が低いという指摘があった一方で、プライバシーなど人権の観点から取材対象の保護が難しい側面があるとの声も上がった。大阪市の「あいりん地区」でホームレス問題に取り組む生田氏は「いま何が起こっているか様々な視点からマスコミと一緒に考えなければならない」と訴えた。
 2日目は文京区民センターに会場を移して新研部長会議を行い@裁判員制度と報道のあり方A「しんけん平和新聞」についてB記者クラブ問題――について討論した。裁判員制度については各単組の取り組みが紹介され、労連全体としての取り組みの必要性などについて議論が集中。他のテーマとともに在京新研部長会議を中心に議論を進め、連携を深めることを確認した。

2009年1月29日(木) : 第113回春闘臨時大会を開催
第113回春闘臨時大会の全景  2009年春闘方針を討議する新聞労連第113回臨時大会が1月28、29の両日、東京文京区の文京区民センターなどで開かれた。大会では08年秋季・年末闘争の実績批判と、「連帯の力で築く 平和な暮らしと新聞の明日」をメインスローガンに掲げた09春闘方針案を討議。あわせて非正規対策プロジェクトチームの設置を本部から提案した。2日間で15人が発言し、統一要求基準を柱とした本部案が採択された。中央闘争委員会の設置と産別統一スト権は投票の結果、可決・成立した。また、08年度全国役員推薦委員会(辰巳知二委員長・共同労組)から、09年度以降の役薦に関する課題と状況報告が行われた。
 臨時大会は五十嵐文人・東京地連副委員長(東京)の司会で開会。議長団選出に続いて、マスコミ文化情報労組会議(MIC)の井戸秀明事務局次長(民放労連書記長)から連帯のあいさつ。井戸氏は「日比谷の年越し派遣村は労働界が組織の枠を超え、市民団体と連携した大きな運動。09春闘は賃上げと雇用問題への取り組みとなり、今後の労働運動を左右する」と問題提起した。続いて豊秀一委員長が「新聞社は人が生命線だ。弱い立場に寄り添う本来の姿に立ち返り、読者に信頼される新聞を作ることが重要だ。正面から経営と対峙し、平和と民主主義、安心して生活できる社会を09春闘で実現していきたい」とあいさつした。
 本部活動報告の後、「内外タイムス会社再建闘争」について当該労組の渡辺書記長から「新たなスポンサーのもとで経営陣を刷新し、単月度黒字に向けて鋭意奮闘中」であることが報告された。それに伴い、労連本部と東京地連のメンバーで構成される「内外タイムス財政監視団」の三浦一紀・本部財政部長(時事)から、「今後は内外タイムス労組と会社に対して労連が貸し付けている3000万円の返済計画作成・提示を求めていく」との報告が行われた。
 第2四半期の財政・監査報告が提案・承認された後、本部から08秋季・年末闘争実績批判(中間総括)と、賃上げ要求基準や非正規対策を柱とした09春闘の闘争方針を提案し、討論に移った。
 2日間を通じた15人からの発言では、京都労組が取り組んでいる京都COMの雇い止めされた契約社員2人が壇上でさらなる支援を要請。また、厳しい闘いを強いられた年末一時金の経過報告や、非正規対策に関する取り組みなど、多くの意見が出された。
 2日目は首都圏青年ユニオンの河添誠書記長が来賓のあいさつ。河添氏は「社内に雇用が危ない人がどのくらいいるのか、実態調査が重要」と指摘した。その後、辰巳役薦委員長より08年度の全国役薦について報告。最重要課題である2010年度からの本部委員長ローテについて、09年7月の第114回定期大会までに選出単組を決めるなどの方針が示された。
 その後、08年秋季・年末闘争の実績批判と09年春闘方針を拍手で採択。中央闘争委員会の設置と産業別統一スト権確立は投票の結果、賛成多数で可決された。ジャーナリスト大賞の表彰式をはさみ、派遣切り・非正規切りに反対する特別決議案とスローガン案を採択し、豊委員長の団結ガンバローで大会を終えた。

非正規プロジェクトを承認

 09年春闘方針の提案にあわせて、非正規対策プロジェクトチーム(PT)の発足が本部から提案された。不安定な非正規雇用労働者の労働条件向上や正社員化などへの取り組みのスピードを上げるため、短期集中型のプロジェクトを立ち上げ、課題の洗い出しと対策の具体化を進める。PTは本部役員、中央執行委員の他に先行して取り組んでいる単組の組合員や、弁護士・研究者などを加える予定。取り組みの進捗は随時お知らせしていく。

2009年1月8日(木) : 第13回新聞労連ジャーナリスト大賞、第3回疋田桂一郎賞決まる!
平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーンを表彰する第13回新聞労連ジャーナリスト大賞と、一昨年新設された疋田桂一郎賞の受賞作品が決まりました。

今回の対象作品は昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日編集長)、藤田博司(元共同通信論説副委員長)、鎌田慧(ルポライター)の選考委員4氏による審査で選定されました。


ジャーナリスト大賞、疋田桂一郎賞の授賞式は、新聞労連第113回臨時大会二日目の1月29日11:30からTKP代々木ビジネスセンター1号館ホール15Aで行われます。

(会場住所)〒151-0053
東京都渋谷区代々木1-28-25
JR代々木駅より徒歩1分
都営大江戸線代々木駅よりA1出口より徒歩30秒


< 選 考 結 果 >

大賞 1件 

☆朝日新聞労組  
 朝日新聞志布志事件取材班
 鹿児島県警の暴走をめぐる一連の報道
(選評)
鹿児島県志布志市で起きた公職選挙法違反事件が、強引な自白の強要など県警の暴走によって生まれた冤罪だったことを調査報道で明らかにした。判決で被告全員に無罪が出る1年以上も前から若い総局員を中心に関係者への粘り強い取材を進め、警察権力に対峙し続けた姿勢は、特筆すべきジャーナリズム活動として評価できる。


優秀賞 1件

☆毎日新聞労組  
 毎日新聞クラスター爆弾取材班
 クラスター爆弾廃絶キャンペーン
(選評)
地雷同様に紛争後も罪のない市民を犠牲にするクラスター爆弾の廃絶に向けた息の長いキャンペーンを続け、その非人道性を訴えた。爆弾を「落とす側」ではなく「落とされる側」に立ち続けようとする記者たちの強い意思が感じられ、多角的な紙面展開は他のメディアの群を抜いた。


特別賞 1件

☆神戸新聞デイリースポーツ労組  
 神戸新聞「あなたの愛の手を」取材班
 「あなたの愛の手を」
(選評)
46年間、2000回以上里親運動を支える紙面作りを続けてきた仕事は、新聞が地域社会で果たす大きな役割の一つを示している。結果、1000人を超える子どもたちに里親が見つかったといい、継続する志に敬意を表したい。


疋田桂一郎賞 2件

☆毎日新聞労組  
 毎日新聞大阪本社学芸部 栗原俊雄さん
 戦艦大和・シベリア抑留体験者を追う
(選評)
戦争の記憶が遠ざかる中、戦艦大和の乗組員の生存者やシベリア抑留の帰還者の思いを丁寧に聞き出し、平和への思いや戦争の罪深さを読者に伝えた。過去が美化される風潮が広がる時代に大切な意味を持ち、入社13年目の一人の記者が取り組んだ仕事としても評価したい。


☆共同通信労組  
 共同通信大阪社会部 池谷孝司さん 真下周さん
 「『反省』がわからない―大阪・姉妹刺殺事件」
(選評)
少年時代に母親を殺害し、少年院の退所後に再び女性2人を殺害した死刑囚の人生を丹念な取材で追った。単に事件に至る背景を追うことにとどまらず、「人の感情がわからない」という「広汎性発達障害」や脳の機能障害と犯罪との関係に焦点をあてながら、犯罪防止に何ができるのかを模索した力作だ。


<補足資料>
新聞労連ジャーナリスト大賞は、1996年に制定されました。全国紙、地方紙を問わず優れた記事を正当に評価し、ジャーナリスト個人を激励するために制定した顕彰制度です。今年の応募作品は12(昨年は21)作品。

2007年から、同賞の中に「疋田桂一郎賞」が新設されました。新聞労連ジャーナリスト大賞の選考委員だった故・疋田桂一郎氏の「遺志を生かして」とご遺族から提供された基金に依っています。この賞は、「人権を守り、報道への信頼増進に寄与する報道」に対して授与されました。

お問い合わせ先:新聞労連・新聞研究部
電話 03−5842−2201

2008年10月27日(月) : 第26回JTC記者研修会開催される
講演・報告中の中山信一鹿児島県議(左)と朝日新聞労組梶山天氏 新聞労連新聞研究部主催の第26回JTC若手記者研修会が10月11日(土)〜12日(日)、東京・朝日新聞社内で開催され、50名が集った。今回のテーマは「当事者の声を伝える〜薬害、貧困、冤罪から〜」。最初に「母は闘う 薬害肝炎訴訟原告山口美智子の20年」を作成したRKB毎日放送ディレクターの大村由紀子さんと薬害肝炎原告団代表の山口美智子さんが、原告として実名を出して立ち上がった経緯や、番組作成時の話しなどを具体的にVTRを見ながら講演した。次に、非正規雇用労働者の現状について、東海林智さん(毎日新聞記者)や首都圏青年ユニオン・書記長の河添誠さんから、報告と問題点を話してもらった。鹿児島県志布志市で起きた冤罪事件については、当時朝日新聞鹿児島支局長だった梶山天さんから、調査報道のきっかけや、気を付けた点など具体的な報告を受け、鹿児島県議員の中山信一さんからは、当時の取り調べの様子や心境、マスコミへの要望を語ってもらった。二日目AMは来年5月から始まる裁判員制度について、陪審員の体験があるノンフィクション作家の伊佐千尋さんから、話を聞いた。午後は、4班にわかれて各自持ってきた記事についてデスクからアドバイスを受けるなど活発な意見交換が行われた。

2008年10月1日(水) : 第120回中央委員会で秋年末闘争方針を決定
新聞労連第120回中央委員会の全景  新聞労連第120回中央委員会は10月1日、東京文京区の文京区民センターで開かれ、「年末一時金の要求基準は基準内の3・6カ月」を柱にした08年秋季・年末闘争方針を決定した。また、9月から着任していた豊秀一本部委員長(朝日労組)と安田英之在阪副委員長(朝日労組)をはじめ、各地連・単組の役員改選に伴う新体制が承認された。
 新聞労連の08年度新体制が承認された後、豊秀一委員長は「これまで新聞労連は平和と民主主義を守る取り組みや、働く人の権利を守る取り組みを担ってきた。これらの先輩たちが掲げてきた旗を引き継ぎ、前に進めていきたい」と挨拶。また「各地を回ったときに聞かれるのは産業の危機やジャーナリズムの危機など厳しい話ばかりだが、内向きになってはいけない。権力をチェックし、弱者の声を拾うといった運動の先頭に立つのが新聞の労組だ。非正規労働者など生活を守れない人たちがいる今の時代だからこそ、労組が大切な役割を果たすべきだ」と述べた。
 続いて安田英之副委員長は「経営側は労働に対してコスト意識しかなく、働く者にしわ寄せがきている。年末一時金は労働の対価であることを再確認するとともに、人が人として健やかに生活を送れるような社会にしていこう」と挨拶した。
 その後、08年度の活動の指針について本部から説明。財政報告・会計監査報告の後、2008年秋季・年末闘争について、「08年夏の一時金と同様、基準内の3・6カ月」を指標とする方針を本部から提案し、拍手で一括採択した。
 決定した秋季・年末闘争方針の柱は以下の通り。
@一時金は未払い賃金の一部であるとの位置付けをさらに重視し、人件費削減を絶対に許さないA安易な合理化に反対し、非正規労働者や契約社員などの組織化への取り組みを強化するB産業政策研究を単組・地連の活動に生かし、新聞産業が抱える問題に全体で取り組むC「平和」や「民主主義」を守る取り組みを強化するD働くものの権利や環境の改善、いのちと健康を守る取り組みを強化する

2008年7月25日(金) : 第112回定期大会を開催
第112回定期大会の全景  7月24、25日に開催した大会は司会の東京地連・内田智祥副委員長(毎日)の進行で始まった。議事に先立って08年4月にくも膜下出血で亡くなった宮古毎日労組の下地直樹副委員長の冥福を祈り黙とうを捧げた。議長団に田戸宣雄(毎日)、宮内輝文(南日本)両代議員を選出、議事に入った。MICの井戸秀明事務局次長(民放労連)、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の守屋龍一事務局長の来賓挨拶の後、嵯峨委員長が挨拶。
嵯峨委員長は「06年の大会で就任したとき、新聞産業が転換期であること、労働運動が危機を迎えていることのふたつの危機感を感じていた。労働組合は職場だけでなく、地域や産業全体に影響を与え、社会をより良くする存在でなければならない。産業の危機だからこそ『ユニオンに帰れ』といいたい。20〜30代の青年はもっと希望と誇りを持って新聞社で働きたいと思っているが、発言力も権限もない。だからこそ、そこに組合があるべきだ。転換期を生き抜くキーワードは『人』だと思う。ふたつの危機を乗り越えるために、産業政策研究会と検証会議の報告書を、議論するための出発点にしたい」と自身の2年間にわたる活動を総括した。
 検証委員の吉岡忍さんの特別報告の後、07年度財政報告を本部から提案し、採択された。続いて07年度実績批判を提案。元組合員の不当解雇闘争が労働審判で解決した株式従組、争議中の宮古毎日労組、会社再建闘争中の内外タイムス労組からの報告の後、産業政策研究会の研究員による特別報告があり、1年間の成果が報告された。
 続いて08年度の運動方針案と予算案を本部から提案。@賃金・労働条件を守るA非正規雇用者の組織化B時短やいのちと健康を守るC産業政策研究の充実D平和やジャーナリズムを守る――の5つの柱を中心にした方針に対して、代議員から取り組み強化を求める意見や、方針にもとづく活動報告など、2日間にわたってのべ16人が発言した。
 07年度実績批判と08年度運動方針案・予算案、大会スローガンを拍手で採択。役員改選では一倉副委員長、木部書記長の再任と、嵯峨委員長、本松副委員長の退任が承認され、08年度本部委員長、在阪副委員長は選出中となった。最後に会社との争議に奮闘している宮古毎日労組・山下誠前委員長の力強い団結ガンバローで閉会した。

2008年4月24日(木) : 第119回中央委員会で夏季一時金要求を決定
中央委員会の全景  新聞労連第119回中央委員会が4月24日、東京・水道橋の全逓会館で開かれた。討論では11人の中央委員が発言した。本部の春闘実績批判、夏闘方針案を承認し、産別統一スト権の解除と中央闘争委員会の解散を決定した。また、株式専門紙の株式新聞社従業員組合の新聞労連加盟が報告・承認された。
 中央委は小金井謙東京地連副委員長(日経)の司会で開会。議長団に宗森啓行(共同)、河野隆富(全徳島)両中央委員を選出した。
 嵯峨仁朗委員長は「言論・表現の自由を脅かす出来事があった。映画『靖国』が雑誌で反日だと書かれたことをきっかけに、公開前に国会議員が試写した。文化庁の助成金を受けているので議員が観ても構わないが、公開前に議員だけでということは公権力の検閲にあたる。映画館が自粛して次々に上映を中止した。新聞も同じになっていないか。自分自身の内なる敵に勝たなければいけない。
 今日の中央委員会では、春闘で勝ち取れなかった分の第2ラウンドとして、夏の一時金について活発な議論をお願いしたい」とあいさつした。
 続いて株式新聞社従業員組合(平口惠明委員長)の新聞労連加盟が報告・承認された。株式新聞社(東京・築地)は株式情報専門の日刊紙で発行部数は約3万部。08年4月に親会社のモーニングスター社(投資信託会社)に吸収合併された。組合員は50名。同社は賃上げもなく07年末一時金が支給されない状況で、労働条件改善や労使関係の正常化などを目指し、08年1月の大会で新聞労連加盟を決めた。新聞労連加盟は86組合となった。
 臨時大会(1月)以降の本部活動報告、財政報告、会計監査報告の後、春闘実績批判、夏闘闘争方針を提案した。夏闘では『3・6カ月』の要求を提案するとともに、生活防衛のため一歩も引かない闘争を進めていくことを確認した。
 一括討論では、九州地連、埼玉、東京、奈良、河北仙販、下野印刷、沖縄タイムス、内外タイムス、朝日など11人から発言があった。本部が討論をまとめ、春闘実績批判、中央闘争委員会解散および産別スト権解除、夏闘方針とともに一括採択された。最後に木部智明書記長の団結ガンバローで閉会した。

2008年3月24日(月) : 地方紙労組共闘会議ひらく
地方紙共闘会議に集まった組合員ら 新聞の拡大文字化を考える新聞労連の地方紙労組共闘会議が3月17、18日の2日間、東京都港区の共同通信社・汐留メディアタワーで開かれた。57年ぶりの紙面段数の変更は、情報量の大幅減少や紙面体裁の根本変更をもたらす。紙面の在り方を議論する余裕もないまま、拙速対応に追われる新聞業界に警鐘を鳴らす7項目の緊急アピールを採択した。
紙面の段数を15段から12段に組み替え文字を大きくする構想は、昨年末に内山斉・読売グループ本社社長が約60社に手紙を出して協力を求めたことから広まった。新聞労連の調べでは3月18日現在、25社が12段化に呼応し、25社が15段での文字拡大に移行する。
1951年の15段化と異なり新聞協会の主導性は失われている。会社の枠を超えた情報交換と対策を労連本部に求める加盟単組の強い要望を受け開いた。編集整理、広告、システム職場を中心に29組合60人が参加した。
事前に加盟単組アンケートを実施。労連非加盟を含めた56社の内訳は、12段化25社(1段12字12社、13字10社、字数不明3社)15段化25社(1段10字18社、11字6社、字数不明1社)様子見6社。15段社の多くは12段も視野に入れている。
会議では拡大文字の歴史、12段化の経過、広告業界の反応、各社対応を本部役員が報告。12段化準備の現況を秋田魁労組、15段化を中国労組がそれぞれ報告した。
2日目の分科会では参加者から「記事量は17%減るのに『情報量は変わらない』と偽りの社告を打っている」「社方針がコロコロ変わる」「準備期間が1ヶ月しかなく不安」「『文字が大きくなった』といっても内実は5種類の文字混在。読者不在で恣意的に使い分けている」「横見出しが太くなりニュースの価値判断が変わる。縦見出しばかり使いそう」「スポーツ組みはシステム上も限界」などの意見が出た。
最後に1)情報量の大幅減少、2)紙面体裁の根本変更、3)短期間の拙速準備、4)システム対応不備、5)広告サイズ異種並存、6)関係職場の労働強化、7)情報不足、現場にしわよせ―の問題がきちんと議論されないまま導入されていく現状に警鐘を鳴らす緊急アピールを採択した。

2008年3月21日(金) : 08春闘勝利!東京総行動
エール交換する各地連の代表者ら 08春闘勝利!東京総行動で学習、要請を繰り広げる
 新聞労連と同東京地連が主催する「08年春闘勝利をめざす東京総行動」が3月10、11日、「"非正規"を許すな!共につくろう新聞産業の未来」をメーンテーマに行われ、全国21単組から約70人が参加した。第1日は、中野麻美弁護士が「労働ダンピングと格差社会」と題して講演。派遣労働の緩和、格差と貧困の問題は「国の政策の失敗で、国会でも十分取り上げられていない」と厳しく批判。パート労働、派遣労働の低賃金の改善は正社員の問題として受け止め、取り組んでいく必要があると話した。続いて派遣ユニオン書記長の関根秀一郎氏が「派遣労働の現状と『ワーキングプア』の逆襲」を講演。日雇い派遣のフルキャストでユニオンをつくった経験を紹介し、会社側と労働条件の協定書を結び、無権利状態に近い日雇い労働者の権利向上の第一歩となったと説明した。その他、辛口トークで知られるコメディージャグラーのダメじゃん小出氏がパフォーマンスを披露。内外タイムスの渡辺高嗣委員長代行が経営再建の現状など報告し、東北、関東、東海、近畿、四国、九州、沖縄の各7地連代表のエール交換があった。翌日は朝ビラを行った後、新聞協会、厚生労働省、総務省(規制改革推進委)に要請行動を行った。

2008年3月19日(水) : JTC第25回記者研修会開催される
研修会の様子 新聞労連新聞研究部主催の第25回若手記者研修会「地方紙に学ぶ」シリーズが3月1日、2日の両日高知市内で開催され、沖縄から北海道まで50名を超える参加があった。初日、高知の新聞づくりについて社会部長の依光隆明氏から講演があり、詳細と具体例を同紙社会部の石井研氏が報告した。また、昨年末におきた香川県坂出事件を地元紙がどのように取材したかなどについては、四国新聞報道部の靭哲郎氏が報告した。二日目は愛媛県警から仙波敏郎氏、警察裏金問題を取材した愛媛新聞の清家俊生氏、高知新聞の竹内誠氏らによるシンポジウムが行われた。午後は4班に別れ、参加者が持ち寄った記事について意見を出し合う班別ディスカッションが行われた。

2008年3月3日(月) : 青年女性部全国学習集会開催
2日目のパネルディスカッションの様子  青年女性部は2月22、23の両日、香川県高松市で全国学習集会を開き、各地連単組から32単組100人が参加。「なんとかしなきゃ〜10年後も働くために〜」をテーマに、新聞業界の将来について考え、意見を交わした。 
 テーマ別に分科会が開かれ、A:組合運動の基礎、B:メンタルヘルスや出産、育児に関する課題、C・D:若者の新聞離れや広告収入、部数の減少に対する戦略−をテーマに議論した。
 2日目は4人の講師を迎えてパネルディスカッションを開催。佐賀新聞の牛島清豪氏はIT分野の視点から「ネットと対峙するのではなく、ツールとして使わない手はない」と話した。広告労協の藤井勝敏氏は放送局も含めた地域メディアの再編を見据え「新聞のメリットを最大限生かすべき」と助言した。河北仙販労組の小関勝也氏がウェブ時代の今も昔も変わらない販売体質に危機感を示した。共同通信労組の美浦克教氏は隠された事実を暴き社会に伝える組織ジャーナリズムこそが今後も新聞の武器になると力説。「自分たちにしかできないことがある。プロとして責任を果たそう」と呼びかけた。

2008年3月3日(月) : 第31回新研部長会議開催
「裁判員制度と報道」をテーマにした第31回新聞研究部長会議が2月7、8の両日、東京都文京区のホテル機山館で開かれた。各地から60人余りが参加。マンガ「家栽の人」原作者毛利甚八氏による基調講演やシンポジウムを通して、裁判員制度の問題点や事件報道のあり方など幅広い論点で意見交換した。

2008年2月1日(金) : 新聞労連第111回 春闘臨時大会ひらく
八重山毎日新聞労組に労連旗を贈呈 臨時大会は石井誠・東京地連書記長(報知)の司会で開会。議長団選出に続いて、マスコミ文化情報労組会議(MIC)の加藤豊副議長(全印総連委員長)から連帯のあいさつの後、嵯峨仁朗委員長が開会あいさつ。「新聞には3つの力がある。信頼・人材・企業の体力だ。経営者は信頼と人材を軽んじていないか。(ネットの台頭という)新しい環境に見合った体質に自ら進化を遂げていくことが大事ではないか。転換期は混乱するが、それを正すのが労働組合だと思う。経済闘争を粘り強く闘うとともに、新聞の近未来図を私たちからも提案していく。未来を創る春闘にしたい」と述べた。
 冒頭、八重山毎日労組の加盟が満場一致で承認され、松田良孝委員長は「組合員28人の所帯で、沖縄マスコミ労協には加盟していたが、全国と連帯を深めていきたい。契約社員とどう向き合っていくか、八重山という島々のなかで新聞はどうあるべきか、ともに学んでいきたい」とあいさつ。嵯峨委員長から松田委員長へ労連赤旗が贈呈され、新たな仲間の加入を祝った。
 その後、本部活動報告、第2四半期の財政・監査報告を承認。本部から07年秋季・年末闘争実績批判(中間総括)と、統一要求基準を柱にした08年春闘方針を提案し、討論に移った。
 初日の討論は、東京労組が契約社員の出張旅費協定化を求めていること、契約社員間の年収格差への取り組み、08年春闘では大卒・高卒の格差を含めた生涯賃金の是正を求める方針を報告した。読売3単組からは新聞産業政策やいのちと健康を守る取り組みの強化を本部に求めたほか、ナショナルセンター問題の議論を呼びかけた。道新労組からはグループ6単組で結成した道新労連の『窓を開けようプロジェクト』の取り組みと、その経過をまとめた冊子の紹介を行った。全下野労組は05年の印刷別会社・転籍争議の記録集作成について、琉球新報労組からは在日米軍基地移転問題および教科書検定問題への取り組みが報告された。、沖縄タイムス労組からは宮古毎日労組の経過を報告。相変わらず会社の不当労働行為が続いており、全国に支援を輪を広げる呼びかけがあった。
 また初日の会場内には、ジャーナリストらで構成する『ミャンマー軍による長井健司さん殺害に抗議する会』が署名ブースを設置、多くの代議員が署名に協力した。
 2日目は高塚役薦委員長(毎日)と三浦副委員長(時事)から全国役薦委員会の発足と現状報告があった。前日に引き続き行われた討議では、奈良労組の和田委員長から、会社が報奨金を一方的に支給した不当労働行為について組合の全面勝利和解報告とともに、支援に対するお礼のあいさつを述べた。内外タイムス労組からは再建闘争の経過を報告。東京地連は内外タイムスの現状を新聞労連以外にもPRする支援ビラ作成を報告し、共闘を呼びかけた。
 その後、07年秋季・年末闘争の実績批判と08年春闘方針を拍手で採択。中央闘争委員会の設置と産業別統一スト権確立は賛成多数で可決された。
 ジャーナリスト大賞の表彰式をはさみ、嵯峨委員長の団結ガンバローで2日間の大会を終えた。

2008年1月15日(火) : 労連ジャーナリスト大賞と疋田桂一郎賞 受賞作品決まる
選考委員会の様子 第12回ジャーナリスト大賞、
第2回 疋田桂一郎賞
選考結果について

 平和・民主主義の確立、言論・報道の自由などに貢献した記事・企画・キャンペーンを表彰する第12回新聞労連ジャーナリスト大賞と、昨年新設された疋田桂一郎賞の受賞作品が、決定致しました。

 今回の対象作品は昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日編集長)、藤田博司(元共同通信論説副委員長)、鎌田慧(ルポライター)の選考委員4氏の審査で選定されました。


< 選 考 結 果 >
大賞 2件 

☆琉球新報、沖縄タイムス両紙の「集団自決」問題キャンペーン

・琉球新報労組  琉球新報取材班
教科書検定問題に関する一連の報道
・沖縄タイム労組  沖縄タイムス「集団自決」問題取材班
挑まれる沖縄戦「集団自決」問題キャンペーン   
(セット受賞です)

☆朝日新聞労組  朝日新聞「新聞と戦争」取材班
 連載「新聞と戦争」


優秀賞 2件
☆熊本日日新聞社労組  熊本日日新聞 水俣病50年取材班
 連載「水俣病50年」

☆信濃毎日労組  信濃毎日新聞「必要か 青少年条例」取材班
 連載「必要か 青少年条例」など


特別賞 2件
☆関東地連  神奈川新聞、上毛新聞、埼玉新聞、茨城新聞、千葉 日報関東地方紙5社共同企画「風船爆弾 東へ」取材チーム
 「風船爆弾 東へ」2007年夏〜関東5紙共同企画

☆中国新聞労組 中国新聞こども新聞編集部
 定期連載「ひろしま国 10代がつくる平和新聞」


疋田桂一郎賞 2件
☆毎日新聞労組 毎日新聞社会部工藤哲さん
 「離婚後300日規定問題」キャンペーン

☆全下野労組 下野新聞写真部近藤文則さん
 連載「死と向き合う医療―在宅ホスピス とちの木開設1年」


ジャーナリスト大賞、疋田桂一郎賞の授賞式は、新聞労連第111回臨時大会二日目1月31日に文京区民センター(3A)で行われます。

<補足資料>

新聞労連ジャーナリスト大賞は、1996年に制定されました。全国紙、地方紙を問わず優れた記事を正当に評価し、ジャーナリスト個人を激励するために制定した顕彰制度です。今年の応募は21作品。

昨年から、同賞の中に「疋田桂一郎賞」が新設されました。新聞労連ジャーナリスト大賞の選考委員だった故・疋田桂一郎氏の「遺志を生かして」とご遺族から提供された基金に依っています。この賞は、「人権を守り、報道への信頼増進に寄与する報道」に対して授与されました。

<選 評>

大賞 2件
 
☆琉球新報、沖縄タイムス両紙の「集団自決」問題キャンペーン

・琉球新報労組  琉球新報取材班
 教科書検定問題に関する一連の報道
・沖縄タイム労組  沖縄タイムス「集団自決」問題取材班
 挑まれる沖縄戦「集団自決」問題キャンペーン   
(セット受賞です)

文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における集団自決について日本軍強制の記述が削除・修正された問題を追求した沖縄地元2紙の報道は、党派を超えて結集した沖縄県民の運動と一体となって時代を動かした。両紙の質量ともに充実した紙面展開は沖縄県民の怒りを県内ばかりか日本全国に発信するエネルギーがあった。とうとうと続いてきた教科書改ざんの動きを新聞と市民のスクラムを組んで押し返すという画期的な足跡を残した。


☆朝日新聞労組  朝日新聞「新聞と戦争」取材班
 連載「新聞と戦争」

新聞が自らの戦争責任を直視し、内部資料まで駆使して具体的に負の歴史を検証している。ジャーナリズムの役割を果たそうという記者たちの強い意思、志が感じられる。時代の空気やメディア状況が戦前と酷似し始めた現在だからこそ、大きな意義ある仕事となっている。


優秀賞 2件

☆熊本日日新聞社労組  熊本日日新聞 水俣病50年取材班
連載「水俣病50年」

世界の環境問題の原点といわれる水俣病50年を機に真正面から挑んだ大キャンペーン。水俣病を生んだ背景から、補償・救済問題、現在の若者たちの視点、さらに世界の現状までと縦横無尽な紙面展開によって、半世紀を過ぎた今も水俣病はなお終わらない問題であることを広く知らしめた。

☆信濃毎日労組  信濃毎日新聞「必要か 青少年条例」取材班
 連載「必要か 青少年条例」など

全国都道府県で唯一青少年条例を持たない長野県にあって東御市が制定を目指した青少年健全育成条例案に「有害」図書指定、淫行処罰規定が盛られている点について多角的に疑問点を指摘した。ともすると少数意見になりかねないスタンスであっても敢然と正義と信じる主張を続け、言論の自由をおびやかしかねない危険な側面にも光をあてた。


特別賞 2件

☆関東地連  神奈川新聞、上毛新聞、埼玉新聞、茨城新聞、千葉 日報関東地方紙5社共同企画「風船爆弾 東へ」取材チーム
 「風船爆弾 東へ」2007年夏〜関東5紙共同企画

関東地方5紙が提携して取り組んだ共同企画。埼玉産の和紙を群馬県のこんにゃく糊で張り合わせて気球をつくり、千葉・茨城の基地から米国へと放たれた気球爆弾の記憶を丁寧に掘り起こした。風船で米国を爆撃するという戦争の狂気を、地域の視点と連携から浮かび上がらせたユニークな取り組みとなっている。

☆中国新聞労組 中国新聞こども新聞編集部
 定期連載「ひろしま国 10代がつくる平和新聞」

公募で選ばれた小学生から高校生まで17人の「ジュニアライター」が平和について考えながら取材・執筆した。平和学習から生まれた曲や絵を通じた国際交流など興味深いテーマが続く。若い世代の新聞離れが深刻化する中、未来ある子どもたちに平和問題を新聞を通じて投げかける意義深い試みだ。息の長い取り組みを期待する。


疋田桂一郎賞 2件

☆毎日新聞労組 毎日新聞社会部工藤哲さん
 「離婚後300日規定問題」キャンペーン

工藤哲記者は、離婚から300日以内に生まれた子供は離婚前の夫と推定する民法規定、いわゆる離婚後300日規定によって苦しむ子供、親たちの姿を丹念に追い続けた。入社8年目ながら、同規定の非人間性を指摘、粘り強く報道し、スクープとキャンペーンで政治・行政を動かした。

☆全下野労組 下野新聞写真部近藤文則さん
 連載「死と向き合う医療―在宅ホスピス とちの木開設1年」

在宅ホスピスの医師と家族を見つめ続けた近藤文則カメラマンは、終末期を迎えた女性を看取る家族の明るい表情を写真を撮影した。人間としての尊厳を保ちながら死を迎える瞬間に立ち会えたのは、取材対象との強い信頼関係を築いたからこそできたといえる。死について深い問いかけをし、改めて新聞カメラマンの可能性と底力を示した。

以上

2007年10月29日(月) : 第24回JTC記者研修会開催される
JTC第24回記者研修会開催

 新聞労連新聞研究部主催のJTC第24回記者研修会が「格差社会part2切り捨てられる人々」をテーマに10月27、28の両日、東京・本郷のホテル機山館他で開催され、全国の若手記者ら31人が参加した。
 初日、ジャーナリストの鎌田慧氏が「新聞と労働者の状況」と題して問題提起。その後、NHKスペシャル「ワーキングプアー」取材班から、ディレクターの板垣淑子氏が、ワーキングプアーの現状についてと、制作時の考え方、取材時の視点、感想などを語った。
 次に新聞労連第11回ジャーナリスト大賞特別賞を受賞した茨城新聞<憲法のあした>を取材した菊池克幸氏と川崎勉氏から、地方紙で憲法をテーマに選んだ経緯や問題意識などについて報告を受けた。
 2日目は、97年に世田谷通りで起きたダンプカーによるひき逃げ事件で、当時8歳の息子を失った片山徒有氏が、被害者の司法参加について語り、活発な質疑応答が行われた。 
 続いて、在日朝鮮人人権協会の金東鶴氏が、最近の民間、行政による在日朝鮮人への人権侵害について報告・解説した。
 午後からは、デスク役に嵯峨仁朗労連委員長(北海道)、磯崎由美さん(毎日)、田原牧さん(東京)、山口正紀さん(ジャーナリスト、元読売)の4人を迎えて各班に別れ、参加者各自が持ち寄った記事に関してディスカッションを行った。

2007年10月4日(木) : 新聞労連第118回中央委員会開かれる
第118回中央委が団結がんばろう!  冒頭の挨拶で嵯峨仁朗委員長は「新聞を取り巻く情勢は相変わらず厳しい。広告出稿量が落ちて部数も減り、読者の新聞離れも止んでいない。雑誌でも『新聞没落』のタイトルで特集が組まれた。しかし、新聞産業が厳しい時だからこそ、ジャーナリズムを守る紙面づくりが大切だ。一番の宝である読者の信頼を捨て去るようなことがあってはならない。安易な人件費削減をさせないよう経営監視をしっかり行い、職場を守っていくにはどうすればいいか考えてほしい。労連も検証会議や産業政策研究などへの取り組みを強めていきたい。経済闘争もベアゼロ春闘を乗り越えるため、新たな局面を迎えている。新しい春闘はどうあるべきか議論を始めたい。新聞の危機が叫ばれるいま、いよいよ労組の力が試されるときだ。ピンチこそチャンスと受け止めていきたい」と述べた。
 本部新体制の承認、活動報告に続き、組合員意識調査アンケートの集計結果を報告。さらに決算および監査報告の後、2007年度秋季・年末闘争の方針案を本部から提案、拍手で一括採択した。
 内外タイムスの経過については「貸付金返済についての確認書案」を本部から提案。2008年6月の内外タイムス社株主総会後、返済に向け調査・協議を進めていくことを確認した。
 続いて08春闘見直しの検討会の設置について本部から提案。産別として経済闘争、とりわけ春闘をどのように闘っていくのか、統一要求や行動は有効なのかといった懸案事項について議論していくことを呼びかけた。中央執行委員をメンバーとして全国・地方紙別に分科会を開催、12月の春闘対策会議および拡大中央執行委員会までに議論をまとめ、2008年1月の臨時大会で報告する進め方を提案し、拍手で採択された。
 決定した秋季・年末闘争方針の柱は次の通り。
 @一時金は未払い賃金の一部、必要生計費の後払いとの位置付けを最重要視し人員・休日増なども含めた「総人件費の抑制」を許さないたたかいを強化するA働く者の権利を侵害する合理化に反対し、労働組合の組織強化・組織拡大に取り組むB産業政策研究を充実させ、新聞産業の抱える問題への取り組みを強めるC労働関連法案の改悪を阻止し、働く者の権利や環境の改善に取り組むD憲法改悪を阻止し「平和」や「表現の自由」を守る取り組みを強化する。

2007年9月14日(木) : 青年女性部が全国代表者会議ひらく
全国代表者会議 青年女性部は 9月10、11の両日、文京区民センターで第54回全国代表者会議を開いた。各地連から28単組53人が参加。07年度新役員を選出したほか、東京法律事務所の今野久子弁護士がホワイトカラーエグゼンプションについて講演した。
 新部長には全下野労組の阿部圭輔さん、副部長には全徳島労組の姫田和幸さんが選ばれた。阿部新部長は「若い世代だからこそ、考え、学ぶことがある。知恵を出し合い業界の発展につなげよう」とあいさつ。「各地連、単組に活力をもたらす」などを柱とした活動方針を承認した。
 今野弁護士は、ホワイトカラーエグゼンプション導入に反対の立場から講演した。日本経団連が提唱する国内版制度が導入されれば、単なる「残業代ゼロ法」「過労死促進法」だと指摘。適用が想定される労働要件のあいまいさにも触れ、素案段階で挙がっている400万円や700万円とする年収水準一つとっても「一番の働き盛りである30代で収入が頭打ちになる仕組みだ」と批判した。その上で、仕事と個人の両立が可能な労働環境を求める労組の重要性を強調した。
 このほか会議では、福井新聞労組など3単組が青年部年齢引き上げを行った経緯と現状を報告。長崎新聞労組青年部からは、就学前児童を持つ社員の「時差出勤」を認める要求を勝ちとったとの説明があった。
 また、朝日新聞労組が青年部を廃止し、組合本部内に「青年担当部長」を置く組織改編を報告。女性部も改称で事実上消滅する形となり、「今後の労連、地連青女部への参加が困難」との説明があったが、労連本部としては同労組本部を通して、今後も活動への参加、交流を求めていく方針を確認した。また、青年部廃止に至った経緯について詳しい経緯を文書で求めた。

2007年9月11日(火) : 心と体を守る全国集会開催される
 新聞労連労働安全衛生部主催の「心と体を守る全国集会」が9月8日〜9日の両日、「パワハラを考える〜パワハラって何?」をテーマに東京で開催され全国から19人が参加した。
 初日は、労働ジャーナリストの金子雅臣氏を講師に迎え、パワハラとは何か、について講演が行われた。金子氏は、「バブル崩壊後のリストラが職場のいじめを表舞台に出し、景気が回復傾向になり仕事量が元に戻った後も人員は減らしたままで仕事をさせた」ために人間関係の悪化を招いたこと、また正社員の採用を抑制して派遣やプロパーなどで補充したことや、成果主義型の労務管理を導入したために「働く者同士がコミュニケーション不足に陥った」ことがパワハラの背景にあるとした。その上で、「パワハラは人権問題である」と位置づけ、どこまで人間同士のコミュニケーションが取れるかが重要であり、お互いに言いたいことを言い合える関係を築くことがパワハラ防止につながることを指摘した。
 その後、各組合から現状報告を受け、労連労安部から06年末までの在職死亡者数について解説。他に、来年1月発行のパワハラ冊子vol2掲載予定事項などについて説明を行った。
 2日目は、東京法律事務所の笹山尚人弁護士が「パワハラの相談を受けたらどうする?」をテーマに講演。まずは、「パワハラ相談者の被害を理解し、共感することが不可欠である」とした。また、パワハラとは「人格権を侵害する不法行為」と定義し、パワハラを生まないための土壌づくりとして、就業規則による徹底や社内研修制度、告発しやすい通報制度の確立が必要であると指摘した。

2007年7月27日(金) : 新聞労連第110回定期大会を開催
団結がんばろうで大会を締めくくる参加代議員  新聞労連第110回定期大会が7月25、26の両日、東京の文京区民センターと飯田橋のホテルメトロポリタンエドモントで開催され、新年度の運動方針を決定した。新副委員長に一倉基益=いちくら・もとえき=さん(上毛)、新書記長に木部智明=きべ・ともあき=さん(日経)を選出、嵯峨仁朗委員長を再任した。在阪の新副委員長は京都から選出することを確認した。小関勝也(河北仙販)、波部光博(在阪=神戸デイリー)両副委員長と佐藤雅之書記長(全徳島)は退任した。大会ではメインスローガン「新聞と平和の危機を乗り越えいまこそ労連に力強い結集を」を採択した。

2007年7月11日(水) : 日本新聞協会にパックニュース問題などで申し入れ
申し入れを行う嵯峨委員長(左)  新聞労連本部は7月10日に日本新聞協会に申し入れをおこなった。申し入れには新聞労連の嵯峨仁朗委員長、小関勝也副委員長らが同協会事務局を訪問。新聞協会側は、阿部裕行総務部長ら4人が同席し、日本新聞協会労組も立ち会った。

申し入れの内容は次の通り。

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2007年7月10日
日本新聞協会
 会長 北村 正任 様

              日本新聞労働組合連合
              中央執行委員長 嵯峨仁朗

           申し入れ書

 日本新聞労働組合連合は、6月28、29の両日、東京都内で地方紙労組共闘会議を開催し、やらせ動員を引き起こした裁判員フォーラムをきっかけに問題となったパックニュースと、一部地方紙で掲載され読者の不信を呼んでいる宗教団体関係の記事について、情報交換と議論を行いました。
 2日間の討論を通じ、私たちはパックニュースならびに宗教団体の記事は、新聞倫理綱領でも求められている新聞の公正性、独立性を揺るがすものであるとの結論に達し、別紙のとおりのアピール文を採択しました。
 新聞産業は大きな転換期を迎えており、産業の建て直しは焦眉の課題です。そういう状況だからこそ、新聞がこれまでの長い歴史の中でつくりあげてきた読者の信頼が何よりの財産であります。目先の利益を求めて偉大な資産を食いつぶすのは、歴史的検証に耐えられる経営判断といえるでしょうか。
 アピール文に記された私たち労働現場の危機感を重く受け止めた上で、日本新聞協会としてもこれらの問題について適切な対応をするよう求めます。

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なお、2つのアピールは以下の通り。

1)パックニュースに関する問題
 国内の世帯数減少が確実に進む中、世帯単位での個別配布を主体としてきた新聞は今後一層厳しい経営環境に入ろうとしている。こうした中、新聞の信頼性を脅かす問題が発生している。一見、通常の編集記事スタイルで記述され、紙面組みされる「記事体広告」はかねてから、記事と広告の境がなく、読者を惑わせる恐れがあるとして、問題が指摘されてきた。中でも「パックニュース」は新聞社内の者でも、記事なのか広告なのか見極めが難しい巧妙な仕組みになっている。

 このパックニュースは例えば、ある官公庁や企業の広告が、五段〜七段あるとき、その広告の真上に表向き通常の編集記事のように書かれ、配信された「記事的なるもの」が掲載される形態となっている(時には広告の真上ではなく、違う面や日付で掲載されることもある)。この「記事的なるもの」は通信社あるいは地方紙の記者が本来の編集業務とは別にアルバイト名目などで執筆を頼まれ、各地方紙の整理面担当者たちがレイアウトして紙面を制作している。この内容は、広告主である官公庁の施策や企業の商品などについて、よい面だけを強調するものであって、決してマイナス面のことは書かない。
 広告主もこうした記事が載ることを前提として、広告を出している。つまり広告とパックになった代物であるから「パックニュース」である。紙面上隅にあるノンブルには「企画特集」であるとか「特集」と記されたり、あるいは空欄のままであったりしているが、ともかく「広告」という字はない。
なぜ広告とノンブルを打たないかという最大の理由は、取材記者が自ら主体的に判断し、冷静に、多角的に分析して記述したかのごとく読者に思わせることによって、広告主に対して広告効果の高さをアピールしようとする点にある。これは新聞が本来最も大切にするべき、読者の信頼を裏切っている。

 地方紙の場合、パックニュースで最も多いのが、電通がかかわる「全国地方新聞社連合会」経由のものだ。国交省や経産省、法務省などの施策をPRするパックニュースが10年近くにわたり、各紙に掲載されてきた。
 これは国の施策を冷静に分析し、批判、評価するという新聞の役割を置き去りにするだけでなく、読者に自覚をさせないまま特定の方向に誘導する恐れがある。昨年後半以降、表面化した裁判員フォーラムの問題では、新聞社によるサクラ動員が問題になった。これは全国地方新聞社連合会がかかわる形で、最高裁が裁判員制度を紹介するフォーラムを全国各地で開催し、その参加者をアルバイト動員していたもので、国会で問題になり、追及される過程で不透明な受注の仕組み、金の流れも浮上している。裁判員制度という国の一施策を宣伝するフォーラムが、全国の新聞社の積極的関与のもとに展開され、その詳報が最高裁の広告とのパックニュースとして紙面になり、さらには一部新聞社でサクラ動員まであった。これは一施策への明らかな読者誘導である。
 このカラクリが表面化するとともに読者の新聞に寄せる信頼は大きく傷つけられている。同様に核廃棄物の地層処分、市町村合併など、国民の中で意見が分かれる問題でも、全国地方新聞社連合会はパックニュースとして取り扱い、シンポも開催している。編集紙面、広告、事業という新聞社の能力の大半を注ぎ込んで、施策誘導していく現状には、歯止めが必要である。
 
 販売、広告等の現場で経営安定への努力が日々続けられている中、最も重要なのは読者の信頼にほかならない。読者の信頼がない媒体には広告価値もないはずである。われわれはこうした読者の信頼を失いかねない紙面作りについてしっかり監視し検証していくことを確認するとともに、新聞経営者に対し、早急に、記事と広告の区別を明確につけ、読者に分かりやすい紙面にするように求める。

2007年6月29日
新聞労連第2回地方紙労組共闘会議

2)特定巨大宗教団体の寄稿文等に関する問題
 全国の新聞メディアで、特定巨大宗教団体及び同団体名誉会長に関係する寄稿文、記事の掲載をめぐり問題が相次いでいる。
掲載に至る経緯が不透明で合理性を欠くケースや、編集現場で民主的な議論、チェックが行われないまま、反対を押し切って掲載が強行されるケースも少なくない。新聞の公正さに対する読者の信頼を揺るがす事態も生んでいる。これはジャーナリズムの危機である。新聞労連地方紙労組共闘会議に集ったわれわれは現状を深く憂慮する。

 同宗教団体は、政権政党に大きな影響力を持つと同時に、その機関紙印刷発注、広告掲載、新聞購入によって、新聞社の経営に少なからぬ影響を及ぼす存在となっている。われわれ新聞人は「新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない」との新聞倫理綱領を厳しく認識すべきだ。同宗教団体には慎重に対応し、健全な関係を築かなければならない。

 新聞は、すべての宗教団体に対して公平さを担保すべきであり、それが崩されないよう編集現場での十分な議論と厳しいチェックが必要である。同宗教団体、名誉会長の政治的、社会的な影響力を考えれば、記事掲載について読者に説明責任を果たせないような事態を招くことは許されない。

 宗教団体の機関紙印刷受注や広告獲得、購読者獲得などから、新聞の編集は自由でなければならない。もっぱら経営的意図による記事掲載が行われたり、紙面が宗教団体の政治活動や布教活動に利用されたとの疑念を生むとすれば、ジャーナリズムの自殺行為である。
 宗教関係の記事掲載にあたっては、多様な読者の「信教の自由」に配慮したものでなくてはならない。

 われわれは、全国の新聞経営者と編集幹部が新聞ジャーナリズムの原点に立ち戻り、経営と編集の在り方を再検証することを求める。
 新聞人は、将来の読者、歴史の検証に耐えうる新聞づくりを強く自覚すべきである。われわれは、新聞人としての使命、モラルを全うすることを宣言する。


2007年6月29日
新聞労連第2回地方紙労組共闘会議

2007年6月30日(土) : 第2回地方紙労組共闘会議
第2回地方紙労組共闘会議の全景  新聞労連の2006年度第2回地方紙労組共闘会議が6月28、29の両日、東京の文京区民センターで開催され、22単組から約40人が参加した。今回のテーマは「特定宗教団体の寄稿やコラムの問題」「記事体広告・パックニュースの問題」。まず、労連本部が2つのテーマについて事前に行ったアンケートの集約結果を説明。続いて、それぞれのテーマに関する取り組みなどを各単組が報告した。両テーマに共通する問題点は、新聞産業の経営が厳しさを増す中、経営陣が十分な議論を行うこともなく、大量購入や広告収入など「目先の利益」に飛びつき、「公平・公正」「読者の信頼」などの視点を欠いていると見られかねない点。会議の最後に、経営側に経営と編集の在り方の再検証を求めるとともに、私たち労働組合は新聞人としての使命、モラルを全うすることを宣言するとの、アピールを採択した。

2007年6月15日(金) : 新聞労連が参加する憲法労組連が集会
キックオフ集会で挨拶する新聞労連・嵯峨委員長  新聞労連など中立系12単産でつくる憲法改悪反対労組連絡会(憲法労組連)は6月14日、9条を守るための1000万人署名の「キックオフ集会」を衆院議員会館で開き、約80人が参加した。新聞労連の嵯峨仁朗委員長が「新聞の世論調査でも9条に関しては『守るべきだ』との声が多い。憲法改正をめざす国会とのねじれをただす第一歩にしよう」とあいさつ。参加議員あいさつ、各単産報告のあと、「今後2、3年スパンで署名活動に取り組み、1000万人署名を達成させる」ことを確認した。