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新聞労連・民放労連・日放労 3委員長座談会(2005年12月16日)
左から民放労連・碓氷、新聞労連・美浦、日放労・長村の各委員長
 NHK問題、民放とIT企業の連携、そして新聞の再販制度をめぐる動きなど、メディア界が根源的な課題に直面しています。メディアに働くものとして、今こそ自分たち自身が積極的に議論をしていかなければならない、という共通の問題意識で、メディアの労働組合である、新聞労連(日本新聞労働組合連合)、民放労連(日本民間放送労働組合連合会)、日放労(日本放送労働組合=NHK職員の労組)の三委員長が昨年12月16日に座談会を行い、昨今のメディアの状況、メディアの公共性を中心に議論しました。この三団体は、IFJ(国際ジャーナリスト連盟)、UNI(ユニオン・ネットワーク・インターナショナル)という国際連帯活動に加盟しています。

座談会出席者
 美浦克教(みうら・かつのり)新聞労連委員長
 1960年生まれ。共同通信社会部次長から2004年夏に委員長就任。専従。
 碓氷和哉(うすい・かずや)民放労連委員長
 1961年生まれ。テレビ東京放送技術部に在籍しながら、2000年より現職を務める。
 長村中(おさむら・みつる)日放労委員長
 1959年生まれ。営業局出身。1994年に組合専従となり、2002年より現職。IFJ世界執行委員。

新聞労連・美浦委員長
▽国際的な潮流から日本のメディアの問題を考える
 長村・日放労委員長 まずは私のほうから先日のIFJ執行委員会報告をしましょう。12月1日から3日間、オーストラリアのシドニーで行われました。10月に、日本の公共放送の危機ということでIFJ執行部と公共放送委員会の委員長に対して、私がブリュッセルに呼ばれて報告をして、すぐにIFJとして「日本の公共放送を守る」という声明が出されました。その後の最初の定例執行委員会でした。日本の放送の問題は深刻なテーマとして受け取られており、NHKという公共放送が荒波にもまれているということは、いろんな情報を含めて広く共有してもらいました。多くのメンバーが、単に公共放送というだけでなく日本のジャーナリズムのあり方に強い関心を抱き、それは単に日本の問題にとどまらず、世界にいろんな形で伝播していく可能性があると危惧しています。何とかみんなで歯止めができないだろうかとも言われました。もちろんTBSやフジテレビの問題についても伝わっていましたので、日本の民間放送経営のあり方についても、全体の問題としてきちんと見ていかないと危なくなるだろうという問題意識を持ってもらいました。日本のジャーナリズムがどういう形で連帯できるのか、欧米やアフリカや他のアジアの国から注目されていることは間違いありません。
 美浦・新聞労連委員長 2004年の秋、ジュネーブでILOの三者会議というものに参加しました。そこにはIFJの代表もUNIの代表も来ていて、メディア、グラフィカル(印刷)、カルチャー、というILOの産業分類では同じカテゴリーに属する部会のテーマは、IT化が進む中で働き方に影響があるのかどうかでした。あるいは2005年の夏、シカゴでのUNIの世界大会での議論、それらの議論が自分にはとても刺激的でした。ひとつは、メディアジャイアンツという言い方が頻繁に出てくるんです。それはつまり、タイムワーナーであったり、そういう多国籍巨大メディア産業が今、世界中を覆い尽くそうとしているわけです。そういう流れが、世界中のそれぞれの地域で何をもたらしているか。例えば労働という面から見れば、特に途上国で差別的な労働条件で雇用をして、本国の米国で保障されているような労働条件が保障されていない。また権利の問題で、特に著作隣接権、簡単に言えば買い叩くわけですが、そういう権利の侵害が目に余る。そういうなかでILOはメディアジャイアンツに対してどう立ち向かうか。あるいは労働組合であるUNI、IFJはどう考えていくのか、それが議論の中心でした。非常に刺激的でした。そういったことを経験していて、最近の動きでこれはまずいと思ったのは、先日の竹中総務大臣がNHK民営化をぶちあげるときに、素朴な疑問という形で「なぜ日本にはタイムワーナーのような大きな会社ができないのか」というような、作らなければいけないという価値観をむき出しにしている。それはジュネーブでの議論を思い出すと非常に危険だと思うんです。メディアの公共性というものを、多国籍巨大メディア産業が二の次にしてビジネスライクに収益最優先でやって、権利の侵害を引き起こしていることに対して竹中大臣はどういう考えをもっているのか。今進んでいるメディアを取りまく動きは、構造改革の一環という言われ方をしていますが、アメリカ流のグローバリゼーションでしかなくて、この流れがどんどん行ったときに、権利の侵害その他が、日本でもグローバルスタンダードとして引き起こされかねない。そういうことに何よりもメディアの側がどこまで気が付いているのか。僕自身は非常に危機的に感じています。日本メディアの中の労働組合でもきちんとそういう議論に向き合い、運動の中に取り込んでいく視点が必要だと痛切に思っています。
 碓氷・民放労連委員長 日本のメディアには国際的な連帯なんていう視点はほとんどなくて、むしろメディア同士がしのぎを削っていると言うか、競争の中に埋没していて、新聞でも放送でも抜いた抜かれた、民放でいえば視聴率で勝った負けた、とやっている。ジャーナリズムと言うことで、メディア相互に連帯をしようというような意識は非常に希薄じゃないかと思います。フジテレビとライブドア、TBSと楽天の問題、渦中の企業は大変だけど、周りで見ている新聞、テレビ局は非常に第三者的な見方をしていることが多い。TBS問題のあとに、民放キー局の社長などが、「経済的な見地だけで企業買収だとか流されるべきでない」というような発言がやっと出てきたんですが。「通信と放送の融合は当たり前だ。どうしてTBSと楽天が一緒になるのがだめなんだ」、と言う人が放送を監督するトップである総務大臣になったわけですから、放送の企業のあり方は危機的な状況になっているという認識を持っています。米国では、既にメディア産業は巨大企業グループに飲み込まれているわけで、米国の10年後、20年後を日本が追っかけているとすれば、まもなくそういう状況になると言う危険性をはらんでいるという気がしています。

民放労連・碓氷委員長
▽連帯できないメディアが見透かされている
 美浦 放送と通信の融合で言えば、忘れられないのはホリエモン(堀江貴文ライブドア社長)の言葉です。「イラクに自衛隊が行くなんてことはもういいんですよ。誰もそんなことは読みたいと思っていない」。誰も読みたくないかもしれないけれど、情報としてジャーナリズムとして伝えなければいけないことはあるはずで、それを放棄したときにはメディアの公共性というのはなくなるだろうと思います。ホリエモンの一言に代表されるような動きに対して、メディア自身が自覚して、そういうことでいいのだろうかという問題提起をやっていかなければならないと思います。しかし、新聞報道も、フジテレビとライブドアのバトルの時にその意識が希薄で、M&Aという経済行為という側面の報道が肥大していました。TBSと楽天のときもそうだった。NHKの民営化が政治課題としてクローズアップされてきていますが、そこでの新聞の取り上げ方もどうだろうかという感じです。ETV問題にしても、僕は、朝日が最初に報道したあとで、それを見た他紙は本来は取材対象とすべきは安倍(晋三)氏であり中川(昭一)氏であるべきだったと思う。しかし、実際は、朝日新聞はいったいどういう取材をしたのかというところに関心が集中していった。実は安倍氏の朝日新聞に掲載されているコメントを見るだけでも変遷があり、どうしてそういう変遷になったのかということを追及するべきだったと思います。しかし追及の矛先はそこにいかないで、朝日の取材、テープがあるのかないのか、ということに集約されてしまった。朝日が検証記事を載せたときには、読売新聞、産経新聞は、「どうして訂正がないのか」というような社説になっている。これが今のジャーナリズムのいびつさだ。ジャーナリズムと言う側面から見れば、最大の機能は権力の監視です。しかし、この問題では権力の監視というところにいかなかった、僕はそう思っています。それがジャーナリズムの側面から今のメディアをみた大きな課題であって、まさにメディアの公共性、ひいてはメディアの経営方針にまで広がっていく話だろうと思うんです。
 長村 今の話というのは、一般の読者も視聴者にも、見透かされているというか、よく分かってきている訳ですよね。ジャーナリストの原寿雄さんが10年も15年も前から、「権力と市民の挟み撃ちにメディアはあっているのに」と警鐘を鳴らしてきたわけですが、にもかかわらず、メディア全体が、公共性ということを、自分たちの電波なり紙面なりを使って議論の場を提供してこなかった。そのことのツケが全体に我々に跳ね返って来てしまっている。おそらく普通の人からすれば、「ざまあみろ」というところがあるのではないでしょうか。竹中大臣の発言が、とりわけ世の中で突出しているかといえば、そうじゃないんですよ。我々自身がもう一回、何をしてきて、何をしてこなかったのかというところを省みなければいけないのだと思います。メディアは今、お互いが本来やるべきところではない違う土俵で足を引張りつづけている。場外から見ると、メディアは結局自滅の道を行き始めたのではないかと思われているのかもしれない。どこかで我々自身がそれを止めて、提起しなおしていかないと、まずいと言う気がします。
 美浦 メディアは権力の監視が課題です。そして、我々労働組合は経営の監視が今ほど必要なときはないという気がします。

日放労・長村委員長
▽メディアが失いつつある信頼を取り戻すためには
 長村 さきほどタイムワーナーの例が出ましたけれど、会社が大きくなって本来メディアが経営する事業体でないものがどんどん展開していくときに、今までの米国がやってきたことなり、マードックがやってきた動きを見ると、明らかに一つの答えのようなものが見えているのに関わらず、やはり経済行為のほうが優先をしていく。結局メディアはなぜ自己改革ができないのか。例えば、日本の中で数年前からメディアを規制する法律の動きが始まっている。永田町から声があがって、法律が俎上に上がっているときだけはワッと取り上げる。しかし、本当は永田町に向けてでなく市民のほうへ向けて説明するべきであるはずです。
 美浦 僕は現場で取材に関わったが、個人情報保護法案が出てきたとき、今のメディアの実態が端的に現れていたと思う。それは最初、報道にも網がかかるとなったときに、日本新聞協会も日本民間放送連盟も一生懸命反対の論陣を張っていった。直接抗議文なども当局に対して送ったし、新聞紙面上でもキャンペーンを張った。それは良かったと思うんです。しかし、その後いろんな経緯があって、どうやら新聞と放送は報道に関しては適用除外になるとなった。しかし週刊誌、雑誌などの出版は残ったんです。本当に表現・言論の自由、知る権利を守るという観点に立てば、出版も適用除外というところまでやらなければいけなかったと思うんです。しかし結果的に放送も新聞もそこで終わってしまった。業界エゴといわれても抗弁できない、そういう状況だと思います。
 碓氷 あの法律で禍根を残したとすれば、報道に当たるかどうかをお上が判断するという形になってしまいました。メディア規制で言えば人権擁護法案も出てきています。これもメディアによる人権侵害というのが非常に大きく扱われています。確かに報道被害は存在するし、これから先も可能性をはらんでいる。しかし、それを公権力による人権侵害と同列に扱ってしまっていいものなのか。それを国民とか市民に対して問うていかなければなりません。逆に市民の側はメディアを見る目が非常に厳しくなってきています。メディアによる人権侵害を何とかしてもらわねば困る、規制をかけてくれとなってきている。メディア自身がもっと肝に銘じて報道活動を行い、ジャーナリズム機能を発揮しなければなりません。
 美浦 最近の例で言うと犯罪被害者支援の動きで、事件事故の被害者を実名で発表するか、匿名で発表するかを警察の判断に委ねると言っています。新聞協会も民放連も反対を申し入れているけれど結論がまだ出ない(注:その後、原案通り閣議決定)。これは相当深刻な事態だと思います。つまりメディアより警察のほうが信頼できるという烙印が押されてしまった。毎日新聞が犯罪被害者支援をされている方々に面接調査を行って、確か25人面接のうち、19人が明確に発表は実名でなければならないと言っている。一方で多くの方が付帯条件として、メディアが節度ある取材と放送をすることが前提であると言っています。まさに前提の部分がどうなってるんだろうということを感じる。情報公開は民主主義の大原則であり、警察が発表をするのは実名原則が当たり前だと思います。しかし、今のメディアに発表されては困ると思っている人が社会の中に多いということを、メディアの人間がもっと自覚していかなければならない。そして具体的に対策に取り組んでいかなければならない。具体的な部分がまだまだ足りない。放送はBPO(放送倫理・番組向上機構)ができたが、新聞のほうはそれぞれの社内で読者委員会はできてきたが、もっとその枠組みを超えるような救済機関とか、報道のあり方そのものを外部から問題提起していくような機関が必要でしょう。新聞労連としても、報道協議会の設立を提起し続けているが、なかなか前進しない。前進しないままに、政府が犯罪被害者保護という名目でメディアよりも警察のほうが信頼できると言われるような状況になってしまいました。
 長村 社会全体がものすごく病気を抱えていて、今まで考えられなかったような前例のない事故とか事件が続いている。警察も、かつては不祥事が続いたこともあったんですが、こんな状況だと結局は頼らざるをえないという流れになっている。メディアが信頼を積み上げていれば別ですが、よりましなところ、よりセーフティーネットを与えてくれるところに身を託していくしか仕方がないとなっている。分かり易いということですよね。憲法改正の問題も含めて言えば、今これだけ危ないんだからそれなりの自衛力を持とう、自衛力って大げさだけど、自分の身を日常的に守るためにはどうするか、メディアは守ってくれる訳じゃないし、それどころか逆に攻撃している、という分かり易い理屈が浸透している。
 美浦 いや、そうじゃないんだと言う理屈をメディアの側から発信しなければならないですよね。
 長村 例えば桶川事件のときに、警察当局が発表したことに問題があって、メディアとしての責任を果たしたわけじゃないですか。あれは分かり易かったわけです。そういう例をもっと出していかないとだめですね。あれはたまたまだとか、鳥越(俊太郎)さんがいたからとかいうことで、多くの事象ではまだ警察の方がいいっていうことになっていると思う。それと、もう一つ大きな問題は“自己規制”の問題です。メディアの法的規制について、日放労もおかしい、と主張してきました。しかし、一方で法律ができようができまいが、日本のメディアは自己規制をしているので余り変わらないじゃないか、と言う批判も根強く聞こえています。世界的に見れば、今でも日本のメディアの自由は結構あるほうですが、どこも同じような報道が並んでしまうのは、結局自分たちで規制をしたり、言葉は悪いですがジャーナリズムの談合のようなものがあるのではないか、という批判です。法律の規制が出て来た時に反対だと言うのはいい。しかし、それがなくなったときに、自分たちを縛っているものをどこまでさらけ出すのか、現場の苦悩を視聴者や読者にも分かってもらう。そのことによって公共性ということに議論を持っていく、そういうことを一つ一つしていかないと、たぶんこのままでは、公共、公共って言えば言うほど、それはきっと違うでしょ、胡散くさいよねと思われるだろうということなんです。
 美浦 私も全く同感です。組織の内部で何が起きているかをもっと外に向かってさらけ出していいと思います。私たちも現場で悩みながらやっているということをもっと見てもらって、市民、読者や視聴者と一緒により良い方向にもっていくという努力がメディアには必要だと思いますね。それがあれば、メディアの公共性、報道の公正中立、客観報道というようなことも、本当の公正中立とは何なのか、本当の客観報道とはなんなのか、その議論も深まると思います。もっと実情をさらけ出していくことが必要だと思います。

▽メディアの社会的責任とは
 長村 今日、ここに来る前にCSRをテーマにしたシンポジウムに行ってきました。パネリストの一人が不祥事を起こした会社の社長の報告だった。CSRの専門家は、その社長が、できれば隠したいようなことを公表したということは評価をしつつも、まだ問題も抱えているだろうし、社会的要請に日本の法人がどうやってこたえていくかについては、まだまだ始まったばかりで理想には全然追いついていない、ということでした。情報を自ら開示することはまだまだ勇気がいることで、一般の人から膨大なクレームを受けるという恐怖感がどうしても強い。そこをどうやって変えていけるのか。公共性という議論のときに、単に「法律を守ります」ということでなくて、社会、市民の人たちの要請にどこまでこたえられるか。それもメディアであれば、先見性を持って「昔はそうだったけど、今に照らしてみればとても通用しないですよね」というように、打ち出せるか。NHKなどは特にそのことを問われていると思っています。
 碓氷 不祥事があったときに、なぜこんなことがあったか、不祥事が起こるような土壌があるのではないか、という検証を企業として行う、あるいは労働組合が行わせるということが重要だと思います。徹底的に検証してそれをさらけ出していくことが信用を勝ち得ていく、不祥事を乗り越えていくことになるのだろう。特にメディア産業は情報をたくさん持っているわけだから、積極的にオープンにしていくことが求められていると思います。
 美浦 メディアというのは、読者、視聴者からの批判を受ける経験をしないままに長らくきたと思います。そして、読者や視聴者の側も、メディアに対して批判があっても、読者同士、視聴者同士でそれを共有する場がなかった。そういう情勢に胡座をかいたままでも、やってこられたと言うことが続いたのだと思います。しかし、今はそれでは通用しなくなっている。一つはインターネットの発達。読者視聴者が横につながっていて、ブログが300万を越えたという時代です。メディアがおかしいということがあれば、読者・視聴者が次々とそのおかしさを暴いていくというようなことができる。そういう社会経済状況の変化も、メディアの側がきちんと向き合いながら、批判を受けるべきはきちんと受けとめる、そしてそれに対してきちんとしたメッセージを発信する、情報も開示する。そういうことができないままだと、個人情報保護法に代表されるような規制の動きが出てきてしまう。経営で言えば、放送と通信が融合をして何が悪い、NHKが民営化して何が悪い、新聞が再販制度撤廃して何が悪い、そういう動きが激しく出てしまうということだと思いますね。

▽「メディアの公共性」をどうやって説明するのか
 長村 いま、民放もNHKも、「放送の公共性っていったいなんですか?」って素朴に聞かれたときに分かりやすく説明する材料を提供しなければいけなくなっているわけですよね。まず今年に入ってフジの日枝さんが口火を切り、最近もTBSの井上さんが口にした。民放連の大会でも初めて「公共性」というテーマでシンポジウムがおこなわれ、新聞大会でも同じようにあった。にわかにブームみたいになっているわけですけれど、本当はブームではなくて毎年、毎年ブラッシュアップしてこなければいけなかったのが、今ようやくスタート地点に立ったわけです。今、「公共性」を聞かれたときにどういう風にコンセンサスを作り上げていくのか。どういう過程があれば浸透していくのか。例えば民放の中で、現場で働く人からすれば、正直ややこしい話だな、という単語じゃないですか。そんなこと考えてたら日々の仕事なんかできないよ、視聴率とってナンボなんだから冗談じゃないよ、みたいな本音が勝ってしまうじゃないですか。どういう風にしたら、もう少し公共性っていうところにいろんな人を巻き込んでいけるんでしょうか。私ももちろん答を持っているわけじゃなくて、どうしたらいいのか、悩んでいるんですが。
 美浦 新聞は、どれだけ少数意見に光をあてていくか、それしかないと思います。言論表現の自由を守れと言うシンポジウムで、民法上ながらく差別規程があった非嫡出子で差別規程撤廃を求めて裁判を続けてきた方から、「みなさんは憲法を守れとか言っているけれども、憲法が実現されていない人が世の中にこれだけいると言うことをどう考えてきたんですか」と言われて、胸を突かれました。確かに裁判で違憲だという判決が出たときには大きな扱いをして、いろんなことを書きました。しかし、日常的に社会面などでそういう頑張っている人がいるということを、どれだけ報道してきたのか。そういう人たちにどれだけ光を当ててきたのか。世の中には社会的に弱い立場の人がいるんだ、本来は守られてしかるべき権利が守られていない、その中で、その権利を求めてまさに闘っている人たちがいる。そのことを知識としては知っているけれども、切実に皮膚感覚として理解できていたか。報道の中立性や客観報道というのは、何を取り上げるのか、ということ自体に問われるのでないか。つまり、政府がこういう方針を出しました、ということを伝えることも大事ですけれども、その政策が決まって、ますます厳しい立場に追い込まれる人たちの言い分をどこまで取り上げられるか。社会の少数の厳しい立場に置かれている人たちの主張を汲み取っていけるか。新聞の公共性とはそこに尽きるだろうと思っています。
 碓氷 それは新聞に限らずメディアに共通する責任だと思います。公共性っていうのはいったい何なのかと考えると、みんなが等しくアクセスできる、あるいはみんなが等しく情報の共有ができる、最低限のサービスを提供できるというところがまず必要だと思います。言葉として公共性の「公」が入ると我々日本人はお上から与えられるものみたいなイメージを持ってしまうのだけど、そうではなくて公共性というのはみんなが力を合わせたりとか、みんながそこに自分たちのアクションをして作っていくもの、そういうイメージをみんなで持っていかないといけない。今の市民とメディアの関係で言うと、決して公共放送といっても自分たちのメディアだと言う意識はなくて、例えばNHKは「みなさまのNHK」といっているけれども、市民は「私たちのNHK」と思っているかと言うとそうでない。それはNHKだけでなく、民放も新聞も、市民の皮膚感覚が番組や紙面に反映されているかというと、実現されていない。そういうことを実現していってはじめて、市民にも公共性が理解されていくんだと思います。

▽日本で「公共」を理解してもらうことの難しさ
 美浦 NHKは「みなさまのNHK」、新聞は「読者利益」というんですが、果して「読者」と簡単に言うけれど、「読者」という言葉にもっとこだわらなければならないと思います。僕らがいう「読者」、「みなさま」は誰なのか、それぞれのテーマでいろいろあると思うけれど、常にそれを考えてやらなければいけないと思います。安易に使ってはいけない。今のメディアは言葉が乱暴なのではないかということも思っています。
 碓氷 民放の場合、視聴率というモノサシがあって、どうしても視聴率を結果として追い求める。そうすると少数は切り捨てられてもしょうがない、それよりも多くの視聴率を取ることが目的化しているところもある。例えば報道番組にしても、数字を稼ぐということが会社の方針として言われる。そうすると、ニュースのネタとして取り上げるのかどうか、ニュースの順番をどうするのか、ということさえ、視聴率が判断材料として入ってしまっている。そういったところは視聴率主義の弊害といわざるをえない。
 長村 でも、テレビって視聴率を抜きにしては考えられないですよね。できるだけ多くの人に見てもらいたい、届けたい、それが原点ですよね。別にNHKも視聴率をできるだけ取らない番組を作ろうというわけではない。ただ、きわめて限定的な人を対象に番組を作るということも必要ですから、結果的に取れないことはありますけどもね。
 碓氷 僕は視聴率は結果だと思っていて、やはり大切なのは、弱者の視点にたった番組が視聴者の共感を得るようなものでなければならないということです。社会的弱者の問題を取り上げた番組であったとしても、上から、強者の立場から見ているような切り口だと共感は得られない。そういった番組を作る姿勢が大切だと思います。
 長村 「公共」をどう理解してもらうかというときに、日本の場合、公共事業っていうような言葉が浸透してしまっていて、言葉として混同され易いですよね。
 美浦 「公共」と「公益」も混同されて使われることも多いと思うんです。公益といったときには弱者切捨てに結びつき易いと思います。社会防衛とかそういう言葉と容易に結びついていく。例えば、子どもを対象とする性犯罪の前歴者の居場所を開示するというようなことは、公益なんです。社会防衛だと言われる。今のメディアの論調も、社会がそれを望んでいるから仕方がないというスタンスかなと思います。しかし、それは一方で、人権の制限なんだと思います。そこをきちんと抑えて、これは憲法に照らせば疑義を生じかねない人権の制限である、というところからの検証が必要です。公益と公共は明らかに違いますが、混同されて使われていることがあるのではないかと思っています。
 長村 誰もがアクセスできる、誰もがそこに参加する権利、それが公共空間、公共の広場を作り上げていくのだと思います。しかし、今の状況だと、私はその広場に出たくない、出て行くとめんどくさい、何で人のために何かしなければいけないんだということになっている。それと、匿名性が攻撃性を持って社会の中に入り込んでいますから、「私が」という一人の固有名詞を名乗って意見を戦わせるということを、みんな敬遠し始めている。逆に防御壁があれば相当はっきりとものを言うんですけれども。例えば、自治会という組織が相当崩れてきている。マンションの管理組合は法律で決められているから、嫌々入るけれども、それ以外の自治的なつながりはできるだけ辞めたいと思う。残念ながら、今の日本社会の中では公共空間を作っていこうという機運がない。そういう社会の中で、「公共性」を作っていくのは大きなエネルギーがいると思います。どこから手をつけたらいいのか。教育なのか、企業の中でそれができるのか、政治がそれをやるのか、簡単なことではない。ただ、メディアがメディア自身でその公共空間ということを、仮説でもいいから定義して、今実態がどうなっているのか、なぜそういう社会になっているのか、公共的な社会にするためには何が足りないのか、問題提起すらできていない。それができていないのに、NHKの民営化という話が急に出てくるわけじゃないですか。分かり易い、ということで。民放は公共圏にただでアクセスできるんだから、NHKもそれでいいじゃないか。その方がみんなハッピーだと言われて、どうやって説明をするのか。民放連の会長がNHKの民営化、スクランブル化に反対だと言いました。それが一方で、放送事業者全体が護送船団の舵取りをしていると指摘されたり、与党の中でもそういう議論の声があがっているようです。それに対して、いやそうじゃないですよ、自己保身ではなくて、こういう社会における放送の役割はこうなんですよと、言っていかなければならない。おそらく今は、既得権益である放送事業者が、総務省と一緒になって自己保身に走っていくのではないかと見られがちですよね。そこはその中にいる身としては非常に辛いところですね。

▽メディアの経営基盤、経済性と公共性
 美浦 新聞でも、最近、「そうはいっても新聞社も私企業だ、営利企業だ」という論調を、耳にする機会が以前より多くなってきた気がします。それは経営の開き直りだと言っていいんじゃないか。以前は新聞社の経営の利益率は非常に低かった。けれども高度成長期の中で新聞社の発行部数が伸びていき、連動して広告収入が伸びると言う相関関係があった。そして再販制度により安定した収入があり、新聞に対する信頼も高かった。だから企業としてみたときに利益率が低くても倒産と言うことはまずなかった。最近はメディアとしての新聞への信頼性が落ちてきた。発行部数も伸び悩んでいる。それから広告媒体の多様化の中で相対的に新聞の広告媒体としての位置が低下している。先日インターネットの広告がラジオを抜きましたけど、広告産業の人たちは、次はいつ新聞を抜くかというのが最大の関心事だと言っています。そういう中で、経営者たちが企業経営重視の方針を強めてきていると思います。僕はそれを企業第一主義とか大会社主義と呼んでいる。新聞産業の合理化は典型的には、輪転機とか制作システムの電子化とか装置部分の合理化でした。それが最近は人減らしそのものを目的とした合理化に変わってきています。経営方式を変えるという形です。大流行しているのは印刷部門を別会社にして、そこでの賃金体系をがんと落とすというようなやり方です。そのときにあちこちの組合の団体交渉で経営者たちが必ず口にするのは、「新聞社も企業経営である」ということです。それはジャーナリズムの一翼を担う新聞に優先させて、企業経営第一主義が出てきていると思うんです。
 長村 新聞社の株式は今は上場していないですよね。しかし、これは新聞も上場すべきだと言う議論につながっていきかねない話ですよね。
 美浦 経営の安定と言う理屈ですよね。
 長村 今回の民放の話でも、文句あるなら上場するなと言う人もいたくらいですから、今の新聞経営が経済合理性をより追求するんだという行き先には、今まで言論機関だから新聞は上場しないというルールを自らが突き破っていくということがあるのかどうか。日本には米国ようなメディアの大企業がなぜないのかという問いに、新聞も放送業界も自分達で答えを出していく方向に行ってしまう可能性もあるのではないでしょうか。
 美浦 今のところ、新聞の経営者たちの中で株式上場の検討をしていると言う話は全く聞きません。この先さらに企業経営第一主義という風潮が強まっても、私個人としては痩せても枯れても、「新聞人」と言う自負は持ちつづけて欲しいと思う。上場しないから、紙面の独立性が保てるという側面は間違いなくありますから。ただ、上場していない状況でもいろいろ問題は起きている。例えば、朝日が武富士から広告協賛金受けていた、それを公表せず、記事も広告ということを明記していなかったという問題がありました。
 碓氷 民放の場合は東京キー局でいえば、日本テレビ、TBSは昔から上場していたけれど、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京はここ最近のことです。その上場の目的のひとつはデジタル化であったりとか、社屋の移転建築のため資金を集める、いわば金目当ての上場というか。その結果こういう状況にさらされているとは思わないけれども、株式を上場したことによって、どうしても利益を一定程度は確保しなければならないというのが命題になってきている。もともと民放は、利益率が高い産業で、平均すると売上に対して10%くらいの経常利益をあげてきました。今までは丼勘定的に経営していても儲かっていましたが、最近の状況でいうと、デジタル化が迫ってくる中で、経営として非常に厳しくなる可能性がある。そうすると企業防衛のためには、多少ジャーナリズムとか、そういった公共性を二の次にせざるをえない。そういう経営を民放の経営者がおこなうという可能性はあります。僕たち労働組合がそれをチェックをしていかなければならないし、利益をそこまで追求してどうすると言わなくてはならない。
 美浦 新聞の最近の傾向でいうと利益率をあげてきていて、内部留保を溜め込んでいる。輪転機の更新に備えるとか経営者はいろいろと言っていますが、明らかに変化してきている。営利優先みたいになっていく中で、どんどん紙面の公共性とかジャーナリズム性とかが弱まっているんじゃないか。そうなると再販制度にしても、これだけ新自由主義が強まってきた社会風潮の中で、今の新聞のジャーナリズムの状況の中では、もはや社会の理解を得られない。ある種の悪循環にはまりこみつつある。私は再販は必要だと思います。しかし、再販があるからこそ、利益を追い求めるような経営をしてはいけないんです。新聞社の経営はカツカツでいい。ただ多種多様な新聞を社会に送り出せる、それを維持できる経営であればいいんだと思います。だからこそ再販制度が必要なんです。それが今、根本の所がおかしくなってきている。このまま利益追求していくなら再販制度はいらないと言われても、抗弁できない。
 碓氷 まさに再販制度が公共性を担保する制度であったはずですよね。
 美浦 新聞の公共性というのは再販制度に端的に現れていたんだと思います。それを社会全体が認めてくれていたんだと思います。
 長村 ある種“特権”を認めるということですよね。そういう意味で、権限というか、特殊な立場を我々に委ねられているので、企業経営の利益の追求のやり方についてはある種の節度を持つべきだということだと思います。ところが、本業以外のところに企業経営が触手を伸ばしはじめているという批判も出始めていて、それが目立ち始めていることで、放送なりジャーナリズムの世界に新規参入をさせるべきだという声に加速度をつけている。特権があることに胡座をかいて、利益まで追求し始めるというのであれば、同じ条件に基づいて競争させるべきだという声がどんどん強まっている。それに対してどういう答えを出しうるか。NHKは利益追求型の会社ではないですが、いろんな子会社とか関連の会社もあって、NHKの肥大化という批判も受けていますので、我々もこのことと無関係ではいられないと思っています。メディアは全部いいとこ取りをしているという批判に対して、自らが切るものは切るとか、原点に戻る所は戻るとか、経営陣を含めて言っていけるかどうかですね。例えば、民放の多角経営はどういう所まで行くのでしょうか。
 碓氷 今で言えば、例えば著作権ビジネスでどうやって儲けようかとか、番組関連のグッズでどう儲けようかとか、重点項目とは言わないけれど、番組をひとつ放送するに当たってこれに関連したビジネスはどういう可能性があるのかということは必ず追求をされている。ただ単に放送するだけではなく、映画化をする際はどうなるかというようなことを必ず構想します。

▽NHKの財源の問題を考える
 長村 マルチ展開というのは放送の中では常識になっているわけですよね。あえて聞きますが、その中でNHKがマルチ展開をすれば叱られるわけですよね。そこはどう考えればいいんでしょうか。というのは、我々の中で、問題の整理の仕方として、公共の広場にお金を出して頂いていて、その頂いている受信料を最大限の成果として皆さんにお返しをすると考えている。そのときに碓氷さんが言われたような、番組だけで提供するだけではなくて、そこから展開ができるのであれば、例えば教育テレビのテキストとか、キャラクターとか、それ以外にも可能性はいくらでもあるわけですけれども、それをやっていくとNHKの肥大化とか、商業化ではないか、と必ず批判の矢面に立たざるをえない。放送業界の中で常識だと言われることにある種制約をしなければならない。そうすると、頂いた受信料を最大限還元できているのだろうか、という疑問も中では出てくる訳です。もちろんバランスのとり方は難しいですし、実際NHKの予算の中で96%とか97%は受信料ですから、他の二次展開でお金がたくさん入ってきているという実態はないんですけれども。公共放送は公共性らしく、そこで経済合理性とは違った所で放送展開をするべきだという意見がこれまで非常に強かったなかで、今度NHKの民営化という課題を突きつけられた。このことによってNHKの問題ということよりは、放送全体、メディア全体の問題に関係してくると思うんです。今までのそれぞれがけん制し合っていた理屈ではない切り口で、しかも権限を持っている人たちからそういう問題提起をされたときにどうやってこの課題をクリアできるか。NHKの受信料収入の問題と言うのは、ずっと40年、50年、このままではだめだとか、罰則規定とかスクランブルとかの議論が、浮上したり消えたりしてきています。しかし、この15年受信料の値上げということもなく、議論自体を世の中に提起をしてこなかったし、そういう必要性がなかったとことに安住をしてきた部分がある。いよいよ、こういう状況になり、いろんな議論の声があがってきた。それじゃあ、どんな突破口があるのか。例えばNHKが広告収入をもらうことになるとだめですよね(笑)。
 碓氷 だめですね(笑)。
 長村 世界の公共放送でいえば、純粋に受信料だけでやっているのはBBCがそうですが、あそこは強烈な罰則規定がある。それ以外は欧米や韓国を見てみると、試行錯誤の最中ではありますが、税金や広告収入が一部に入っていたりします。公共放送の定義として、日本はこれまで受信料収入でなくてはならないということで、ずっと来ているわけですよね。しかし、世界を見るとそうではないルールがある。そこを横目で見たときに、NHKが広告収入を得るのはだめと言うのはどうしてでしょうか。広告にすると何が危なくなるのか。もちろん、そうしたいと言うことではないんですが。
 碓氷 民放の例で言えば、向き合う対象が単に視聴者だけでなくて広告主に対するスタンスがどうしても出てきます。今までは視聴者・市民に向き合っていたメディアがそれ以外の視点が出てくる、まさにコマーシャリズムの視点が出てきてしまう。民放のやり方が悪いというのではなく、民放はジャーナリズムとコマーシャリズムのバランスをどうとるかというのが命題ですが、公共放送NHKはそうしたジレンマと別でやっていくのがいいのではないか。今まで二元体制をとってきていて、それを崩すとかミックスしていくという方向がいいのかどうかは議論をする必要があると思います。それが視聴者のためにとか、メディアの可能性がもっと広がるということであれば、そういうこともあるのかもしれないけれど、現状は決してそうではない。民間放送にしても公共性は負っているわけだから、民放が得た利益のうちのいくらかをNHKとの共同プロジェクトで放送業界のために使うとか、考えてもいいかもしれない。
 美浦 僕は外から見て、単純に思うんですけれど、やっぱり広告が入ってくれば蟻の一穴とでも言えばいいのか、売れる番組を作れと言うのが組織で出てくると思うんです。僕が今NHKに本当に頑張って欲しいのは、売れない番組でも必要な番組を作るということ。NHKの知り合いと話をしていてもそれを感じる。それがNHKの良さだと思います。民放の人からもよく聞くのは、民放の人間はNHKにやっかみがある、それは数字を度外視したところで、作りたい番組を作れる、NHKにはまだそれがやれているんだと言うんです。そこは絶対残して欲しいと思います。新聞労連では、マスコミの就職活動の学生を支援するフォーラムをやっているんですが、今年NHKの内定をもらった学生がいて、ものすごく迷っているんですよ。僕は、迷うことはない、NHKの先輩に聞いてみたらとアドバイスをしました。それで彼はOB訪問をして、NHKの番組作りの第一線の人に話を聞いて、「自分の進む道がはっきり見えました。自分の未来に対して震えています」というようなメールをくれました。そういうことがあるのがNHKだと思います。商業主義が入ったときに、どこかで番組作りの中で妥協しなければならなくなったら、それは残念だし、もったいないと思うんです。
 長村 非常にありがたい話で、そうあらねばならない、そうありたいと現場も当然思っているんです。ただ、現実の問題として課題提起がされてしまっていますし、元々NHK自身が不祥事を起こしたということがありますから、そのことによって自らの受信料収入を落ち込ませた。それは今の制度からすれば当たり前のことで、視聴者からすれば、何に使われるか分からない受信料を簡単には託せないというのはやむをえない部分があると思うんです。しかしながら、メディアはある程度経営基盤がしっかりしていないと、特に放送は装置産業という側面もありますから、そこが崩れていくとすぐに制度の問題に飛び火しかねない。一方で公共性の議論も脆弱なままで、経営としてどうなのかというふうに突きつけられると、こういう役割があり、こういう番組作りができる、こういう訴え方ができるという理想とか、それとは全く違う理屈で押し寄せてきてしまうということなんですよね。そうすると、だったらNHKもただで見られるようにしたらいいじゃないかとか、逆にNHKにお金を払った人だけが見られるようなスクランブルを導入するべきだとか、もっともらしく出てくるわけですよ。分かり易いんですよ。先ほどの議論のように、公共の話は分かりにくいということが土台にあるわけですから、今なんでNHKを受信料を払って支えなければいけないかということが、特に若い人たちに対して、NHKの力不足もあって伝わっていないですから、崩れていく可能性もあるわけですよね。

▽メディアの将来像
 美浦 新聞も実は本当に先行き苦しいんですよね。部数もこれだけ落ちて、広告媒体の地位も低下して、この先紙メディアというオールドメディアだけではやっていけないだろうというのは、新聞に携わる誰しもが分かっているわけです。先行き不安だからこそ、経営も今貯められるうちに貯めておこうとなっている。今までの紙メディア前提のビジネスモデルはもう限界だと。それは間違いありません。じゃあこの先どうするんだと言うと本当に厳しい。新聞労連でも、経営への提言を想定して、ネット時代の紙メディアとはというような取り組みを強化しようとしていますが、なかなか知恵が出てこない。その中で新聞の強みって何だろうかというと取材力なんですよね。最後はニュースを持っているというのが、新聞というメディアの強みです。これを大事にしていかなくてならない。特にこれから優位性を保つなら調査報道です。社会に埋もれているニュースを自分たちで発掘していく、それをどう売って行くかということだと思います。ただ、そこでまだ新しいインターネット時代の新聞経営、そのビジネスモデルが見えてこない。そういう困難に突き当たっています。放送の場合はある程度ビジネスモデルが提示されているということなんだろうとお二人の話を聞いていて思ったんですが、新聞の場合は今後の選択肢すら定かではない。紙メディアだけではやっていけないだろうことだけは明らかになっているけれど、その中で経営が進めているのは合理化であり、経費削減であり、つまり人を増やさないとか別会社にして賃金下げるとか、労働組合としては承服しがたい方向である訳ですが、それが行き着くとどうなるか。最大の財産であるはずの取材力にまで影響が及びかねない。角をためて牛を殺すという方向に向かっているかもしれないという危機感を僕は持っています。
 長村 マスメディア集中排除原則という考え方がもともとルールとしてあったわけですよね。それは資本が大きな所に束ねられてしまうと言論の多様性に影響があるという理屈があったわけですよね。その理屈が大分崩れ始めている。それは経済の視点、儲かるかどうかということで見れば、資本関係や取材力の問題を考えて、放送局と新聞メディアの融合という可能性も出てくるかもしれませんね。
 美浦 この間ビデオジャーナリストの神保哲生さんと一緒になって、彼の持論は記者クラブと再販制度、クロスオーナーシップ、この3つが突き詰めれば問題の根源だということです。それはそれで分かり易い話で、新聞は系列の放送を抱えているからお互いに触れて欲しくない所は触れなくなると。それは一理あると思いましたね。

▽原点に戻って、キーワードは公共性
 長村 我々は組織ジャーナリストの集まりなわけですよね。そのいいところも悪い所もこれからさらけ出していかなくてはならないでしょう。先ほど、民放の利益の一部を出してお互い放送業界で、というお話がありましたが、受信料と言うものはNHKの放送だけかと言うと、例えば技術開発というものは全ての方のためにという考え方に立っているわけですよね。もう一回、放送法とか電波法とか、新聞はそういう法律はありませんが、メディアに関する今のルールに戻って、我々自身が点検をきちんとするということでないと、違った理屈である商法とかそっちのほうから攻撃をされていくのだと思います。NHKの民営化とはそういうことだと思っています。我々のルール、原点のところをもう一回磨きをかけられるか、これは組合としても役割は大きいと思います。
 美浦 キーワードは公共性に戻っていきますね。この議論をもっともっとやっていく。それは、読者・視聴者とむきあった議論でないとだめですよね。
 碓氷 放送・新聞メディアに限らず、公共性なり社会に対する責任があるわけだけれどもメディアはことさら高い公共性を求められています。そういうなかで、働いている我々は公共性もそうだし、高い倫理を求められる宿命を持っている。改めて自覚をすることが大いに必要です。
 美浦 今後も、3団体で協力できるところはたくさんあると思います。「公共性」を積み上げていくためにも、そういう交流を大いに深めていきましょう。
(2005年12月16日、東京都内で収録)