日本新聞労働組合連合
新聞労連紹介出版物案内メルマガ申込み機関紙DB声明・見解販売正常化実現・再販制度維持のために講演録ホーム
新聞労連

HOME>講演録
私たちの生活、仕事と憲法
 新聞労連は3月、14、15の両日、春闘勝利をめざす東京総行動に取り組みました。初日の14日に行われた評論家・佐高信さんの講演要旨を紹介します。
評論家・佐高信
権力の介入に鈍感すぎる
 最近のできごとで気になったことは、去年5月の小泉(首相)の再訪朝時に、日テレ(日本テレビ)を連れて行かないと騒いだ問題だ。政府が北朝鮮に25万トンのコメを支援すると日テレが事前報道したことで、飯島という首相秘書官が連れて行かないと言い出した。 本来ならこの種の問題は飯島秘書官の首が飛ぶような性質のものだが、小泉は「連れて行ったからいいじゃないか」と簡単に片づけた。
 私はあの時、メディア各社がこぞって「日テレを連れて行かないなら俺たちも行かない」となぜ言わなかったのか、今でも残念に思っている。何もしなかったということは、「政府批判をしない」という一札を入れたことと同じではないかと思っている。
 権力の介入という問題に鈍感としか言いようがない。ジャーナリスト全体が言論の自由に鈍感になっているように思える。そんなメディアが憲法の問題を論じるなんて考えられない。身近な問題で言論の自由に関わる憲法の問題を蹂躙していることに気づかない鈍さは酷すぎる。

すぐ消えたマツタケ問題
 最初の訪朝時も土産にもらったマツタケの問題があった。浮かんですぐ消えたニュースだが、普通の感覚なら食糧事情が苦しい国から土産をもらうなんて考えられないが、あの秘書官はもらってきた。さすがに帰りの飛行機の中でまずいと思ったらしく、羽田に着くとトラック2台を横付けしてすぐにどこかへ運んだ。
 たまたまその現場を日テレの記者が見ていた。トラックの横腹にマツタケの絵が書いてあったから分かったらしい。小泉や飯島はそれ以来、日テレの記者を苦々しく思っていたようだ。
 300箱のマツタケがどこに消えたかといえば、官僚やマスコミの幹部の口に消えたといわれている。マツタケの話がすぐ消えたのはそういう理由があったからだ。
 このニュースこそ絶好のネタではないか。それに食らい付かないようなメディアはダメとしか言いようがない。このスクープを読者に提供しないで、言論の自由と言われても普通の人たちにはまったく響かない。マツタケを食べた人は書けないだろうが、「食っても書け」と言いたい。なるべく食べてはいけないが、食べた場合も書く。今からでも遅くはない。俺が食ったという人が書けばいい。

清潔、上品では対抗できない
 ジャーナリズムは今、白兵戦の状況にあると思う。清潔で上品なジャーナリズムでは、保守系ジャーナリズムに対抗できない。『噂の真相』がなぜ売れたかと言えば、下半身のことも取り上げたからだ。
 マツタケというニュースを通して小泉政治の本質を暴き、政権を追い込む。下品さの中に上品さを通す、インタレストを書きながらロジックを通す、ロジックだけでは読まれないから下世話なことにも興味を持つことが重要なんだと思っている。記者クラブに記者があぐらをかいていてはどうしようもない。
 朝日新聞の民主党化が進んでいると思う。権力批判が新聞の大きな役割だから、朝日の姿勢が気に入らないという勢力には居直ればいい。私のところにも変な手紙がたくさん来る。カッターナイフが入っていることもある。権力批判をしなければ何も送られてきません。
 ガチンコ状態の朝日とNHKの問題も、「テープがあるぞ」と開き直ればいいんだ。相手が清潔ではないんだから、清く正しく美しくのやり方では勝てない。清潔なだけでは相手を追い詰めるようなネタも取れない。

俺はまともと思ったら負け
 新聞なんてもともとゆすりたかりの世界だと思う。まともな人間が就く仕事じゃないんだから。俺はまともと思ったら負けなんだ。堅気になりたかったら新聞社を辞めるしかない。それぐらいの覚悟を据えてやってほしい。
 朝日から産経まで司馬遼太郎を持ち挙げるなんてとんでもない。司馬は石原完爾(関東軍参謀)という軍人をほめている。彼は1931年に起きた満州事変の口火を切った人物だ。中国にある9・18記念館には、板垣征四郎(関東軍司令官)と石原の2人の写真が飾ってある。日本人は許しても2人だけは許さないということらしい。
 それで私は石原批判本を書いた。その中で市川房江と犬飼美智子という2人の女性を対比して取り上げた。犬養さんは1932年5月15日に起きた5・.15事件で青年将校に殺害された犬養毅首相の孫だ。その犬養さんが祖父を殺した人物を1人だけ挙げるなら石原と言っている。
 市川房江は逆に石原を熱烈に褒めている。市川にはダーティーとクリーンの2つの判断基準しかない。ハトかタカか、という軸がない。クリーンという点で言えば、軍人はクリーンだから熱烈推薦ということになった。

重要な4つの視点の交差
 ものごとを判断する視点は、クリーン、ダーティーだけでなく、ハト、タカということも考えないといけない。この4つの視点を交差させて考えることが必要だと思う。「ダーティのタカ」は元首相の中曽根と森、「クリーンのタカ」は小泉、「ダーティーのハト」は加藤紘一と田中真紀子、「クリーンのハト」は田中秀征らだ。
 ナチスのアウシュビッツ収容所長だったルドルフ・ヘスは、多くのユダヤ人をガス室に送ったことで有名だが、一面では良き家庭人だったとも言われている。
 石原はその後、東条英機(首相)と意見が合わず軍を追われ、敗戦工作を始める。私に言わせれば「放火魔の消火作業」だ。市川はそうした事実を知らな過ぎた。

真実の多くは負けた側の歴史
 明治維新の時、西郷隆盛は士農工商の中で8割を占める農民たちのエネルギーをつかもうと考えた。彼は奸智に長けた人物で、郷士たちを組織して「年貢が半分になる」と触れ回れさせた。農民はもちろんそれになびいた。
 赤報隊もそうした郷士の組織で、中心人物の相良総三は維新後、年貢半減令を勝手に出したという理由で首を刎ねられた。信じた農民たちもだんだんエネルギーを失っていった。結局、明治維新は裏切られた革命で、葵が菊に変わっただけなんだと思っている。
 歴史は勝った側の人間が後から作るといわれている。ほとんどの場合は、負けた側の歴史に真実があると思う。秩父事件の総裁だった田代栄助という人物もその土地の博徒だった。法律違反を日常的に犯してきた人間だ。そういう人が関わらないと一揆なんてとても起こせないわけだ。

人権の立場から特権を撃て
 司馬と藤沢(周平)の違いは、たとえて言えば江戸城を造った人物は太田道灌と答えるか、大工・左官と答えるかの違いだ。大工・左官と言うとみんな笑うが、藤沢は笑わない人だった。
 新撰組にも関わった清河八郎という人物がいる。東北地方の郷士だが、司馬は「奇妙なり八郎」という短編小説の中で「無位無官の人間のくせに、天皇に訴える不埒な奴」と書いている。ここに司馬の根っ子が表れていると思う。藤沢はこれに怒って「回天の門」という本の中で「清河八郎はそんな人間ではない」と書いている。人権の立場から特権を撃つのがジャーナリストの仕事だと思っている。

具体的な事例で話そう
 憲法のことで思い出すのは、1977年9月27日に起きた事件だ。神奈川県の厚木基地を飛び立ったファントムが横浜緑区に墜落する。26歳の母親、3歳と1歳の子どもが火達磨になり、病院に担ぎ込まれた。3歳の子は「パパママ、バイバイ」と言って亡くなり、1歳の子も「鳩ポッポ」を歌いながら亡くなった。母親は子どもが亡くなったことも知らされず、31歳で亡くなった。
 横浜の丘の上の公園の一角に、「愛の親子像」が建てられている。だが、保守系市長の反対で像の説明書がない。この事件を考えると日米安保条約は私たちを守らないということがよく分かる。安保反対と言っても分かりにくいから、この像の話のように具体的な事例で話すようにしている。昨夏の沖縄のヘリ墜落事故も、被害者は後回しで事故機の回収が優先された。

さまざまな視点から報道を
 日本の会社には憲法がない。いま世間を騒がしている西武もその典型だ。一見さんお断りの談合資本主義だ。松下(電器)では毎朝、社員が社歌を歌うという。いま国会の中で、松下政経塾出身の民主党議員たちが声高に改憲を叫んでいる。彼らは憲法を体験したことがない人たちだ。困難な状況を迎えているが、新聞記者のみなさんにさまざまな視点から記事を書いてほしいと要望したい。